いつの間にか「文章」と疎遠になった

だから僕はnoteを始めた、という話です。

0. はじめのはじめに

初めての投稿となります。赤川矢紗久といいます。
初投稿の所信表明(?)も兼ねて、最近めっきり「文章」が書けなくなってしまったなあ、ということについて自己紹介がてら述懐したいと思います。

1. いつの間にか「文章」を書かなくなった

わたしの簡単な自己紹介になりますが、わたしは半年ぐらい前まで大学でレポートや論文に追われていた2020年卒・4月入社の若者です。そんなフレッシュさに溢れていた新社会人のわたしですが、はたして入社から9月現在までの期間で、どの程度「文章」を書いていたでしょうか。

記憶にある限りではありますが、ゼロと言って差し支えないと思います。

もちろん、わたしも一般の社会人と同様に、業務で社内/社外に送付するメールや通知文を毎日・何通も作成しています。しかし、それらはわたしがかつて書いていた種類の「文章」ではないのです。

たとえば。

○○課長
お世話になっております。○○係の赤川です。
標記の件、○○会議に諮る必要がありますが、
昨今の状況を鑑み、メール審議としてよろしいでしょうか。
以上、お伺いいたします。

あるいは。

標記について、令和2年度○○調査を実施しますので、ご協力ください。
つきましては、別紙様式に必要事項を記入のうえ、
○月×日(金)までに○○係宛に回答をよろしくお願いいたします。

これらは誇張が含まれた例ですが、わたしが日常業務で書いている文は、①どの案件について、②相手に何をしてほしいかのみを、③最低限の言葉で説明することを目的にしています(無論、このような記述の仕方は、業務上必要な情報のやり取りをしたり、指示を伺ったりするための文面としては間違ってはいないと思っています)。
他方、わたしが書きたい「文章」は、①ある論点・案件について、②伝えたいこととともに、根拠や背景にある事情を添えて、③十分な量の言葉を綴って説明するものであって、(例のメール文面のような)数行程度の、さまざまな補足情報を簡略化して説明する文とは目的と趣向が違います。
この点を踏まえると、確かに大学卒業以降のわたしは「文章」を書くことをサボっていたのです。

2. いつの間にか「文章」が書けなくなった

場面は変わって、先日、諸事情で学生時代のバイト先の業務に関する引き継ぎ書の手直しをする機会がありました。ちゃんと構成に留意して文章を作成するのは、およそ卒業論文を執筆して以来のことになります。
さあ書こう。
......。
............。
書けない
どこから、何を書けばいいのか見当がつかない

過去にも執筆中に突然筆が進まなくなることはありましたが、今回はそれとは事情が違いました。そもそも執筆を始められないのです。

思い返してみれば、大学在学中は、定期的にレポート課題や試験(+就職活動のエントリーシート)などでまとまった量の文を書いていましたが、これが「文章」を書くトレーニングとなっていたのでしょう。しかし、大学卒業後、「文章」を書く習慣と動機が失われ、かつ、必要最低限の要素だけを残すような表現方法に慣れてしまった結果、どうやら「文章」を書くための能力が衰えてしまったようです。

その後、悪戦苦闘の末に引き継ぎ書の手直しはどうにか終わらせましたが、その過程で感じた具体的な能力の衰えは以下の三点です。

2-①. 思考・論点の整理ができなくなった

業務の中でも感じていたことですが、執筆に取り掛かる前の、準備段階のパフォーマンスが落ちたように感じました。
私の執筆のスタイルは、最初に論点を列挙・整理し、文章の大まかな構造を設計して、その後に文章の骨格に肉付けするような形で内容を充実させていく、というものでしたが、準備段階にあたる「論点の列挙・整理」がどうにもうまくいかないのです。これは、いわゆる「要約力」とか「論理的思考力」とかいうものが衰えたものと思われます。

2-②. 語彙・表現が乏しくなった

執筆を始めたとしても、綴っていく文の表現方法がワンパターンで稚拙なものになっていました(もともとそうだった、と言われるとぐうの音も出ません)。日常で使用している言葉が、ビジネスやら行政文書やらで使用されるようなテンプレの言い回しばかりのため、世間一般に出回っている書き物で使われるような表現を流暢に使えなくなったようです。
もちろん、他の人が書いた文を読んで表現の意図を理解する、ということはできますが、それを自分自身が自然に文章中に使用することができないのです。それは、英語のイディオムをReadingの場面では理解できても、そのイディオムがSpeakingの場面ではパッと出てこない、ということと似ています。

2-③. 話題を広げる・深めることができなくなった

書きあがった文章の量が明らかに以前より減っていたのですが、読み直してみると、話題の広がり・深まりがほとんどない文章となっていました。文章から要素を削ぎ落すことは得意になっていましたが、話題をさらに充実させることは苦手になっていたようです。

3. これからの「文章」との付き合い方について

そんなわけで「文章」を書くことが苦手になってしまったわたしですが、別に「文章」なんて書けなくたって、必要最低限の文面さえ書ければいいんです!と割り切ってしまってもよいわけです。「文章」が書けることは日々の業務を遂行する上で必要不可欠ではない、と言ってしまいさえすれば、わたしの能力の衰えは特段気にする必要がないものになります。

しかし、わたしはそうしたくありません。なぜなら、かつてできたことが今となってはできず、さらにそれを自ら受け入れてしまう、ということに悔しさを感じるからです。
能力が衰えたのならば、かつてそうしたように能力を鍛え直すだけです。たとえ日々の業務では必要不可欠でないとしても、「文章」を書くのに必要な能力は、いつか「文章」を書く以外の場面でわたしにしか使えない武器となるはずです。だからこそ、自分の武器となる能力を取り戻すために、わたしは「文章」という存在ともう一度向き合いたいのです。

自分語りに終始する文章でしたが、じゃあ具体的に「文章」を書けるようになるのに何をするの?という話だけ最後に付け加えます。
結局は、いろいろな「文章」を書く練習をすることに尽きるでしょう。しかし、以前は大学のカリキュラムの中で「文章」を書き、評価される機会が十分に担保されていましたが、そのような環境から離れてしまった現在の状況では、「文章」を自発的に書くことができなければ、「文章」を書く機会はもはやほとんどありません(いわゆるOn Job Trainingで経験できれば話は別ですが......)。なので、まずは、「文章」を書く環境ないし習慣を得る必要があります。そして、わたしの場合、そのためのツールとしてnoteってやつを始めた、というわけです。

今後の方針についてですが、月に2本を目途に、2000~4000字ぐらいの文章を定期的に書く、というところを目標にしたいと思います。
テーマはフリーにしますが、少なくとも要約可能な文章(=「天声人語」的な、ただ思いついたことを書き並べるタイプの文章ではなく、ある主張や結論に向けて戦略的に構成要素を綴っていくタイプの文章)を書くことが自分に対して課す条件です。
反論などのフィードバックがあれば最高ですが、そこまで望むのは贅沢ですね。自分でやります。

どこまで続くか見通しは立ちませんが、どうぞよしなに。

<要約>
わたしは最近、根拠や背景事情を明らかにした十分な量の文章を書かなくなった。結果、そのような文章を書くのに必要な、文章を要約する力・さまざまな語彙や表現を用いる力・話題を展開または詳述する力などの能力が衰えてしまった。しかし、わたしはそのような衰えを受け入れようとせず、文章を書くのに必要な能力を再び鍛えなおす取り組みとしてnoteを始め、文章を書くことを習慣づけようとしている。

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