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獅子舞生息可能性都市 秋田編② 獅子舞は山に登り、マラソンに挑み、葬儀される

秋田の暮らしについてどのように考えていくべきか?獅子舞を地域の素材を使って創作し実際に舞い歩きながら、この土地に獅子舞は生息できるか?という視点から迫っていく「獅子舞生息可能性都市」という企画。2022年4月22日から5月1日の日程で滞在を行なった。前半の様子はこちらのnoteをご覧いただきたい。

後半は男鹿半島の寒風山、大潟村、五城目町などでゲリラ獅子を実施したのち、最後に獅子の葬儀を行った。その時の様子を振り返っていきたい。

寒風山という野生

秋田市の中心市街地を覆い隠す雪という野生は、春となり消えてゆく。春が芽吹くと、その野生の故郷を男鹿半島という先端に求めたくなる。

4月29日は男鹿半島の寒風山に向かった。途中、大雨が降り出した。周囲は霧に覆われている。獅子を被り歩き始めると、魔物が襲ってきたようで、あっという間に獅子は食われていく。新聞紙という胴体は雨に溶かされて朽ち果ててしまう。ただしそこに養生テープという人間の発明が獅子の骨格として残っていく。

手元を狂わせてはいけない。ダンボールという顔面をしっかりと握りしめ、野生に挑む。寒風山の頂上には展望台という人間の欲の塊が存在している。しかし、駐車場から展望台に向かうまでには、禿げた大地が横たわり、そりすべりをしたくなるくらいに僕らを惹きつける。道端にはシバやススキが生い茂り、木は皆無だ。ここは人間が火入れをすることでその植生を保っている、半自然半人間の大地である。

靴を脱いで裸足で歩いてみると、大地から声が聞こえて来るような気がした。

大地:これ以上踏み入れば突き刺すぞ。
稲村:いや、僕はあなたを理解したいだけなんだ。

僕はとにかく対話がしたいと思った。でも強く踏み込めずに、道端に跳ね返される。とりわけ名もわからない茶色い草によって、人工道に跳ね返されたのがなんだか悔しい。草が繁茂する大地に意表をつかれた。

大地:さあ、これが大地だ。
稲村:踏み込めない大地があるとは..。いや、私たちはそもそも勝っているのだ。獅子頭と胴体をよく見よ。水に濡れて、朽ち果てなお、その姿を留める顔と骨格がある。これは獅子の野生化だ。僕ら現代が作り上げた資本主義と大量生産の世界は野生化に成功したのだ
大地:いやお前は野生というものをまだ知らない。

獅子は途端に道端にうずくまった。顔をピクピクと動かした。口を微小に開閉させ、やや微笑み、そして静まり返った大地の目線を一身に受けるように、そこに存在していた。

僕はある物語を思い出した。ヤマトタケルが伊吹山で白いイノシシに殺され、鳥となって天空に飛び立った物語だ。英雄でも野生によって殺められる。ヤマトタケルはもしかしたら獅子だったのかもしれない。

大潟村という俗世

秋田県内で唯一人口が増加し続ける孤島のような大潟村。そこはどこにも属していないある意味、天界のような土地であり、人工物の塊のような土地にも思える。

八郎潟という琵琶湖に匹敵する大きな湖が人間の手によって埋め立てられ、それを取り囲む堀のように八郎潟の残骸が残っている。船山さんが運転する車「獅子号」はこの八郎潟の残骸を人口橋を渡ることにより、大潟村に入ることができた。

どこまでも広がる田畑と防風林と道路。草木は生えているのに死んでいるようにも思える。龍のようにうねる複雑性は失われ、ただ直線的な菜の花ロードがどこまでも続いている。

どこまでも続くように思える直線は、少なくとも10km以上の道のりがある。この道中、獅子は獅子ではいられない。どうしても稲村という人間が獅子を超えて顔を出してくる。途端にマラソン選手の気分になってきた。

「走れ」という指令を頭に埋め込まれたAI人間が、獅子の登場を許さない。車道のスタート地点に降り立った。右側から猛然と来る車と左側からのろのろと直進しようとする私たち。その中心の白線に立って、見えないゴールを静かに見つめる。さあ、マラソンの始まりだ。

船山さんが運転する獅子号を追いかけるマラソン選手の稲村。獅子を持って最初はくねり走ろうとするのだけれども、どこか疲れてきてただ自分の走りに集中する。それにカメラを向ける工藤さん。獅子が重たくのしかかってきて、「腰を曲げて獅子頭を被りなさい」と吠えているようにも思える。

それでも疲れてきて背筋を伸ばし、腕振りに意識を戻したくなってしまう。疲れれば疲れるほど、獅子のベールは剥がされてしまい、稲村という人間が顔を出す。しまいに獅子は腕振りの妨害をする堅物と化してしまう。

これほどに獅子が生息できない土地というのも珍しい。足元はどこまでも道路が続いている。道端には菜の花と防風林。その景色が変わらないから、どうしても頭が同じことをぐるぐると考えている。八郎潟の干拓により、農業の生産性は向上して、住民の所得が安定したことは言うまでもない。しかし、その一方で獅子という野生を奪ってしまったことも否めない。

僕は10kmの道のりを走りきることはできなかった。2km地点で船山さんは車を止めた。体力の限界と筋力の衰えを感じる。いや、それよりもこれを続けたところで、これ以上の気づきを見出すことが難しいという感覚にもなった。だから僕は車というシェルターに避難して、次の町に向かうことにした。

五城目で感じた、ゲリラ獅子の2面性

僕らはそれから五城目町に向かった。工藤さんと船山さんが、五城目は「ごじょうめ」だけでなく「ごじょうのめ」とも呼ぶらしいという話をしていた。なぜ「の」をつける人々がいるのだろうか。よくわからないけれども、その話を聞いていて、ただ新しい獅子舞観念との出会いを予感させた。

五城目はもともと、林業者が住んでいた村だ。船で加賀など北陸から渡ってきて住み着いた人がいるらしい。ある意味、まれびと的な存在に寛容かもしれない。五城目では「ものかたり」というアートギャラリーにゲリラ獅子を仕掛けた。ゲリラ獅子はまれびとを抽象化した存在だ。それに対してアートギャラリーのスタッフさんたちは、どのような反応を示すだろうか。

まずはガラス張りのギャラリーの窓を端から端まで往復してみる。中のスタッフはまったく気がつかない。建物の内側の人々は何が怒っているのか気がつかない。一方で外側にいる車に乗った人々が「何だあれは!」という驚いた顔で見つめてくる。

さあ、ここまで気がつかないなら、扉をあけてみよう。そろりそろりと扉を開けてみる。中にいるスタッフ(小熊さんの奥さん)は「何事だ?」とぽかーんとした表情でただ立ち尽くす。獅子は動かない。動かないスタッフは動かない獅子を見つめる一方で、動かない獅子は動かないスタッフを見つめている。その視線には大きな緊張感が走る。視線が交錯した時、緊張感を解かねばならないという気がして、獅子を脱ぐ。

稲村:こんにちは!
スタッフ:こんにちは!あーびっくりしました。不審者かと思いましたよ

知り合いという認識がそこに生まれ、稲村はスタッフを小熊さんの奥さんだと認識する。スタッフという決まり切った呼び名から、小熊さんの奥さんという認識に変化することで、どこか安心感を感じて体の緊張がときほぐされる。

さて、小熊さん(旦那さん)は今、ワクチン接種に行っているらしい。今度は違う獅子を仕掛けて、帰ってきたところを驚かせてみよう。そういうサプライズを思いついて、工藤さんと船山さんと仕掛けを考える。カホンの音とともに、蔵から獅子が飛び出してきたら面白いのではないか。そういうことを考えて、実際に小熊さんが帰ってくるのを待った。奥さんが電話をかけてくれた。「今どこ?もうワクチン接種は終わった?」。どこか怪しげな確認のお電話であるが、小熊さんにとってはワクチンの痛みとともに、それどころではないだろう。

それからほどなくして、「ガラガラガラ」という微小な音とともに、病的で静かな小熊さんが帰ってきた。3呼吸くらいおいて、船山さんのカホンが響いた、「ドンドンドドン」。蔵の扉は開かれ、獅子が低い姿勢でそろりそろりと姿を現した。

小熊さんは先ほどの奥さん同様に立ち尽くしている。獅子は体を左右に揺らしながらウロウロして、次第に小熊さんの頭を噛んだ。そして、カホンの音は止み、稲村が獅子の中から顔を出した。「あ、ワクチン接種した腕を噛まないと」と思って噛み直した。僕らの登場にあっけにとられた様子だったが、獅子が終わると拍手をしてくれた。

ボロボロと取れた雨に濡れた新聞紙を拾おうとすると「これは縁起物だから」と言ってくれてそれを制止した。そこで、ああ、獅子は神として認識されているんだと思った。

よくよく見れば骨格だけになった獅子も神々しいものだ。小熊さんは獅子を一時的に獅子を床の間に飾った。そして、「よく似合っているなあ」と呟いた。小熊さんの奥さんと真正面から向かい合った獅子はどこか不審者のようであったが、小熊さんの旦那さんをサプライズした獅子はどこか生き物のようであり、奥さんは「これは獅子らしいねえ」と呟いた。

このエピソードは、ゲリラ獅子に2つの性質があることをはっきりと示していた。前半は不審者的な恐ろしさを感じさせる負のゲリラ獅子。後半はサプライズをして驚かせて元気付ける正のゲリラ獅子だ。獅子は獅子殺しと言われるように厄として払われる場合もあるし、厄を払い人々を幸せにするありがたい存在として見られる場合もある。この両側面を五城目の「ものかたり」というギャラリーで目の当たりにしたのだ。

同時に、新しい獅子の神話が生まれた。獅子はなぜ厄を払ってくれる存在なのに厄として払われる存在なのか。地域によってその解釈は違うけれども、そもそもその両者をつなげることに多くの人々は疑問を抱いてきた。なぜ相反する性格が共存するのか。その理論づけに対する試みはほとんど行われていない。それが個人的なゲリラ獅子によって明かされた瞬間だった。

ゲリラ獅子はどこまでも人間の真相を暴く存在だ。そういう獅子の面白さを直感してくださったのだろうか。帰り際には小熊夫妻は「なぜか寂しいなあ」といって獅子を暖かく見つめてくださって、手を振って明日葬儀される獅子を惜しんだ。「五城目の朝市に出店してみては?」とか、「バズらせたいねえ」とか、話が盛り上がって、楽しいゲリラ獅子だった。

獅子の葬儀

4月30日、展示最終日の空は晴れ渡っていた。昨日までの雨が嘘のようだ。GWで人がいない空っぽの秋田公立美術大学を後に、僕ら3人は海辺に向けて歩き出した。獅子の葬儀をやらなければならない。

発端は2月に獅子舞チームのミーティングをした時のことだ。獅子を葬儀することが新しい生命を生み出し、その更新によって獅子舞が文字通り生息してその土地に根付くかを確かめようと考えた。しかし、それから1ヶ月ほどして、我々の目的は獅子舞を根付かせることではないことに気が付いた。これは土地を読み取るフレームワークなのであって、短期的に土地を転々とすることに意味があるとわかってきた。

それから、獅子の葬儀の4日前。石倉先生と対談した時だった。そういえば獅子の葬儀の話、してなかったよなあと船山さんと話をした。葬儀は獅子舞を根付かせるための、言わば更新し続ける生命体のための儀式だったはずだ。でも獅子舞を根付かせずに点々と土地を移動する場合であっても葬儀は必要だった。なぜなら、僕らは伝統の創出により、後世の人々に継承という縛りを与えたくなかったからだ。

この縛りは未来永劫その土地に生き続け、継承を途絶えさせると村八分という呪いを生み出すことにも繋がる。だから住民たちは義務感とともに意思とは違うところで継承せねばならない。これでは何かがおかしい。精神と身体の不一致を引き起こしていく。だから、僕らのコンセプトはゲリラ獅子なのだ。その瞬間を生き、その瞬間に死ぬ。そこで発明した舞い方は根絶させなければならない。飼い犬を殺す中国貴州省の残忍な祭りを思い浮かべながらも、あれこそが真っ当な生き方だと肯定する。そういう想いのもとで、僕らは獅子の葬儀を執り行う。

葬儀される獅子と筏

太鼓はボワーンと音を鈍らせる。獅子は昨日の大雨でもうすでに骨格を残すのみだ。葬儀のような実感がどことなく漂ってきた。秋田公立美術大学を出て、雄物川沿いを歩いていく。ドンドンドドン。空があまりにも高くて遠くて澄んでいるから逆に寂しくなって、これから黄泉の国に行く獅子の気持ちが少しわかった気がした。獅子を被ったら、こんなに体が小さくなっていたのかと実感する。段ボールの獅子頭はもう掴む所が破けていて。なんだか嘘みたいな気持ちで獅子をゆすり、右に左に振ってみる。

それから道路をそれて、川沿いの道を歩いていく。なぜかここから野生が溢れ出してくる。人目がなくなった瞬間に、3人の獅子舞ユニットだけの空間が立ち上がる。周りの草木に目は付いているけれど、人がいない分決まりが曖昧だ。だから、僕らはこの無法地帯にも近い場所で堂々と表現ができる。獅子はスキップをして天を仰ぎみる。そして空気をゆっくりと吸い、太陽の光を浴びて、堂々とした川の流れに目をこらす。

人気のない川沿いの道をゆっくりと海岸に向けて歩く

一方で、川岸はゴミだらけ。その横にはクレーンが何台も動かずに置かれている。たまに、車の轍が現れる。なぜか強い意志のようなものが沸いてきて、それを踏みつける。クレーンにぶつかる。なぜ、獅子は死ななければならないのだ。獅子の使命があるとすれば、人間に野生を思い出させることだ。それが叶わない限り、獅子は死に続けるのかもしれない。声を出したらなんだか空虚な遠吠えになってしまうような気がして、とにかく力強く轍を踏みつけた。踏むという行為は願いを表し、大地に強く訴えかける。

そんな獅子を突如、アクシデントが襲った。水路の蓋が外れて、水路にはまってしまったのだ。獅子が自らの面の下に人間の息の根を宿し、その内側の人間の腕と膝に傷をつけたと言うべきかもしれない。人間は獅子という被り物を身に着けることで狂い、半分自分の自我を失っている。

狂ったその精神状態は人間の危機意識を麻痺させる。頭がぐわんぐわんと揺れだす。高架下を通った時、厄意識は最高潮に達する。バコーンという凄まじい歯打ち音が橋を脅しにかける。人間から理性を取っ払った無法地帯が人の本性を暴き出す。野生において、秩序はほとんど機能しない。しかし、人間の奥底にある願望が顔を見せ、それが自分を唖然とさせる。

それから小船が停泊する小さな港に出て、おじさんが見て見ぬ振りをしながら前方から歩いてくる。そこで一瞬我に帰る。海岸に車が停まっており、再び我に還る。しかし、それらを退けるような動作をして、ただ前に進む。水色の海が見えてきた。とにかく人がいないところに行きたいので、ひたすら移動をする。

たどり着いたのは、川の河口付近から少し離れた浅瀬だった。そこで、死を拒み震える獅子を無理やり何度も海水に浸そうとする。しかし、なかなか浸らない。それを繰り返しているうちに獅子の胴体が破れる、あるいは溶けてくる。悲痛な叫びが聞こえてきた気がした。

この獅子の全身を海に流すのは惜しい。この海岸に何か獅子が戻ってこれる目印のようなものが必要な気がしてくる。そこであたりを見回すと、木が何本も立てられた墓のような場所を見つける。ここに胴体を鎮めるしかない。まずは手で砂を掻き出す。それから、ぐるぐるぐると流木で円を描くように砂を掘っていく。途中から獅子の頭に縫い付けた糸を無理やりちぎって胴体を剥がし、丸めてそのぐるぐるとした渦に投入する。みるみるうちに、地中に吸い込まれていく。獅子頭に流木を突きつける。胴体との繋ぎ目は獅子頭を突き刺す槍でもある。その御柱を神の依代とし、解体寸前の獅子頭だけを被り、その場を一歩一歩後にする。

獅子頭にはもうほとんどエネルギーが残っていない。暴れることもなくなってきた。目の前には太陽にキラキラと照らされた海が未だ見えぬ向こう岸の大地まで続いている。この先にあの世がある。獅子頭という魂を海の向こうまで、何としてでも届けねばならない。この獅子はゲリラ獅子として生を受けたならば、ゲリラ獅子としてセミのような短い一生を閉じねばならない。ここで、工藤さんの肩から筏を降ろしてもらう。

獅子頭はそのまま海に流しても良かった。でも、工藤さんと船山さんが作り始めた筏に乗せて、ぜひ旅立ってほしかった。だから、筏に獅子頭をくくりつけることにした。獅子頭を筏にくくりつけようとすると獅子はびくっとしてなかなか定位置におさまらない。なかなか獅子を筏にくくりつけることができず、動作をゆっくりにして思考する。

結果的には、やむなく獅子頭をバラバラに解体してくくりつけることにした。舌顎、鼻、目から頭頂部という3つの部位に分割する。古代日本人が歌い舞った室寿(むろほぎ)の歌を思い出す。日本人は元来、もったいない精神というものを大事にしてきた。だから、生き物を食し一部を装飾品などに活用する際に、その部位の一つ一つに感謝を捧げてきたのだ。そのようなことを考えながら、獅子頭の3つの部位を頑丈に紐で筏にくくりつける。なかなか頑丈にくくりつけることができない。すぐにすり抜けそうだ。とにかく隙間を埋めようと試みる。

試行錯誤の末に、獅子は筏に括り付けられた。筏は一歩一歩足を引きずりながら、波をあびて海の構成要素、すなわちあの世の一部に組み込もうとする。獅子はどこか怯えて心の中で叫んでいる。途端にいたたまれなくなって、僕の獅子舞のお気に入りの部位である鼻をもぎ取り、右手でぐちゃぐちゃに握りつぶす。「これが勇気だ。さあ、旅立つのだ!」。そのような思いを拳に握りしめ、それに海水を含ませて絞り出す。そういう行為をただ繰り返しながら、強い意志で念じる。獅子を送り出した暁には、ビンに詰めて持ち帰ろうかと思う。しかし、波はいくら沖合に流れていこうとも帰ってくる。それとともに、獅子も海岸に帰ってくるのだ。もしかしたら、この握りつぶした鼻が獅子を海岸に戻しているのかもしれないとも思う。そこで、鼻を海に投げる。

獅子はようやく沖合を目指したかに思えたが、数分してまた浜に帰ってくる。それならばと思い、獅子に背を向けて走り出す。自分が最後を見届けるのが良くないのかと思い、ただただ走る。そして、川と海との境目にたどり着く。ここは沖合への流れが強いことを知る。そこで、再び漂着してしまった獅子の筏を持って、川と海との境目を目指す。筏を引きずりながら、線をただひたすら描きながら運ぶ。美しいラインが獅子の筏の軌跡を描いていく。そしてたどり着いた川と海との境目で、獅子の筏を力いっぱい放り投げる。これでもかというくらい高く遠くまで弧を描く。

ああ、これで最後だと思う。これ以上の葬儀はない。未練を残さず、獅子の筏は恐ろしいくらいに早い海流によって沖に流されていく。キラキラと光る美しい海に投げ出された獅子の筏は、ゆらゆらと不安定に浮きながらも徐々に姿が小さくなって行く。そして、点のようになって見えなくなる。その後ろから小型船が高速で現れ、同じ軌跡をたどり、エンジンの力によって沖合に漕ぎ出していく。獅子の姿はかき消される。先程の獅子の筏の姿が、船の姿にシンクロして同時に幻を見ていたような気持ちになる。ただし、おおらかで美しい海はただその姿を堂々と横たえて、どこまでも続いている。

ここで、工藤さんの撮影は止まり、約2時間の沈黙は破られた。2時間だったのに、1日分を生きたような気持ちになる。この高揚感はなんだろうか。葬儀をした実感は沸いてこない。ふわふわとした感覚の中で大学に戻る。途中2人とここでああだった、こうだったという話をして、自らの行為を振り返る。船山さんに夜、温泉まで送ってもらった。温泉と自らの身体が何かうまくはまったような気がして、多少は疲れを自覚する。

瞼を閉じると獅子が海を流れていったことを思い出し、瞼を開けば温泉の薄暗い照明がキラキラと光りだす。最近、寄せては返す波のような繰り返しの現象に寛容になった気がする。頭がぽわーんとしたまま、いつもより少し長風呂が出来た。それから温泉を出て、交通量が多い道路に出て、厄を感じる。同時に車のエンジン音やタイヤと道路の摩擦音などのノイズが厄をかき消す。同時に自らの視界に少し霧のような膜が生まれており、世界を深遠なるベールで包み込んでいる。それから滞在先のアラヤイチノに帰った。

実は僕はこの獅子の葬儀について、なかなか書くことができなかった。言葉が降ってこなかったのだ。書くのもはばかられるような厄に阻まれて、何度も筆が止まった。野生的なモノを語るとき、その美しい物語は厄に襲われがちである。だから、本稿でも厄の存在を虫食い的な誤記方法で語ることで、それを超越しようと試みたがそれも難しかった。たぶん、厄は本当は存在しなくて良いものである。野生は厄さえも平等的に語ることを許すからだ。

しかし、現代の人間社会は物事に優劣をつけたがる。江戸時代にはえた・ひにんのような階層が生まれて、それらの人々が秋田市中心部の芸能の担い手であった時代もある。だから厄が生まれるのかもしれない。さて、なぜ僕が獅子の葬儀についての文章を書けたのかといえば、5月2日の午前2時半頃に高速バスの中で腰の痛みと酔いによって目覚めたからだ。ひどく痛みを感じ、体を丸めるようにそれを和らげた。そして、魔物に襲われたような恐ろしさを感じた。

次の日の朝はからっと晴れた清々しい朝だった。なんだか、獅子の葬儀の日に帰って来れたみたいで嬉しかった。だから、文章を書き始めたのだ。精神と身体と文章と。それらがシンクロしないと物事は語れない。不便だけど、美しい世界。これからも新しい獅子を作り続け、厄まみれの人々の意識を顕在化させねばなるまい。

編集後記 秋田の獅子舞生息可能性

秋田県は「消滅可能性都市(2014年,総務省)」に指定されている市区町村であり、人口減が著しい都道府県の1つである。一方で、数多くの民俗芸能をもち、それらが断絶の危機に瀕している。また、男鹿半島をはじめとしたマレビトが漂着する海岸線をもち、歴史的にはロシア人が漂着したとか、鬼が来たとか、様々な伝承が残る。それゆえ、海の彼方にある常世の国、あるいは大陸に思いを馳せるのに適した場所であるように思われる。この土地に、現代のマレビトであるゲリラ獅子という存在が来訪したとき、現地の人々はどのような反応を示したのかを振り返ってきた。

秋田では獅子を舞えば人々が反応を返してくれる。バス停のおばあさんが手を振ってくれたり、照れながらも信号待ちの時にスマホを向けて獅子舞に出会った記念ということで写真を撮ったり、学生食堂で獅子舞に頭を噛まれてくれたり。獅子舞という異物を話題にするだけの心の広さがあるのだ。なぜか自分の行動を静止して、獅子という異物を凝視できる余裕がある。だから、概して秋田の獅子舞生息可能性は高いと言えるだろう。

一方で秋田という土地には「さびしくなりたい」という意思を感じる。冬の秋田は雲が低く垂れ込め、雪がしんしんと降り続ける。秋田市の中心市街地という資本主義の城郭と化しつつある街においても、雪が降る土地ということで、自然の猛威に抗うことはできない。冬の季節はどこまでも雪という野生と向き合わざるを得ない。秋田は札幌のように自然と対抗するために商業地や地下鉄などを地下に配置し、地底民と化すことはなかった。あるいは、仙台のように七夕が生息する膨大なアーケード街を抱えているわけでもない。ここに寂しさを受容している土地の意思があると感じる。これは獅子の意思と考えても、そう遠くない話であろう。

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(執筆: 稲村行真)

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