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ぼくの地球を守って

近所のパン屋が潰れた。

定休日だと思っていた。
次に通ったときも照明は消え暗いままだったが、たまたま同じ曜日に通りかかっただけだと思い気にもしていなかった。なぜなら、レジ袋有料になってからパン屋との縁は切れ、私とは交わらない世界になったから。

そんな中、ネットニュースで全店閉店の記事を読んだ。

行方知れずの社長に、残された52億の負債。感情を持っていく場がなく、やりきれない思いだけを抱えることになる、あまりに無責任な幕引き。借金の大半は銀行からの借り入れのようだが、倒産のきっかけとなったのは、レジ袋有料だと勝手に思っている。

これまでに色々なことが積み重なり土台はできていたのだろう。そこに、レジ袋を有料にしていいという悪魔の囁きとも言えるお達しが出され、経費削減の上に売り上げに出来るこの政策に、これ幸いと飛びついた。だが、その先に待っていたのは、客離れではなかったか。

レジ袋有料化は、店側にとって麻薬のようなものなのかもしれない。一度味をしめたら、簡単にもとには戻れない。

さらに恐れと、もしかしたら支配もあるのかもしれない。無料配布することにによって、環境問題を考えていない店とのレッテルを貼られることへの恐れ。そして、商店街などの縛りもあるのかもしれないと、これまた勝手に想像する。この商店街は有料、抜け駆け禁止など。


至る所をコンクリートで覆い地球の呼吸を妨げ、さらにその上にコンクリートでできた重い建物を建て地球に負担をかけ続ける。そして、地球を掘りまくる。今日もあちこちでマンション建設やら工事やらが行われている。ドリルで地球を傷つけている。

そんなことをしておきながら、地球を守るためにレジ袋有料にしましたで、地球が泣いて感謝するとでも思っているのだろうか。地球のためになくすためではなく、己の利益のために有料にするだけだ。


車道はムリでも、歩道は砂利道にならないだろうか。いまは技術も進歩して、いい砂利があるだろう。砂利なら防犯にもなるし、足腰を鍛えることにもつながる。過保護なまでの便利さは、人間の身体能力を奪ってしまう。便利=人間の退化。


いま、地球の息吹を感じる。
地球への感謝を忘れ、土地開発ばかりしてきた人間をなじりもせず、地球上で争いばかり繰り返す人間を深い愛で受け止めてきた地球が、目覚めようとしているのかもしれない。

やはり、ノアの方舟は実話なのかもしれない。


くじら、イルカ、ウミガメに過剰に反応する。かわいそう、かわいそう。
感情でしか判断しない。牛も豚も鶏も、同じくこの地上で命を与えられているが、粗雑に扱われる彼らの命はあまりに軽い。


指定ゴミ袋という謎の物体が存在する。東京はレジ袋をゴミ袋として使えるので私は使ったことがないが、お店で売っているのを見かける。

指定ゴミ袋の導入理由は、分別やごみ出しマナーの徹底、市外からのごみ持ち込み防止などのようだ。財源確保という一面もある。

これこそ一番ムダなものだろう。どちらかに絞ればいいものを、レジ袋と指定ゴミ袋両方を使用する。ゴミ袋になれないレジ袋は溜まる一方で、ゴミになる運命しかない。

環境、環境と事あるごとに口にしながら、指定ゴミ袋にはでかでかと何かが印刷されている。あれは、環境に優しいのか?

レジ袋が環境に悪いというのであれば、有料化の前にするべきことがある。まず、指定ゴミ袋の廃止。袋への印刷も廃止。そして、再利用に不向きな本屋タイプの袋禁止。全ての袋をゴミ袋として使え、また色々と使う用途が広がるレジ袋タイプに統一する、それだけでムダに捨てられる袋はかなり削減できるだろう。


いま、一部の人の欲を満たすために、多くの人が不幸せになっている。人にも環境にも優しくない。そして、つくづく日本の商売下手を実感し、また、客を見下している経営方針にうんざりする。

私なら、主力商品を10円、20円値上げして袋は無料にする。周りが有料なら、なおさらこれはチャンスだ。大手に右に倣えの店ばかりに、一石を投じることもできる。気持ちよく買い物をしてもらえるよう心を配る。そして、気前よくお金を使ってもらう。

エコバッグに入らない寿司桶タイプのものは、もちろん袋はサービス。どれほどの時間、手に抱えて持って帰るか分からない。食中毒のほうが怖い。エコバッグに入らない大きさのものは売らない、有料にするなら最低限のマナーだろう。


日本は自然災害が多い。
いつなにが起こるか分からない。
レジ袋は簡易トイレとして使えるが、有料になってから家の袋が乏しい。

日本には日本の事情がある。それを考慮せず、また主張することもできない。そして、いつでもしっぽフリフリ「わんわん」と、欧米に追随する。経済面では中国におもねっている。情けない姿。


人間が最大の環境破壊。

地球で生き続けるなら、小手先のごまかしなど通用しない。一部の人間のためではない、みんなが幸せになれる道を模索したい。

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