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また旅にでる

「いってらっしゃい。
たくさん旅をして大きくなって、諭吉さんになって私の元に戻っておいで」


片づけなければ。

その思いは、唐突に訪れた。
部屋を見渡せば、確かにあれやこれやが出しっぱなしになっている。
引っ越しの時にあらかた処分したので物はだいぶ少なくなったが、使ったファイルやノートやらが飾り棚に置きっぱなしだ。

飾り棚は花瓶だけと決めていたのに、今や花瓶は片隅に追いやられ肩身が狭そうだ。
でも、こうなるだろうことは予知能力などたいそうなものがなくとも分かっていた。

私は整理整頓が苦手だ。

正確に言うと、整った状態を維持することが得意でない。

毎日使うものは、ひょいと簡単に取れる場所にあったほうがなにかと都合がよい。これを人は怠惰と呼ぶのかもしれないが、人には得手不得手があるからこればっかりはしょうがない。

数年前、テレビで片づけ名人が人の部屋をプチリフォームする番組がやたらと流されていた。片付けの参考になればと食い入るように見たが、どれも私にはムリだとすぐに悟った。

彼らは自分基準で考えていた。
こまめに片づけられる人。都度都度片づけることが苦にならない人。
違うんだよ、そうじゃないんだよとテレビを見ながら何度も突っ込んだものだ。まだテレビを見ていた頃の懐かしい記憶。


出しっぱなしで乱雑に置かれたものたちを本来いるべき場所にしまい、とりあえずは片付いたように見えた。
花瓶とは反対の隅に雑に置かれている、ある物から目を背ければ。

そこにあるのは分かっていたのに、いつも目を逸らしていた。
気づかないふりをしてやり過ごしてきたのだが、今回ばかりはそうはさせてくれなかった。

外に出たいと強く訴えていた。


そこにあったのは、たくさんの硬貨たち。
一つはハワイでもらったかなんかの、実物大のパイナップルの貯金箱。
さらに子袋が二つに、ガチャピンの貯金箱。

なりは大きくででんと鎮座しているものの、いつしか景色の一部になりその存在感は薄れていったものたちだ。

合わせて四つに分けられた硬貨たちが、引っ越しの時に粗雑に大きい袋にまとめられたまま片隅で時を過ごしていた。

硬貨たちの無言の圧とでもいうものに背中を押され、重い腰をあげるしかなかった。


せっかくだから仕分けもしよう。

そう思い立ち、手頃な容器を探したがどこにもない。困り果て台所を漁り、豆腐ときのこの容器を発見した。一円は入らないが他の硬貨は入るだろう。一円には申し訳ないが、またビニールに入ってもらおう。

さて、準備は整った。

お金の音をたてると泥棒がやってくるので、静かに静かにテーブルに広げる。


まずガチャピンからだ。
お。なんと、ガチャピンには銀色の硬貨しか詰まっていなかった。
数えたら一万ちょい。思いがけず過去の私からギフトが届いた。
残りは思っていた通り、一円が多い。

貯金箱にいれていても埃はかぶるようだ。ガチャピンに関しては、べたべたする。

暗くて狭く手入れの行き届かないところに、長い間閉じ込めていた。

「ごめんね、今きれいにするからね」

困ったときは、水の激落ちくんだ。激落ちくん出番だよ。
激落ちくんでいいのか少し悩んだが、水だからお金も苦しくないだろう。


少しずつ仕分けをしながら、硬貨を一枚一枚丁寧に拭いていく。高値のつく硬貨かどうか確認しながら。

こんなに硬貨をじっくり眺めたことはなかった。

同じ年の硬貨でもピカピカの子もいれば、どれだけ苦難を乗り越えてきたのかぼろぼろの子もいた。

お金も人間と同じなんだと思った。

誕生したときは等しく同じ価値を持っていたのに、環境によって左右されてしまう。お金なのでどんなに見かけがぼろぼろでも価値が変わることはないが、見た目が大きく変わる。

大切に扱われる道を歩む子と、そうでない子。

たくさん旅をする子と、そうでない子。

まっくろくろすけになっている子は、特に丁寧に時間をかけて拭いた。

水の激落ちくんではピカピカにまではならなかったが、その方が味がある。落ちない汚れも生き抜いた勲章だ。


この作業は思いのほか時間がかかり、都合三日ほどかかってしまった。

今までの垢を落とした硬貨たちが、ティッシュを敷き詰めた容器に整然と分けられている。
一円も新しいビニールに入れられ、ご機嫌なようだ。

でも、問題はこれからだ。

この子たちは旅をしたがっている。このまま私の手元に置いておくわけにはいかない。何年もの間、私が気がつくまで根気強く声を上げ続けていたのだから。

どうしたらいいのか考え、セルフレジのお店で地道に使っていくことにした。おそらく枚数制限があるだろうから、一度に使えても30枚程度か。全部を使うのに一体どれくらいを要するのか。

でも、旅立たせなくては。

そんな使命感に燃え、いざスーパーへ行き早々に断念せざるを得ないことに気づかされた。

セルフレジとはいえど、レジに対し一台しかないところでは時間をかけられない。2台あっても、そこまで時間に猶予がない。

セルフレジは小銭を一度にたくさん入れられるイメージだったが、近所のお店はどこも口が小さい。そして硬貨を集計するのに時間がかかる。

自分の手で使って旅立たせるよう努力したが、もう限界だった。

「ごめん、銀行にいれさせて」

そう硬貨たちに頭を下げATMでの預入れを調べたところ、一日に無料で入金できるのは100枚までだった。支店巡りをすればいいのではないかと思い調べたら、やはり同じことを考える人はいるのだろう。同日に同口座に入金された総額により手数料をいただくと書かれてあった。

100枚までは無料だが、101枚から500枚までは550円、501枚から1000枚までは1100円とられてしまう。

数えたところ一円が580枚。

一円だけを一度に入金すれば520円ものマイナスだ。


全ての硬貨は諦め、一円だけを入金することにした。

100枚ずつ小分けにし、いざ銀行へ。

硬貨の入金は初めてだ。でも、ぱかっと開いてじゃーでおしまいだろう。そう思っていた。

仰々しく開いた扉の向こうに貯金箱の口が待ち受けているとは、夢にも思わなかった。

見た瞬間、声を立てて笑いそうになった。

「よし、いざ勝負」

時間がかかればきっと、音声で催促されることだろう。
その前に入金してみせる。気合を入れ、貯金箱の口にちまちま一円を入れていく。

結果、私の負け。

三分の二ほどのところで音声が流れてきてしまった。


通帳に記載された100の文字を見て、思わず笑みがこぼれる。
割に合わないかもしれない。
でも、えも言われぬ満足感で満たされていた。


あの子たちは今どこにいるのだろう。
今も旅ができているだろうか。
大切にしてくれる人と出会い、旅を思いっきり楽しんでほしい。

たくさんの経験をして、1円から5円に、5円から10円に。

そして、諭吉さんになって私の元に帰っておいで。

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