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時間旅行

突然、上野にある国立西洋美術館に行きたくなった。それは久しぶりに訪れた、強烈な欲求だった。

とはいえ、この状況下。開館しているかどうかすら定かではない。それでも、運を天に任せようと思った。

出先から足を延ばし、いざ上野へ!


久しぶりに降り立った上野駅は、閑散としていた。少し寂しい感じはしたが、これでいいとも思った。今までは、暇を持て余した老人だらけだったから。団体で行動する彼らは傍若無人、我が物顔。私にとって、団体でいる彼らは関わりたくない集団だった。

そして、一番納得いかないことがシルバー割やらなにやらで、老人が優遇されすぎていること。せめて人気がある展示のときは、正規料金で入った人の背後にルートを設けるなど、別ルートを設けてほしいと思ってしまう。正規料金で入っている人が、一番優遇されなければおかしいだろう。鑑賞を楽しみたければ、正規料金を払いなさい。

一番頑張っている中年に対する割引は、どこにもない。どこもかしこも、じじばばと子供にばかり甘い顔を見せる。

おっちゃん、おばちゃんも頑張っているんだ。人生で、一番しんどい時間と向き合っている。女性は身体が変化し、更年期という厄介なものと日々戦っている。

「私たち中年世代こそ、ちやほやするべきだ。いや、ちやほや甘やかしてください!」


美術館に来るたびに湧きあがる、怒りにも似た感情。彼らの姿がほとんど見えなかったため、清々しい気持ちで意気揚々と西洋美術館に向かった。

だが、近づくにつれ不穏な空気が漂う。建物がシートで覆われている。なにか部分的な工事をしているのかと思いきや、改装中で全館休館の文字が。

あえて事前に調べなかったため休館の覚悟はしていたが、まさかリニューアル工事中とは。「斜め上をいく」という言葉がよく分からないが、恐らくこういった事態に使うのだろう。私の想像の斜め上をいっていた。


はて、いかがするか。

一瞬立ち止まったものの、国立科学博物館には行ったことがない。よし、行ってみようと思い看板で確認すると、そこには完全予約制の文字が。

また、ふられてしまった。

気を取り直して東京都美術館に向かった。フェルメールがきているらしい。だが、これまた看板になにやら気になる「延期」という二文字が。この延期の意味が分からないふりを、とりあえずする。開催自体の延期ではなく、開催期間が延期されたのかもしれない。
少しだけ期待をする。

残念、淡い期待は儚くも散った。
3連敗。

だが、この日は公募作品の展示があり、無料で開放されていた。どれもすばらしかった。時間がたつのを忘れて見入ってしまった。有名無名にかかわらず、魂を込めて作られた作品は心に響く。すばらしい時間をいただけたことに感謝したい。

ただ残念なことは、書道が見れなかったことだ。書道だけ入り口で名前を書かなければいけなかったのだが、他の方があまりに達筆で、とてもとても私の字をさらす勇気がなかった。何人かの方の名前が記名されていたが、どれ一つ読むことすらできなかった。己の書の知識のなさが情けなくもあり、悔しくもあった。


まだ体力も余っていたので、東京国立博物館で開催されている「ポンペイ展」をのぞいてみる。

もう10年以上前のことになるが、イタリアを訪れた際にポンペイまで足を延ばしたことがある。実際に、ポンペイの空気に触れてみたかった。電車の中でポンペイについてあれやこれや語り合っているうちに、電車は目的地の駅に到着していたようだ。それに気がつかない私たちに、向かいに座っていた男性が声をかけてくれ、お礼も早々に慌てて下車した。

だが、見ることは叶わなかった。
その日は、ストが行われていた。
後にも先にも、ストで予定を変更したことはない。貴重な体験をしたポンペイ。

そんなことを懐かしく思い出しつつ向かったポンペイ展は、なかなかな混雑ぶり。時間入れ替え制と言いつつ、時間を過ぎても出なくてもいいようなことを言っていたので、中途半端な規制だと思った。とにかく説明がよく分からなかったので、私の認識不足かもしれないが。

ポンペイ展は、なにか物足りない。
あちこちで写真をぱしゃぱしゃ撮っていたので、その人たちに気を取られてしまい集中できなかったからかもしれない。いつまでも場を占有し、地蔵のように動かず写真を撮る人がいる。邪魔ですよアピールをしてみても、そういう人には一向伝わらない。人も多く、ゆっくり鑑賞を楽しむ場ではなかった。

だが、私も思わず1枚だけ写真を撮ってしまった。
くすっとした。
周りに誰もいなかったので、記念にぱしゃり。

ポンペイ

ケンタウロスも女性には頭が上がらなかったのか、それとも好色とも言われているので女性の恨みを買ったのだろうか。ケンタウロスもかたなしだ。

いつの世も、女は強し。


やはり美術館は楽しい。
まったく詳しくないが、心の栄養になる。

そんな中、江戸東京博物館が、4月から3年休館になると知った。大好きな場所で、何度も訪れている。初めて訪れた時に見た、精緻なからくり人形が忘れられない。あれ以来お目にかかったことはないが、ぜひともまた見たいものだ。


よし、明日江戸時代を旅しよう。


混んでいることを覚悟していたが、思ったより空いていた。しばらく見られなくなると思い、丁寧に一つずつ見る。

江戸東京博物館

最後の方に展示されているジオラマだが、これがおもしろい。ジオラマの精巧さはもとより、ジオラマをスクリーンに映し出し、物語仕立てにして魅せる。活き活きと生活していた江戸時代の人々の姿が、容易に瞼に浮かぶ。人形なので動くことはないのだが、言葉が人形に命を吹き込む。名前は失念してしまったが、ナレーションは落語家の方のようだ。噺家さんの話術は、すばらしい。

と思ったところで、「タイガー、タイガー、じれっタイガー」を思い出す。彼も話術を磨くために、噺家に弟子入りしたのではなかったか。当時は理解できなかったが、今なら分かる。噺家さんのしゃべりは、芸術だ。


江戸東京博物館のすぐ近くには、すみだ北斎美術館がある。小さくて、混んでいる印象しかないので敬遠していたのだが、今日は江戸時代を旅する日。

久しぶりに訪れたその地は、以前とは打って変わって空いていた。デザイン優先の建物は入り口が分かりにくく、そして、この日本で階段がないことは致命傷。あの場で震災に合わないことを願うしかない。


「あと10年、いや5年生き長らえたら本物の絵師になれる」  

北斎の最期の言葉とされる。
90歳まで生き、あれほどすばらしい作品を残してなお、満足することはなかった。高みを目指し続けた人生。だからこそ、時代を超えた今もなお、たくさんの人々から愛されるのだろう。魅了し続けるのだろう。


美しいものに触れ、心の洗濯ができた。
心に余裕が生まれた。

気持ちがいいので、秋葉原まで歩こう。

龍神さまと天使のはしご

途中、橋を歩いているときに天使のはしごがあらわれた。薄明光線というらしいが、天使のはしごの方が夢がある。

龍神さまの体から、天使のはしごが出ているようだ。首のあたりが雲で隠れているので、ほねほねザウルスのように見えなくもないが。

この写真を撮る前に、4444のナンバーの車を見た。4444は、天使さんが応援しているよという意味になる。その意味をさらに強調するために、光としてあらわれてくれたのだろう。


その車とは、秋葉原の直前でまた再会した。駐車していた車を見て、にっこりしてしまった。

何気なく出かけた江戸時代への旅だったが、天から思わぬ贈り物をいただいた。


西洋美術館から始まり、日をまたいでの江戸時代への旅。近場ではあったが、心に残る旅となった。

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