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僕の獅子舞日記 第百三十六話【息を潜めて】

第百三十五話「ただならぬ二人」

家に帰ってシャワーを済ませると、時刻は二十二時半だった。

音羽は朝型の人間なので、もしかするともう寝ているかもしれない時間帯であったが、僕はなりふり構わずに彼女に連絡をとってみることにした。

『今日、体調不良で準備に来ていないって聞いたけど?大丈夫?』

いつもは二分以内に来る返事が、今回は三十分もかかった。

『うん。明日はちゃんと行く。』

『わかった。明日はよろしく。おやすみ。』

僕のこのメッセージに対して、彼女からの返信が来ることはなかった。

そのあと星さんに『こちら、明日は来るとのことです。』と二十三時過ぎに連絡すると、返信が来たのはそれから二時間後だった。

メッセージを確認すると、通くんもちゃんと明日の本番には参加するとのことだったので、僕は「ふー。」と息を吐いて胸を撫で下ろした後に、星さんに返事を送った。

『手こずったんですか?』

『まず返事すらくれねえんだよ。ダンマリ決め込むなら今から家に押しかけるぞって送ってやったら、やっと返事くれたわ。すみませんでした、明日は行きますやと。』

『了解です。大変でしたね。お疲れ様でした。』

『これで明日の本番に二人とも来んかったら、獅子頭をあいつらに弁償させような。』

星さんのこのメッセージを確認できたのは、朝の六時半だった。

疲れと安堵が同時にやってきたことで、僕の意識が薄れてしまったからだ。


七時半頃に寺の中に入ると、法被姿の音羽が青白い顔で僕に挨拶をした。

「おはよ。」

「めちゃくちゃ顔色悪いじゃん。もしかしてまだ二日酔いが続いてんの?」

僕は挨拶をも忘れて音羽にそう言った。

「もうやばい。今日一日もたないかも。」

音羽は手でその真っ白な顔を覆った。

「あのさ。一昨日に通くんと何があったわけ?」

僕は周りに聞こえないようにこっそりと音羽に尋ねた。

「私ね。もう頭おかしいのかもしれない。」

音羽も僕にかろうじて聞こえるかくらいの声でそう呟いた。

「いきなりどうしたの?」

僕がそう尋ねても、彼女は白い手を顔に覆ったまましばらくその状態で黙っていた。

そして僕にたっぷりの間を与えた後に、彼女はやっと口を開いた。

「私ね」

しかし、ちょうどその時に寺の中で梅さんの声が大きく響き渡った。

「はーい。皆さーん。出発ですよー。」

音羽は何か言いたげな顔で僕の顔を数秒見つめていたが、結局彼女は言葉にすることはなく、玄関に向かって歩いていった。


通くんが祭りに姿を現したのは初野神社に向かう途中だった。

普段着の上に法被を羽織った彼は、音羽とは違って元気がなさそうな様子は見せず、いたっていつも通りな感じであった。

夏目さんが『道中』を叩いているところに、通くんが「代わります。」と声をかけてバチを受け取り、太鼓を叩き始めた。

僕の隣にいる音羽は笛を吹きながらも、その通くんの姿を穴が開きそうなくらいにじっと見つめていたが、彼が後ろにいる僕らの方を振り向くことはなかった。

健人は百足獅子の蚊帳の中に出たり入ったりしていたが、常に他の獅子方と談笑していて、僕ら囃子方のところには近づいてはこなかった。

そのまま祭りは進行していった。

しかし、例年と違って僕、音羽、健人、通くんが祭りの間中に互いに何か言葉を交わすことは一度もなかった。

お昼の休憩中に、寺の中では、皆が獅子頭を囲みながら話し合っていた。

「午前中、動かしとって問題なさそうやったし、今日一日くらいは大丈夫そうやの。」

星さんが、獅子頭の透明な接着剤が塗られている部分を優しく指で触れた。

「おう。いけるいける。でもカズと健人が頭(かしら)の番になったら、お構いなしに勢いよく動かすから心配になるわいね。」

尾端さんが言った。

「え?俺は普通に動かしてるだけっすよ。カズちゃんだろ?アホみたいにバカバカ動かすのは。」

「ケンティー。人のせいにするのはよくないわいね。しかもアホみたいにやと?今のは侮辱罪に値するわ。うん。130万の慰謝料やちゃ。それで獅子頭作り直すから払われま。」

カズさんが手のひらを上にして右手を健人に差し出した。

「無茶苦茶すぎるだろ。意味わかんねえわ。」

その場にいた獅子方たちが大いに盛り上がっている中で、通くんは部屋から廊下に移り、そのまま玄関から外へ出た。

手に電子タバコを持っていたので、おそらく寺の外で一服するつもりなのだろう。

音羽も玄関から外に出た。

様子が気になった僕は、こっそりと音羽の後をつけることにした。

寺の敷地を出て、右の角を曲がったところの道路で、通くんは一服しているようだった。

音羽が彼を追いかけて、「通くん。」と名前を呼んだ。

僕は角を曲がらずに、その前で立ち止まっていたので、二人の様子は見えずに声だけが聞こえた。

そしてそのまま僕は姿がバレないように息を潜め続けた。

第百三十七話「冗談じゃない」

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