弱いから、憧れること。
飲めないけど、好きだという、不思議な感覚。
慌ただしい年末が過ぎ、穏やかな年始も過ぎてしまった。その時期に漂う特別な空気は、私にとって店が忙しくなることと、ほんのわずかな休息以外、いつもと変わるところはないのだけれど、なんとなく、好きだった。イベント事が続く季節、今の私にはさほど関係はないけれど、それでも、どこかふわふわとした、地に足のつかない、街の空気が気に入っている。
いつもと変わるところはない、といいつつも、この時期だけ、特別にすることがある。普段はほとんど一切しない、この機会以外だと、年に1回、あるかどうかというところ。
お酒を、飲むこと。
年に一度、大晦日に、数少ない友人の一人と、焼肉を食べながら飲むのが恒例になりつつある。ただ私は、煙草はバカスカ吸う癖に、酒には本当に弱くて、昔から、飲めばへばってばかりいる。酔いつぶれるわけではない。3杯も飲むと頭痛がして、そのあとすぐに、吐き気が来るのだ。
最初は、二十歳を迎えてすぐ、初めて父と、店に飲みに行ったとき。加減も知らずにくいくい行くものだから、あっという間に気持ち悪くなってしまった。きっと母の遺伝子なのだと、あとで家族で笑い合った。
次は、大学の飲み会。まだ親しい友人と会う前は、学科の人間となんとなくつるんで、学科ぐるみでの飲み会に出席したりしていた。今思うと、なぜそんなものに出ていたのか、正気の沙汰とも思えないのだけれど、当時はそれほどに、誰かのそばにいたかったのだろうなと、今は思う。
いい気分で酒を飲み、酔ってはいるけど泥酔はせず、だけれど酔っていることを理由にみっともないことばかりしていたような気がする。できることなら思い出したくないけれど、そういう記憶ばかり、落ちない汚れのようにこびりついて、落とそうと躍起になっているうちに、傷になってしまう。
その時も例にもれず、帰る頃には苦しくなって、ホームでうずくまっていたものだった。
昔いた会社の新年会でも、家で誰かと飲む時も、大抵、頭痛が襲ってくる。私にとってお酒の思い出の大部分は、頭痛でしかなかった。
平気で飲める時もあった。その時は、大体が気心が知れている、安心して向き合っていられる、そういう人と一緒にいる。もちろん、それでも頭痛が来ることもあったけれど。
ほどほどの量にしておけば、その限りではない。缶チューハイ1本くらいなら、酔いはするけど、体調を崩すほどでもない。居酒屋で、生中を飲みだすと、2杯ぐらいが限界だった。おとなしくチューハイにでもしておけばいいのにと、自分でも思うのだけれど、あるときから、居酒屋に行けば生中を頼むようになってしまった。
お酒には、とことん弱いようで。味の良し悪しも、もちろんわかるはずもなく。だけれど私は、どうにも酒が好きらしい。
なまじ飲めないものだから、憧れているのかもしれない。日本酒が、なにより好きだった。四季を眺めながら飲めたなら、どれほど素晴らしいことかと夢想する。ウイスキーも憧れだった。まさに大人ののみものの象徴のようで、父が大事にしまっていたあの瓶を思い出す。
そしてなによりも、あの楽しそうな雰囲気が、羨ましかった。
私はどれだけ頑張っても、その輪の中には入れなかった。いや、頑張ったわけではない、頑張れなかったのだ。どこか、斜に構えて、その空気を、外から見ていることしかできなかった。いっそがぶがぶと飲んで、輪の中に飛び込めればよかったのに、飲めばすぐにでもダウンしてしまう私は、そうもいかずに。楽しそうな空気を眺めて、あのブドウは酸っぱいのだと、唱え続ける。
ただ、それが親しい人たちだったなら。外から見ているだけでも、満足できるのかもしれない。飲み会を開くほど、友達も知り合いもいないのだけれど。
ふと、高校の頃、とある同人サークルの集まりでの飲み会が何度かあったことを思い出した。あの頃、私は未成年で飲めなかったけれど、周りの仲間たちはほとんど成人ばかりで、皆楽しそうに飲んでいて、それを見て、私も楽しくて、笑っていた。そしてその度に、仲良くなっていくし、新しい人とも、仲良くなれてしまう、そのことがとても嬉しくて、楽しかった。
ありがちな話かもしれないけれど、結局のところ、お酒にしろ、お茶にしろ、食事にしろ、何を飲み食いするかではなくて、誰と飲み食いするかなのだろうなと、今さら気づくのだった。
ただそれでもやっぱり、もっと酒が飲めればよかったのにと、思う。親しい人たちや、好きな人たちと飲めば、それはより、楽しいような気がするから。まこと惜しいことである。
「飲みに行きましょうよ」なんて、誰かを誘ってみたいという、妙な憧れ。誰かと仲良くなるのに、これほど気安い言葉は他にないんじゃないかと、勝手に思っている。私にとっては大変高いハードルなのだけれど。でもきっと、気になる人たちに誘われたら、喜んでついて行ってしまいそうな気もしている。その時は、すみっこでコーヒーでも飲みながら、楽しさを焼き付けておきたいと思う。
しかし仮に私が飲めたとしても、結局、仲良くなりたい人には怖気づいて誘えず、いつもの友人と無理やり飲むことになりそうである。合掌。
文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。
本城 雫
いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。