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いずれ娘に見てほしい映画

 昨年の今ごろ、ある出版社の労働組合が主催した被爆者支援の会に私の母が招かれた。長崎に原爆が投下された1945年8月9日の前日の、長崎で暮らす人々の日常を描いた映画「TOMORROW/明日」を上映するので、脚本を書いた母から、作ったころの話を聞きたいとのことだった。

 映画は1988年公開だから、脚本を書いていたのは24~25年前のことになる。「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」「紙屋悦子の青春」と続いた黒木和雄監督の「戦争レクイエム」4部作の第1作で、黒木監督も、原作者の井上光晴さんももうこの世にいない。

 同行した私も久しぶりに見た。映画は「人間は父や母のように霧のごとくに消されてしまってよいのだろうか」というテロップから始まり、桃井かおりさん演じる身重の娘が明け方、出産するところで終わる。完成披露された当時は、私は浪人生だったか大学生だったか……。生意気盛りで、「夜が明けて、原爆投下の時間に向けて鳴り出す時計の音は、ない方がいい」などとケチをつけたりしていたものだったが、改めて見ると、「明日の帰り、一緒に待ち合わせて、寺町でん歩いてみようか」とか、「あしたでもあさってでも、まだ時間はいっぱいあるとでしょう」といった小さなセリフの一つ一つに涙がこぼれて仕方なかった。

 上映後、母は黒木監督がこの企画を長年抱いていたものの、なかなか実現しなかったことや、原作にはなかったシーンを入れたことなどを話した。今年も同様の上映会が行われ、母はまた参加した。

 小学3年生の娘も最近はアニメだけでなく、普通の映画も見られるようになってきたので、「ばあばが脚本を書いた戦争映画のDVDがあるから見るといいよ」と言った。でも、怖がりの娘は戦争の話というだけで「絶対見ない」と言う。怖いのを無理に見せるわけにはいかないが、いずれは見てほしいと思っている。

 映画が好きな私には、娘に見てもらいたい映画がいくつもあるが、この夏はまた1本増えた。今年99歳の新藤兼人監督が作った「一枚のハガキ」だ。

 新藤監督は32歳で海軍に召集された。一緒に召集された100人のうち、上官の引いたクジで94人が戦死し、新藤監督を含む6人が生き残った。

 新藤監督は部隊にいる時、同じ中年兵から1枚のハガキを見せられた。「お盆になっても、あなたがいなくては何の風情もありません」という妻からのハガキ。新藤監督は復員後もこの何気ない文章を胸にずっと抱えて、ついに映画にした。

 中年兵からハガキを見せられた元兵士役の豊川悦司さんは映画の後半で、「俺はクジを認めない」と言う。それを聞いた瞬間から、私は涙が止まらなかった。娘の怖がりがおさまったら、いつかぜひ見てほしいと思う。

2011年8月14日

【追記】

 私の母井上正子は昨年2020年6月に79歳で死んだ。私の娘は18歳になっていたが、「怖がり」はまだおさまっていなくて、「TOMORROW/明日」は見ていないままだった。

 母がホスピスに入ってから、私は娘に「ばあばがずっと『見てね』と言っていたんだから、見て、ばあばに『見たよ』って言ってあげないと、後悔しちゃうと思うよ」と言った。娘は家にあったDVDをついに見て、ベッドの上の母に「ばあば、『TOMORROW/明日』を見たよ」と話しかけた。母は何も言わなかったけれど、微笑んだから、聞こえたと思う。

 私は母にとって、いい子どもではなかったので、後悔ばかり残っているのだが、「見たよって言ってあげたほうがいいよ」と娘を急かしたのは数少ない「良かったこと」の一つだから、思い出すとうれしい。でも、もっと母の仕事について、ほめてあげればよかったと思うと胸が苦しくなる。

☆2009年から2012年まで子ども向けの新聞につづった連載を改編したものです。


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