【質問箱】戦隊ものの人間ドラマの素晴らしさについて
こんにちは。皐月です。
今日は打ち合わせが2件あるはずだったのですが、急遽無くなってしまい、一日を原稿にさくことになりました。仕事の気持ちで待っていたから、こういうとき気持ちの切り替えがなかなかできません。
二宮カクくんという友人が、漫画の連載を始めることになりました。
大学時代からずっと彼の作品のファンで、同人誌を出していたらすぐに買っていた身としてとっても嬉しいです。皆にすごいって早くバレてほしい。
それと、昨日親友の伊瀬ハヤテを、初めてのお笑いライブに連れて行きました。
初心者でも楽しめる劇場、ハマらせるためにちょうどいい座組で……とコンシェルジュになるのはとっても楽しいです、いつも。
ライブ終了後、2人でお笑いの感想を語りながら歩く夜道も楽しいし、また行きたいと言ってくれたのもとっても良かった。こうやって、一緒に趣味を楽しめる人が少しでも増えてくれればいいと思います。
さて、このnoteでは、みなさんから質問箱にいただいたお題に合わせてお話をする場所にしています。
本格的にお題が無くなって来たので、困っています。(お気軽に、なんでもください)
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今回いただいたお題は
「戦隊ヒーローのここがいいという点を教えてください」
とのことです。
私の脚本作品しかよく知らない人からすると、「ウルトラマンの脚本家に、なんで戦隊のことを聴くんだ?」となってしまうと思うので、少しだけご説明をします。
私はもともと、ウルトラマンではなくスーパー戦隊の脚本がやりたい!と大学時代に夢を抱いていました。
21歳の夏、当時お笑い芸人をしていた友人から「アメコミが好きなら絶対戦隊ヒーローも好きだと思う」と、伊瀬に私がお笑いライブを進めてもらったようにコンサルをしてもらい、「時代劇が好き」「シリアスな話が好き(当時は)」「ちょっと間の抜けたキャラも出るとよりいい」という条件をもとに、「侍戦隊シンケンジャー」を勧めてもらいました。
もともと、プリキュアなどが好きだった私は、子ども番組を大人が観る、ということに抵抗がありません。なので、「どんなドラマなんだろうなー」という気持ちで、当時Huluで配信されていたシンケンジャーを観ました。
そして……見事に沼にはまりました。そうして今回の記事のヘッダーであるオタク棚が出来上がっていきます。やりすぎだ。
実は、幼馴染のお兄さんが『炎神戦隊ゴーオンジャー』にゴーオングリーンとして出ていて、ちらっと観たことはあったんです。でも、途中から観たから身が入らずうまく乗れなかった。
(その後観て色々狂ってファンアートまで描きましたが)
強く惹かれたのは、第一話冒頭シーンの殺陣でした。
シンケンマルという美しい刀の武器に移る、怪人・ナナシの造形美。そこから展開される、100人斬り相当の迫力アクション。
あれを見た瞬間に「絶対これ、好きですわ……八幡さん(勧めてくれた友人)すごしゅぎ……」とめまいがしてしまった。
推しは不器用ながらも、レッドよりもさらに高みを目指そうとするシンケングリーン。
ただ敵が来たら仲間と戦って爆破!という私の固定概念を覆す、「なぜ自分たちが戦隊として戦わなければいけないのか」と葛藤する人間ドラマ。
子ども番組という枠には収まらない美しい物語がそこにはありました。
なので、今でも私はスーパー戦隊が大好きで、スーパー戦隊だけをひたすら観ているオタクです。
おそらく質問者さんは、私がその沼に生息されていることをご存じだったのでしょう。ありがとうございます。これで気兼ねなくオタクができます。
(ちょいちょい挟んでいるのは私が前に描いたイラストです。圧倒的にスーツが好き)
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さて、「戦隊ヒーローのここがいいという点」についてなのですが、極論私は「スーパー戦隊」でなくてもいい、と思います。
最初から質問の山を崩しちゃだめだろ、と思われそうなのですが、ちょっと聞いていただきたい。
スーパー戦隊シリーズの魅力は「戦隊」であることではない、と私は考えています。
別に、戦いが無くても私は彼等の物語が大好きだから。
私が強く惹かれるのは、各シリーズで色濃く描かれる「どう生きていくか」と真剣に向き合う登場人物の人間ドラマです。
スーパー戦隊シリーズをご覧になったことのない方のために、先ほど初めて観た戦隊だと挙げていた『侍戦隊シンケンジャー』を例を出してみようとおもいます。
侍戦隊シンケンジャーの大きな特徴として、「戦隊そのものが世襲制である」という設定があります。シンケンレッドを任された志葉家の当主はすでに十八代当主。
古くから続いて「戦隊になる」ことが当然とされてきた十八代目のメンバーは「どうして勝手に将来を決められなきゃいけないんだ!」と抵抗をします。
それぞれに夢を持っていたメンバーにとって、血筋であること、世襲であることすべてが「人生の障害」になる。子どもの時から想像していた「仲良くみんなで敵を倒そう!」というハッピーなイメージとは大きくかけ離れていました。
これは、一年間、敵と戦うことを通して己の生き方を見つける人間ドラマなんだ、と、最初の話数で分かるからこそ、回り道のように見える物語がより魅力的に見えてくると、私は思います。
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では、仮面ライダーやウルトラマンも、人間ドラマを描いているのに、どうしてスーパー戦隊シリーズが一番好きなの?とよく聴かれます。確かにその通りではある。
この2シリーズと戦隊への印象については、あくまで個人的な好みの話になってしまうと思うのですが……。
印象として、スーパー戦隊シリーズの人々が抱く悩みの方が「等身大」だな、と私は思っています。
「友達と仲良くしたいのに、ついキツイ言葉ばかり恥ずかしくて言ってしまう」
「お母さんにありがとうって言いたいのに、喧嘩しちゃった」
「子どもに「お前が一番弱いな~」と馬鹿にされて傷ついた」
「同僚には自分が可愛いものが好きなんて絶対知られたくない!」
と、各話で語られる主人公たちの葛藤はあくまで小さく、それを積み重ねることで大きく人間として成長していく。
それがスーパー戦隊シリーズの大きな特徴であり、私が好きなところです。
ある日、私がものすごく強い力を貰ったとしても、「今日から私はヒーローだ」と切り替えることはきっとできません。
それよりも、周りの生活や、守りたい人、今の自分のできないものが色々あって、それと共にヒーローの力を背負っていかなければいけない。だからこそ、一歩ずつ問題を解決していき、ヒーローとして胸を張り、「皆を自分たちが守るんだ」と最終話で本当にボロボロになっても立ち上がることができる。
そういう人間臭さ、ヒーローとしてのいびつさ、それが私の大好きな戦隊の姿なんです。
子どもの時に観ていたら「あの子だってダメだった時もあったんだ」と、彼らの弱点と思われるところだって、勇気をくれたんだろうなと思います。本当は、もっともっと早く出会って観ておきたかった。
それでも、今、私が戦隊を見てもやっぱり元気を貰えているので、とりあえず「カッコいい大人になるためにどうしよう」と考えながらこれからも私はスーパー戦隊シリーズを愛し続けるんだと思います。
というわけで、「皐月彩の考えるスーパー戦隊シリーズのいいところ」でした。
今日はここまで。
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