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ピアノは鍵盤を押したら音が出る

『ピアノは鍵盤を押したら音が出る』
というのはピアノのとっつきやすさを表す常套句だが、この『鍵盤を押したら音が出る』というシンプルさ、さらに言うと『触り方が音になる』という原理がピアノという楽器の重要な特徴であるという話。
そしてそれがなかなか厄介で、奥深く、ピアノの大きな魅力だという話。

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ピアノのレッスンをしていると、こんなことをアドバイスする場合がある。
「この細かい音は一生懸命弾きすぎず、次のこの音に向かって流す感じで」
とか
「指先だけで弾こうとせず、腕や肩も意識してみましょう」
とか
「ここの高い音はもっと音を遠くに飛ばす感じで弾いてみましょう」
とか。
レッスン中は都度、もっとこうしたら良くなりそうだなと感じることをいろいろアドバイスしていくわけであるが、結局これら技術的なことに関してはほとんどが最終的に「鍵盤をどう押すか」もっとシンプルに言うと「ピアノにどう触るか」ということを伝えているなと思うわけである。

実際、ピアノという楽器は触り方でいろんな音が出る。指を下ろして触る、重力に任せて触る、ドシーンと触る、サワサワ触る、あるいはホロヴィッツになりきって触る、坂本龍一になりきって触る、親の仇と思って触るなど「つもり」を変えることでも音は変わる。
ピアノは「どう触るか」が音になる。これを突き詰めると、ピアノの音は「触り方」が全てであり、「ピアノ演奏を極める=触り方を極める」という極論も、あながち言いすぎてはいないような気がする。

ただこれ、言うは易しというやつで、この「触り方」というのは簡単に変えられない場合がある。
例えば、打鍵をするときに体がこわばってしまう人がいるとする。力抜いてくださいと伝えてあぁそうかとすぐにリラックスできるのならばよいのだが、「わかっちゃいるがこわばってしまう」ということは多々ある。(自分もそんなことばかり)
この場合脱力をするためには、体をこわばらせている「ピアノに対して染みついたイメージ」というものを払拭することが必要で、これがなかなか難しい。大蛇を首に巻いたヘビ使いに「全然怖くないよ、ほら」などと言われても、翼くんに「ボールは友達、怖くないよ」なんて言われても、怖いものは怖い。ピアノに対する既存のイメージを払拭するには、その人の中でなにかしらの認識の変化、言い換えればピアノに対する「新しい信頼関係」が必要なのである。

物を触るためにはその物との信頼関係が不可欠で、その信頼関係を築くためには、その人なりのトライアンドエラーが必要だ。「こう触ったらこうなる」「こう触ったらこうならない」を繰り返すことにより、その物との信頼関係が構築される。ピアノも然り。砂場で遊ぶ子供のように、いろんなやり方を試すことで段々とその人なりのピアノの触り方というものが構築される。

ピアノの触り方を追求するためには、単にテクニックを学ぶだけでは不十分で、自分なりにたくさん遊んで、試して、まず楽器との信頼関係を築くことが必要なのではと思う。
もっと言えば、その遊び、試し、がそのままその人のテクニックとして蓄積されていくのではないかと思う。
自分はレッスンの場でよく「ご自身でもいろいろ試してみてください」とお伝えする。
講師としては、その試し方、遊び方のヒントやきっかけを提供できればと思っている。

ピアノは「鍵盤を押したら音の出る」簡単な楽器であるが、その行為が簡単で直感的であるからこそ、その人と楽器との信頼関係がそのまま演奏に現れる。なのでピアノを弾く人にはたくさんピアノで遊んでほしい。
遊べば遊ぶほど、信頼が深まれば深まるほど、ピアノはますます楽しいということは、筆者自身が現在進行形で体感している。

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