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意見の主語には、しっかりと自分を添えたい話

こんにちは。「仕様です。」(@Shiyoumasayume)という名前でSNSをやっているゲームプランナーです。ふだんはコンシューマータイトルプロジェクトでディレクターやプロデューサーがふわっと旗を振ったイメージを
具体的なゲームデザインに起こす仕事なんかをやっています。

突然ですが、ゲーム開発の現場では、作っている最中のゲームに対する様々な意見が飛び交います。

「この要素は面白くなっている」
「こっちは思ったより面白くなかった」
「このキーアサインは誤入力が多く手触りが悪い」
「こんなに強い敵は、ターゲットとする層は好まないんじゃないか」

などなど…。このときに気を付けたいのが、自分が発信する意見の主語に、しっかりと自分を添えるということです。

何かに意見を出すとき、人はきっと無意識に他人の目を気にしてしまうと僕は思っています。それは意見を届けたい相手の目だったり、その意見を見つける第三者の目だったり。

自分が掲げるのは的外れな意見ではないか。マイノリティな考えではないか。自分が言っても受け入れてもらえないのではないか…いろいろな要因から、ときに主語を省いたり、曖昧にしたり、自分の発言に説得力を持たせるために大げさな主語をまとったりするんだと思います。

僕自身、自分が出した意見への責任や自分の思考を露呈するのってすこし構えてしまうところがあるので、その気持ちはとても共感できます…。ですがその一方で、僕はゲーム開発を面白くする大事な要素のひとつは、自分が開発の輪に参加している実感を得られているときだとも考えています。

とくに集団でのゲーム開発は、参加する人々のキャッチボールによってより良い形に仕上がっていくことが多く、そんな現場でのキャッチボールに一番参加する方法はやっぱり"自分ごとの意見"を出すことなんだと思います。

意見を出せばそれに対するリアクションが起こります。(組織における意見の出し方や方法論はこのnoteの核ではないので省きます)しかしその意見に主語が添えられていない場合、いったいどんな目線で意見を掘り下げて検討すればよいのかわからない。自分がリアクションを受け取り、開発の輪に参加していくには、発信した意見の主語に自分が添えられてないといけないわけです。

僕の中では面白がってはたらくことへの憧れが強くて、関わっているものに対して意見を持つなら、頑張って「僕はこう思う」と添えていきたい。そして逆に「僕はこう思う」という意見を受け取ったら、その相手に向き合って議論を続けていきたいです。

また、これは意見の受け取り手になった場合の自戒ですが、意見の取捨選択はその意見を誰が言ったかであったり、多数派か少数派かという観点から判断しても意味はなくて。その意見の内容を精査して、取り入れるのかそうでないのかを判断していく必要があるのではないでしょうか。意見の確度についても、お互いの認識をすり合わせるという意味では取るに足らない意見というものは無いように思います。

相手が自分を主語に添えた意見を出しやすい関係を用意し、お互いに"自分ごとの意見"を掲げられるようにしたい。そんな話でした。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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