見出し画像

私のルーツ

こんにちは。

note初投稿から少し時間が経ってしまいましたが・・・

前回書ききれなかった、「私のルーツ」について

①小中高でのキャプテン経験  ②2度の大怪我と3度の手術 

早速、いってみましょう!!!


◆①小中高キャプテン経験

人を笑わせたい、物事を率先してやりたい、何より人に褒められたい。といった性格が講じたキャプテンというポジション。

その中でもコミュニケーションの大切と相手の気持ちになって物事を考えとらえるようになったことが・・・・

高校時代のことをお話しになりますが、思春期の女の子たちの集まりで、いいこともあるがよくないことが起きる方が断然多いです。さまざまな理由があるが半年に1人は辞めたいという人がいたかもしれないです。その度にみんな集め話してコミュニケーションを取るようにしました。

当時思ったこと、人は「普段とは違うことを思ったり考えたりするとき、誰かに気づいて欲しかったり変化を望んでいたりする。」話し合う機会をつくり、話すこと聞くことで新しい考えや思いが出てきて選択の幅が広がるのではないか。

結果、誰も辞めることなく卒業することができました。

コミュニケーションを通して、人それぞれ違った考えを持っていて、とても面白く自分自身とても勉強になりました。これからも多くの方々とお話しさせていただく機会があると思うので、たくさんインプットしてアウトプットしていこうと思います。


◆②2度の大怪我と3度の手術 


諦めず継続する気持ちとスーパーポジティブを培ったと思います。

大学生と社会人になってからの話になりますが、大学生時に「左膝前十字靭帯断裂」当時手術を受けて復帰するまで9ヶ月くらいかかると言われていました。大学入学前の練習会で怪我をしてしまい、入学同時にリハビリからのスタートでした。同期は厳しい練習や試合で活躍したりと私は置いていきぼり。焦る気持ちが募る・・・

復帰したのは2年生の頃だったと思います。しかし何ヶ月もしないうちに膝に違和感。再手術。またリハビリ生活に戻り、1度は「バスケをやめろ」って意味かな?と考えたこともありましたが、一緒にリハビリに付き合ってくれるトレーナーさんやチームメイトと「バスケがしたい」気持ちをモチベショーンにして続けていました。また納得行くまでやり続けたい。という思いが根念にあったからでしょう・・・

3年生になる頃には復帰でき、チームメートとのも数々の試合ができ、4年生になりインカレに出場でき、逆転1点差で1回戦突破という母校では今までなかった結果をつくることができました。

あの時諦めずにやり続けてきてよかったと本当に思います。そして社会人になってもバスケをやり続けています。

社会人になりクラブチームに所属し、オリンピック競技でも注目されていた3×3のチームを作ったりとしてバスケット生活を送っていました。

ある全国大会予選の決勝で「右膝前十字靭帯断裂」してしまいチームは優勝し、全国大会へ。私は手術しリハビリへ。「慣れてきてる」と言ったらおかしいですが、リハビリの流れはだいたいわかってきていたり、自分の体のことも理解はしていたので大学時代ほど時間はかからずリハビリ期間は終わりました。

その後も、県の大会や全国大会に参加し、県優勝や全国ベスト16の成績と経験をさせてもらいました!3×3で新潟でイベントを行ったり、ボールとシューズを持って県外を出ていました。今までの経験と人脈を武器にして新潟バスケを盛り上げていこうと思っています。

画像1

                         掲載:新潟日報 2013年

あの時諦めていたらどうなっていたのでしょうか。

怪我の経験をお話しすると、「よくやってきたね」と言われることが多いです。私もそう思います。させてくれた家族の存在があったからもありますが、自分自身「納得いくまでやること」「まずやってみる」を念頭に置いているからだと思いますが・・・やらないと結果がわからないことがわかっているからこそやり続けるのです。

「まずやってみる」→「広報やってみる」となったいま。1つ1つに目標を設定しチャレンジしていこうと思います。きっと何回か壁にぶつかりそうになると思いますが、「どうしたらこの壁を越えられるか」考えながら進んでいこうと思います。

◆さいごに

バスケットボールと怪我を通してたくさんの方々と出会い、経験、考えさせられ、影響を受け、自ら影響を与えたいと思うようになったこのルーツ。

まだまだ自分ができることはたくさんあると思っています。思い願えば自分で手段を考える思考です。この思いを広報・PRでも活かしていきたいと思い今日も走り続けます。

本日は、note読んでいただきありがとうございます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?