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あとがき

劇団どろんこプロレスpresents普通の演劇

「遠い窓に居る」

構成・演出 うんこ太郎

僕らは7月に劇場公演を打つ予定でした。4月頃、なんかいろんな劇団が中止になって、そのお知らせみたいなのが、うん、そりゃもちろん色々苦渋の決断みたいなのがあったり、予約してくれた方がすでにいたりして、それぞれ、そういう声明みたいなのを出さなきゃいけない事情があるだろうけど。なんか、だんだんと、そのお知らせも見飽きてきて、へいへいという感じになってきて、え、ていうか、別に公演やるって知らなかったんですけど、酔ってませんか?みたいな ひねくれた感情もわいてきて。あー、てか、自分の劇団だってそうだな、そもそも、告知する前だったんで、告知もしていない公演の中止を告知するって、それどうでもいい話なわけだ。ていうか、公演中止ってダサいな、と思ったりして。公演を行う予定だったということは、出演してくれるみんなにも、内緒にしてもらいました。

コロナが来て、稽古ができなくなって、5月までしばらく様子見ようみたいな感じになって。でも、感染者はどんどん増えて言って。あー、やっぱこれはダメだなぁってなって。劇団で会議して、とりあえず、劇場にキャンセル料金は払って、当然、赤字だけど、コロナ禍で内定取り消しする会社をディスるんなら、せめて、出演者さんに当初予定の半分のギャラは払おうってことになって。みんなも事情を汲んで承諾してくれました。でも、なんか。こう。自分たちは会社員で会社に守られていて、こんな中でも、あまり危機感なく、「演劇、趣味だしよ、まぁお金かかるの当然だべ。」みたいな感じで居るのは、仕事のおかげで。でも、座組を会社みたいなに考えるんだとしたら、「通常営業できないので、リストラです」みたいな、そんな無責任さを感じて。そんな中、日本のラジオさんは、形を変えて、普通に、当然ですって、上演に踏み切って。やっぱカッコイイな屋代さん。と思って。自分もなんかできないかなぁと思っていて、ツイッターを徘徊していたら、黒澤多生さんのZOOMで戯曲を読む会ってのが流れてきて。あー、とりあえず、行ってみることにしました。

はじめてのZOOM。マイクなしのイヤホンなのに、マイクありだと思ってしゃべってたせいで、言葉が飛び飛びになっていたことにも気づかない、ZOOM童貞っぷり。でも、そのとき、本読むひと以外にもお客さんがいて、笑い声が聞こえてきて、「あー、すげぇ、楽しい」って思えた。

それからいろんなオンライン演劇を見たけど、つまらんものばっかりで、何を見ても5分で「無理」ってなった。でも、普通に演劇見ても、趣味が合わないもんは無理で、きっとそういうもんなんだろうと思って。いろいろ漁っていくと、渡猛さんのZOOMでインプロみたいなやつを見て、「あーこれは面白いなぁ」とはじめて思えた。そのあと、舘そらみさんの0会もいろんな角度から実験していて勉強になったし、MOROHAの投げ銭ライブは映像越しでもマジで熱いもんを感じたし。そんなものたちに勇気をもらって、自分も、とりあえず実験として、やってみようと思った。

その時点で、ジャルジャルやら、レインボーやら、ノーミーツやら、コント的な面白いやつがどんどん出てきて、ネタはどんどん飽和していっていた。だけど、唯一、僕の好きなハイバイのような、人間が愛しく思えるようなお芝居は、まだ観ていなくて。やるなら僕はそういうのをやりたいと思った。題材とか別に新しく無くていい、刺激的でなくてもいい、普通の演劇でいいから、そういう芝居を作りたいと思った。

はじめは、前の座組とか集めて、実験をしようと思ったんだけど、なんか、それも、昔の彼女に恋愛相談するみたいでダサいなと思って、今回の座組と一緒に実験を行うことにした。きっと、引き戻る雰囲気じゃなくなるかもしれない。でも、引き戻る勇気をもってはじめたいと

「僕はオンライン演劇、どれ観ても面白いと思わないし、見る気にもならないんだけど。でも、もしかしたら面白いものができるかもしれないので、とりあえず、やっています。この二日間で、面白く感じなかったら、申し訳ないんだけど、やりません。」というところから始まった。

おもしろかった。

アイデアもどんどん出してくれて、最高の出演者さん達だった。

そして、僕らは公演を行うことにしました。


媒体はZOOM。お客さんを感じたかったから。アーカイブは残さない。動画では残せないものを作る。早送りはさせない。1本15分の短編、長くはもたない。公演は5月から5週にわたって10本・一話完結オムニバス、オンラインはすぐにすたれる、2回以上は出演させる。無料公演、投げ銭なし、とにかく見てもらおう、出演者さん+α出せなくてごめんなさい。

もし、6月に緊急事態宣言が回避されていたら、これを劇場に持っていこう

初顔合わせから2週間後に本番。台本もない、プロットもない。翌週までにプロットを作り、エチュードでシーンを作り、本番前日に集中稽古し、そのまま本番に向かう。

まぁでもどうせ台本作っても、覚えて作って、崩して、再構築して、飽きて、再構築して、みたいなプロセス踏むんだから、やれるべ。生け捕りだ。という無茶ぶりに付き合ってくれてありがとう、みんな最高だ。

そうして、プロットを作成し、向かった、次の週。見えたシーンと見えなかったシーンが、半々。さぁ、残すは前日稽古のみだ。やるぞ、やるんだ。

制作関係はカルテットオンラインで予約。IDとパスワードを公演当日に送るというシステム。こんなめんどくさいのにお客さん来るのかな、きっと10人くらいだよね。IDとパスワードを拡散されていまったら終わりだよね。なんて不安はいっぱいあったけど。初日、満席。ありがとう。

#1  「仮設の営み」「告知0」

「仮設の営み」

同棲中のカップル。男が在宅勤務中に、となりの部屋に彼女がいるにも関わらず、ライブチャットでオナニーをしていて、それがバレて、彼女が出て行ってしまうというお話。女は、清廉潔白で結婚するまでセックスはご法度という、古き良きマインドの持ち主。男は、彼女に帰ってきてほしくてZOOMで本気で謝るのだが・・・。というお話。

とにかく、本気で謝る姿ってのが見たかった。ちゃんと伝えなきゃいけないというシチュエーションを作りたかった。あと、AVで抜くのは良いけど、ライブチャットはダメっていうって、youtubeで配信される演劇のつまらなさ、と似てるなって思って。一線を超えないのよ、動画ってのは。だけど、ライブチャットも結局、本物のセックスの代用に過ぎなくて。それはリモート演劇って、結局代用だっていう。そういうことなんだ。なんて真面目なことはどうでもいい。初ステはくだらんシチュエーション。やっぱ、いつだって下ネタは笑えるよね。

「告知0」

できちゃった婚で婚約した二人は、これから二人で住む新居を買おうと考えている。そんなとき、お腹の子どもが流れてしまったことを告げる。というお話。

これは「告知1」というお話を作ってから作ったもので。とにかく、いくつもの死んでいった演劇を思いながら作った。舞台のこと、照明のこと、チラシのこと、楽しみにしていた、いろんなことが、日の目を見る前に亡くなっていくこと。楽しみにさせちゃってごめんなさい。どうせならはじめから、そんなことなければよかったのに。よくある置き換えではあると思うんだけど、今、やることに意義があるだろうと思って作りました。キャストは、吉祥寺シアターでのやみ・あがりシアターの公演がなくなった河村慎也さん、天ぷら銀河の公演がなくなった藤田りんごさんでした。


#2  「デマゴギー」「革命前夜」

「デマゴギー」

コロナ禍の都内の大学に通う息子を心配する、田舎の母親からテレビ電話がかかってくる。母の住む田舎では、都心との流通はストップし、市長の制作で町の周囲には外壁が立てられ、先日かえってきた隣の家の息子は、コロナ持ってきたとひどい扱いをされている。そんな中、息子はそろそろ都心を離れ、田舎へ戻りたいと思うも、テレビの様々なデマに熱せられている母との押し問答が行われる。というお話。

うちの親がそういう陰謀説とかそういうのが好きで、毎週のようにそんな電話をしてきていて。うけるなぁとおもって、作りました。きっとそういう人はたくさんいて、自分もそういうところがあって。でも、それは、この世の中に、何も信用できる情報がないから、不安でそうなっちゃうんだろうなって思って。そういう人間たちを滑稽に映したかった。あと少し、SFにしたかった。お母さん役を演じた、かくたさんが、ほんと、ほんまもんのヤバい人って感じで最高だった。不謹慎な発言が連発させましたが、それもまた閉じた劇場だから許される表現なんだろうなと、改めて、誰かが言っていた共犯性みたいなものの楽しさを感じさせてもらいました。

「革命前夜」

バイトを首になり生活に困窮した大学生の田辺と森山。森山は、とある検品のバイトをはじめ、田辺は、ある覚悟を決めて、森山に電話をしてきた。田辺は、この期間にリーダーと呼ばれる人物と出会い、感化され、この世の中を変えるために、革命を起こすことを決意したのだった。誰かがやらないなら僕がやる、何も役に立たないと思っていた僕にも役に立てることがあった。歴史の好きだった田辺くんは、その命を捧げることで、正義の一撃くらわすのだという。

ネットデモが起きていて。こんなときに、どこかで革命を望む、心ってあるだろう。そして、そういう革命をする人間は、自分が死んだとしても、別にどうだっていいと思っている人間だろう。弱くて、純粋で、馬鹿で。そういうやつがそそのかされて、虚しく死んでいく。そんなことが起きるのとても悲しいだろうな。田辺を演じた 劇団員栗林まんぞう、がホントにすばらしくて、愚者の鏡のようなお芝居で、泣けて、同時に笑えた。


#3 「音信不通」「人間の生活」

「音信普通」

ひきこもりの森ピン子のもとに、八木先生からテレビ通話で連絡が来る。今週末のオンライン卒業式に是非出てほしいということだった。先生はあくまで先生然とした言葉しか発さない。先生は、ピン子の将来のことを心配するも、どうにも伝わらない。ピン子のところまで届かない。先生は「オンラインって難しいね」という言葉を放ち、去っていく。

人の心を動かすのは、気持ちを伝えなければいけない。それはオンラインだろうとなんだろうと。オンラインになると、薄っぺらの言葉は余計、薄っぺらになる。その薄っぺらさを滑稽に映したかった。ボツになったシーンとして、八木先生、卒業式に政治的発言をするというシーンがあったのだけど。これはこれで面白くて、自分としては、親に「選挙、どこ入れるの」みたいなのをうっすらされるだけでも嫌悪感があって、その嫌悪感を出したいなってエチュードしてみたんだけど。なんか、そのときの、スピーチがなんか、薄くて。でも、その薄さが面白くて、できたシーンでした。あとピン子演じるキムライヅミさんの、つかめない感じのトーンが最高で。きっと二人の間のイライラを加速させて、とても良いコンビになるだろうと思ったら、とても良いシーンになりました。

「人間の生活」

ひきこもりの森ピン子の趣味は、となりのアパートの住人(並木実範(仮名))を覗き見ることだった。ある日、いつものようにゴリラのような彼をのぞき見ていると、彼がこちらを向いてしゃべりかけてきた。彼はいま、引きこもりが主人公の台本を書いているという。二人はどうにかその物語をハッピーエンドにすることを誓う。

観察というスタイルをやりたかった。ZOOMという形にもともと一番合っているだろうなと思っていた。そして、その距離を一気に縮めて、会話をしはじめたら、面白いだろなと思って作った。並木実範の演じる、劇団員勃起崎にはもともとは、森ピン子の幼馴染をやって、キュンキュン恋愛エピソードをやろうと思っていたのだけど、アラフォー勃起崎の高校生役というのは、さすがに劇場の魔法をかけないと難しくボツになった。勃起崎さんの部屋がとてもカッコよくて、あと、勃起崎さんは普段の喜怒哀楽の豊かな表情を眺めているだけで面白いので。観察というスタイルにピッタリでした。森ピン子演じるキムライヅミさんの目はビー玉のようにきれいでした。

#4 「花と空気と水」「隣にいる」

「花と空気と水」

会社が主催の地域イベントであるお花見の準備をしていた3人がオンラインで会議をする。しかし、このご時世、お花見はどこもかしこも自粛。やるべきではないという森山、自粛ならば有志でもいいのでやるべきではないかという佐藤、その間で右往左往する高田。3人の議論は加速し、佐藤はその場を離れることができず、おしっこをもらしてしまう。

オーソドックスな会議芝居。出捌けが物語を進めるというタイプ。出捌けがZOOMでも可能だし、動画形式でも物語が分かりやすい会議芝居は劣化せず面白さが伝わる。三谷幸喜も、ナイゲンも、生じゃなくても面白い。そういうのももちろん好きだし、あこがれる。だけど、自分が今、一番好きな芝居はそういう芝居ではないから、まぁ、こういう芝居って普通に面白いよね、っていう感じで作ってみようと思った。はじめにやったときから、面白かったからずっと練習を観ずに、放置してたら、本番前日に完全に発酵していた。「これはもはやあの時期ならば、花見の是非について議論の余地があったけど、今は、もう、花見はやるべきではないという議論に傾いているのではないか」なんていう、難しいことを語るところまで発酵は進んでいて。じゃ、一回台本書きまーす、そして忘れてくださーい、という無茶苦茶をやっることになった。できれば、もう一回やりたいなと思う。このお話は、もともと来年、自分がやろうとしていたお芝居のネタを切り崩してやったものではあったので、きっともう一回やるだろう。ちなみに、花は花見をしたい佐藤、空気は世間の空気を読む森山、水はおしっこを漏らす高田を表しています。

「隣にいる」

ひきこもりのピン子の家に、姉の晶子が帰ってきた。晶子は、結婚していて、子どもができた。だけど、母にも旦那にもそのことが言えなかった。晶子は、以前にこどもが流れてしまって、みんなを残念な気持ちにしてしまったという過去があったからであった。ピン子と話をしているうちに、晶子は中学のときにいじめられていたときの自分を思い出す。普通に幸せでやっているだろう母の期待を、裏切らないように、悲しませないように、いじめらていたことを隠し続けていた。毎日のように、明日は違うかもしれないと期待しては裏切られてを繰り返して、傷ついていた。期待のないところに絶望はない。悲しい気持ちは一人で抱えるがよし。「期待することに意味はなかった?」とピン子に聞かれ、晶子は・・・。

離れたところに居るという設定に挑戦したくて、隣に居るというシチュエーションを考えた。ピン子は声のみで、となりの部屋から声を投げかけることで、同じ空間ではないまでも、隣に居ることまではできた。ピン子が当初恋愛に悩む女子という設定だったこともあり、このシーンも迷走した。隣にいるけど見えない、会えないというやりたい設定から逆算していってキャラクター設定が決まっていった。だけれども迷走した。本番前日だというのに役者のゆっくり1時間身の上話なんかして、そのあとに、僕とピン子、僕と晶子でエチュードをやって、言葉を出して、最後にピン子と晶子でエチュードをやって。「よし、全部出た、あとは明日までに台本にしてくる」といって、本番の日の朝を迎えた。朝の4時くらいにメールを送ったにも関わらず、藤田りんごさんは、完ぺきに台本を入れてきていた。そして、1時間の自主練習のあと、見たら、本当にすばらしく、ゆっくりな時間の流れと、一言一言紡がれる裸の言葉が美しく、切実で、泣きたくなってしまった。前日の夜に、女性に扮しながらやっている自分のエチュードを聞きながら台本を書いたので、そのギャップが半端なかった。やっぱり、女性の役は女性の声で聴くと、本当に美しいな。

#5 「告知1」「つつましやかな日常」「芝の上に居る」

「告知1」

お腹に子どもができた晶子は、旦那の文也にはそのことが告げられないでいる。以前に、子どが流れ、残念な気持ちにしてくれたらからだ。文也は都内に出張中で、コロナのせいで、田舎に戻ってこれなくなっていた。晶子はいつも二人で暮らす部屋に1人で生活し、部屋に広さを感じていた。二人はまた、こどもができたときのためにと、ちょっと広めマンションに賃貸で住むことにした。だけど、文也も35歳。家を買うならそろそろ限界だ。文也は二人で住むのにちょうどいいような、平屋の物件を探していた。


このお話は、一番最初に作ったお話だった。自分たちのことだ。公演ができるかわからない、まだ、公演の告知すらしていない。だれにも言わなければ、誰にも知られないまま死んでいく。だけど、そのことがすごく悲しい。どうして、ここに座組があるにも関わらず、誰にも知られないまま、そのまま解散しなければいけないのか。でも、きっと、そのことがいいのだろう。二人にはハッピーエンドを迎えてほしかった。公演できるかわからない、やれなかったらやれなかったで、そのときだ。でも、今はすごく楽しい。みんなが、こうやって参加してくれて、一緒に作ってくれて、そのことがとても嬉しい。そんな気持ちと、文也演じる河村慎也の言葉が重なっていって最高だった。きっと同じように、重なってくれていたらと思う。

「つつましやかな日常」

革命前夜の前日談。大学の掲示板ではじめて知り合った連絡先を交換した田辺と森山、入学してすぐに休校。課題をこなす毎日。いつになったら普通に戻るのか、不安だけがつのる。そんな中、田辺はなんとなく森山のところに連絡をする。二人はお互いの近況と、どんなものが好きなのかを尋ね合う。森山は音楽が好きで、田辺は歴史が好き。田辺は森山にギターを聞かせてくれという。もしも、休校があけたら、ギターを教えてほしいと、田辺は言い、森山は約束をする。

歴史の好きな田辺くんは、その後、一度も授業を受けることなく首相官邸に突っ込んで死ぬことになる。二人のキャラクターが好きでシーン追加したシーンでした。村上春樹のノルウェイの森に出てくる突撃隊のオマージュキャラみたいなのをやりたかった。突撃隊もめちゃくちゃいいやつで、まじめで、でも、そいつが、ある日突然、いなくなってしまうことがとても悲しくて。そういうキャラクターをやってもらいたかった。僕らは話さなきゃいけないから、つながらないと不安だから、こうやって、いろんな方法で、切実に、手をのばして、つながらろうとしているんだろうな。と思う。そんな時間を愛しく感じてもらえればと思った。

君が居なくなって
誰かに会いたくなって

遠くてもそこに居るならと
窓を開けると

盛んに議論が行われていた

「君はどうだい?」
と唐突に聞かれて

あわてて窓のカーテンをしめて
目を閉じた

でも、そこには
暖かい春の日差しと
緑の芝生と
リアルな音とが
僕らを繋いで、そこに居た

「芝の上に居る」

お花見。会社の家族の人も、地域の方々も、一堂に会して。佐藤と高田と森山はパーフェクトヒューマンを行う予定。だけど、高田は緊張をして、コンビニのトイレから出てこない。晶子は子どもをつれてやってくる、八木と高田は仲直りして結婚をしたようだ、森山は都内の大学に通っている息子から送られてきたみりん干しをみんなに振舞う。ピン子はウーバーイーツのバイトをはじめたらしい。ピザ屋も一緒に参加することになって、高田も到着する。佐藤の挨拶と共に、みんなでプルタブをあけ、乾杯をする。高田はその合図と共に、ケツのプルタブはあけられてしまう。ハッピーエンド。

#3の客入れ中にプルタブをあける音がして 、お客さんと一緒にプルタブをかえたいと思った。#4の客だし中に、あー。同時多発会話やってねーなとおもって、やりたいと思った。松居大悟のJUMPOVERでバイノーラルラジオドラマをやるって聞いて、そうかその手ががあったかと思った。ということで、目をつむって、声だけど、同時多発会話を成立させることで、客も含め、全員がそこに居るということを実現したいということで行った公演。ほぼ前日に台本をあげて、正直、同時多発やったことないんだよねー。というところからスタート。藤田りんごさんからの冷静なアドバイスと、こんなノリを許して一緒に模索してくれたみんなの心意気のもと、模索・模索・模索で「お、いけているかもしれない」という状態までこぎつけた。あとは、本番当日のお客さんとプルタブをあけるのみ。

「遠い窓に居る」というタイトルには、「とまどい」という意味が含まれていた。急に、普通の演劇ができなくなって、普通の日常がとりあげられて、信じられる情報が何もなくて、そんな中にいる我々の表現だからだ。それ以外に、「芝居」に代わる言葉を探していたというのもある。芝居というのは、同じ芝の上に、ただ、客席と舞台がなんとなくぼんやりと分けられて、そこで演劇が始まったところにあるらしい。いくつものオンライン演劇をみて、これは演劇であっても芝居ではないと思った。それは、くっきりと、画面の中とここには仕切りがあって、ここは僕の家で僕の部屋なのだ。同じところに居ないんだ。普通の演劇を実現するためには、「芝居」を実現しなければいけない。そこ居るのだと、お客と演者、お客とお客、がそこに居ると感じられるものを作らなければいけない。それが僕の好きな演劇で、大学に入ったばかりの淡泊な僕の心を動かしてくれたものだ。いまだって、そうだ、笑ってくれるから、声をひそめてくれるから、緊張してみててくれるから、拍手をくれるから、いや、すべったときのしーんも含めて、お客さんがいるから、舞台が楽しい。お客さんとしてだってそうだ、「え、これ笑っていいの」っていうものを、笑ったら、となりのやつも笑っていて、「そうだよね、これ笑えるやつだよね」と、肩を寄せ合って、同じ方向を向きながら会話をしている。それが舞台だ。そういものを作りたいとおもって。でも、どうにかそれはできたんじゃないかなって思う。最後の、「芝の上に居る」は、芝居のことだ。真っ暗な中だけど、想像力で、僕らは同じ芝の上に居れて一緒にプルタブをあけれたと思う。


最後の公演が終わって、僕らははじめてリアルな空間で一緒に酒を飲んだ。

不思議な感じがした。でも、それは完全に千秋楽の打ち上げだった。


帰りの電車の中で、電池のギリギリの中、劇団員に

「トリコロールケーキみたいなお芝居をしたいな」といったけど、


次の日の朝。七月での劇場公演は撤退することに決めました。


劇場でやりたかったかもしれない、この演劇のために。いや。ちがうな。がんばったアピールをしたい、自分のために。いや、奇跡みたいな座組がここに存在したことを示すために。

なんでもいいや。書くことにしました。


どろんこプロレスの次回公演は、来年です。

まだ劇場は決まっていませんので

三鷹星のホールさん、いつでも、お声かけお待ちしています。


すべての演劇に愛を込めて。

劇団どろんこプロレス うんこ太郎

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■ 劇団どろんこプロレス presents 普通の演劇「遠い窓に居る」

構成・演出:うんこ太郎


「仮設の営み」
出演:長谷川なつみ、浅田鎮歩

「告知0」
出演:藤田りんご、河村慎也

「デマゴギー」
出演:かくたなみ、豊川涼太

「革命前夜」
出演:栗林まんぞう、豊川涼太

「音信不通」
出演:長谷川なつみ、キムライヅミ

「人間の生活」
出演:勃起崎鋼太、キムライヅミ

「花と空気と水」
出演:河村慎也、浅田鎮歩、かくたなみ

「隣にいる」
出演:藤田りんご、キムライヅミ

「つつましやかな平和」
出演:栗林まんぞう、豊川涼太

「告知1」
出演:藤田りんご、河村慎也























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