他人への執着と恋の区別

#8月31日の夜に

10代の頃のモヤモヤを吐き出して、今の10代に安心感を与える(?)というこの企画、なかなか面白いと思います。
ということで、私がずっと、10代の頃から感じているモヤモヤについて書いていこうと思います。

内容としては、所謂 #性自認 とか、 #性的指向 だとか、 #LGBTQIA#LGBT )関係の話になりますので、そーゆー話は聞き飽きたわーという人はブラウザバックをお勧めします。


それではまず、私自身の分析というか、私が自分でカテゴライズしてみた結果がこちら。
・身体的性……女性
・性自認……たぶん女性
・性的指向……アセクシャルだと思う

アセクシャルって、最近は全く見かけないというほどではないですけど、まだまだ認知度は低いような気がしますので説明します。

アセクシャル(Aセクシャル)
無性愛。「性的な魅かれや性的関心の少ないこと」と研究者には定義されている。
日本ではノンセクシャル(非性愛)という言葉が生まれたため、アセクシャルは大雑把に言うと「恋愛も性欲もない人」という風に解してもらえばいいかと思います。


そう、今回の記事は #アセクシャル が主題です。

ちなみに私は友人に「四十七ってバイっぽい」と言われ、別の子には「天沢◯司くんみたい……!」とも言われ、男どもの胃袋を掴みすぎてお母さんポジションに収まるという、外部から見るとガタガタな性をしているらしいです。
女の子相手には紳士的に振る舞うのが当然だと思っているので、そういう誤解を生むんでしょうけど。
あと、男相手の殴り合いはありでも、女性相手に手は上げてはいけない主義。
恐らく、妹2人に優しくしなさいと教育された結果だと思われます。

それは置いておいて。
アセクシャルを自認している私は、誰かを恋愛的な意味で好きになったことがありません。
大切な人だとか、特別な人という感情を抱いたことはありますが、その人と〝恋人〟という括りの関係性になりたいと思ったことがないんです。

小学生の頃、少し遠い幼稚園にバスで通っていたため、入学時に知り合いが全くおらず、そのくせ学年1クラスのみ、しかも39人というレアケースだった時。
小学生ってどうしても面白い、明るい子が人気者になるじゃないですか。
そんな男の子と家がものすごく近かったこともあり、私はその男の子がいるグループでばかり遊んでいました。
もちろん、私以外はみんな男の子です。
川で着衣水泳もしましたし、山でエアガン装備のサバゲーごっこをすることもありましたし、誰かの家でゲームすることも多かったです。
そんな私をクラスの女の子は目の敵にして無視などされていましたが、正直、私はグループの誰のことも好きではありませんでした。
どう転んでも友達なんです。
バレンタインにチョコをあげることはなく、みんなで貰ったチョコを持ち寄って、混ぜて、好きに食べながらゲームをする関係でした。
……しかし、それも10歳頃まで。
男女という身体的性の差が出てくると、男の子たちも私と遊ぶのを避けるようになり、部活の時間くらいしか楽しみがなくなりました。
ちなみにその部活を選んだのは、元のグループのメンバーが多く入ったのが理由でしたが、単純に友達と離れたくないと思ったからです。
今更女の子の輪に戻れない私には、そこしか居場所がなかったので。

中学生の頃。
小学校と同じ敷地内にある中学校へ進んだため、クラスはほとんどそのままでした。
相変わらず女子の一部には避けられている中、小学校から続けていた部活が、人数の関係上、試合には出せないと校長から突然告げられ、他の部活に入るよう強制されました。
それまでは文化系の部活に幽霊部員として所属し、部活の時間は小学校に行って、大会になると中学校の名前でエントリーしていたのですが、新人戦が終わった直後に終了させられました。
それが理由で他の中学校に転校していった子もいるので、校長絶許でした。
そんな中学生活ですが、なぜか中学に上がってからやたらと私に話しかけてくるようになった女子がいて、その子に誘われるまま、次の部活を選びました。
そこから始まる、怒涛の恋愛相談の日々。
その子は4年くらいでしょうか、ずっと1人の先輩に片思いしていました。
おい、こちとら初恋もまだだっつーの。
そう思いつつ、相談には乗っていました。
小学校生活でぼっちだった時間全てを読書に費やしていた私は、知識でなら恋愛を知っていました。だから相談にはテキトーにそれっぽいことを返していただけですが、そのテキトーがまぐれ当たりして成立してしまったカップルもいたので、なぜか増える相談。
なのに、私には彼女らが頬を染めて話す感情が全くわかりませんでした。
付き合いたい?
何を言っているんだこいつら。
なんで、そんなことを思うんだ?
ずっとわからないまま、高校は私の他、クラスで進む人のいないところへ行きました。

高校では、地味子に徹しました。
教室の隅で、休み時間には1人本を読んでいるだけの目立たない人。
皆さんの思い出の中にいるかいないかわからない程度の薄さで存在する奴です。
ですが、いつの間にか何かを間違っていたようで、気付いたら男子と漫画の貸し借りをし、文化祭に関わるとある部門の長に祭り上げられ、球技大会ではクラス唯一のバレー経験者としてコートの守護神になり……、全く地味子になれていませんでした。
全校舎に響くようなラグビー部とバスケ部の男子部員によるハッピーバースデー合唱で誕生日を祝われたこともありました。一歩間違えなくてもイジメだと思うし、誰にも誕生日教えてなかったんですけどね?
そんなこんなで色んな人と接した高校生活ですが、誰と誰が付き合っているという噂は面白いので聞いていましたが、やはり付き合うという事象の必要性も何もわかりませんでした。
そういえば、バスケ部のJ。気の弱い隣のクラスの男子に私のメールアドレス聞くように命令してたの、お前だろ。何を狙っていたか知らんが、罰ゲームの対象にされる私の身にもなれよ。いくらデブスでも傷付くぞ。

大学生は二年の終わりにサークルで個人的大事件が起きるまで、本当に私の居場所でした。
ですが、彼氏と私が2人だけで会っていても全く気にしない彼女たちばかりで困惑しました。
うん、男友達枠に入れられてるのは知っていたけどね。
元々料理はできたので、大学に入ってから自炊を始めた男子の家に出張料理教室をしに行くことはよくありました。
2人で並んで台所に立ち、2人で食卓を囲む。
もちろんロマンスは皆無。
本当に男女分け隔てなく接していたため、恋愛相談も両方から寄せられましたが、私はさくさく意見を言って終了。
それなりに酒に強かったので、私が潰れたところを見たい有志により飲み会が企画されるも、普通に飲みきり、部屋を片付けてから雑魚寝。
宅飲みの時はいつもおつまみ作りを担当するため酒代も食材費も免除されていましたが、その代償はあだ名がお母さん。
好きな人がいない、と言っても理想が高いんだねと嫌味を言われなかったのは救いでした。

コミュ障(弱)なのでどもったり、名前を頑なに呼ばなかったり、色々難があった私とも交流してくれる優しい人が私の人生にはたくさんいました。
でも誰とも、恋人という関係にはなりたくなかった。
誰かと恋人になりたいという人の考えがわからなかった。
今もわかりません。

性嫌悪は少しあると思います。
下ネタもエロ漫画も官能小説もオッケーですが、自分の身に降りかかるのは全力拒否です。
強姦されかけた経験も要因でしょうが、そもそも誰ともそういう関係になる気が起きないんです。
単純に初恋がまだなのかと思っていましたが、多分アセクシャルなんでしょう。
そう思って、無理に恋愛だとか結婚だとかを考えないようにしたら、とても生きやすくなった気がします。

「他人の恋模様を見るのは面白いから好き」
『でも自分は傍観者でいたい』
「特別な友達とか先輩については独占欲も持ってしまう」
『でも恋人という枠には絶対に入らないし、入れられたくもない』
「恋愛はドロドロな部分もあるけど、互いを特別だと言い切れる関係には憧れる」
『でも私はその輪の外にいたい』
こんなすっごいわがまま感があっても、そういう人がいる可能性を今の社会は受容する方向に動いています。
好きな人が同性だと悩む人の存在はかなり認知されてきたと思います。
ですが、誰のことも恋愛的に好きにならない人だっているんです。
話題や反応を周りに合わせるのはコミュニケーションの大事なことだけど、合わせられない部分は合わせられないって認めてしまったほうが楽ですよ。


もしかするとノンセクシャルで恋愛対象が全性の可能性も否定はできないんですけどね。

モヤモヤは続く。
カテゴライズの安心はまだこない。

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