ストーリーを超えて

昨年の話になってしまうのだけど、リチャード・パワーズの「オーバーストーリー」を読んだ。

それほどたくさん本を読むわけではないけれど、間違いなくここ数年で一番面白い小説だった。

タイトルのオーバーストーリーという言葉。ストーリーを超えたなにか、という意味合いなのかなと和製英語的な頭でなんとなく思っていたけれど、全然違った。

英語のoverstoryの意味は、林冠層。森の上の葉っぱがもじゃもじゃしているあたり、という意味だ。

タイトルの通り、小説は森や木にまつわる話。オムニバスのような美しい小話が後半にかけて複雑に、量子的に?重なっていくさまが本当に見事だった。作中には、数々の樹木の名前と、それにまつわるエピソードが登場する。知性と感性が丁寧に編み込まれたような文章に、何度も息を呑んだ。

オーバーストーリーの意味は勘違いではあったけれど、ストーリーを超えた何かを感じた。思想よりももっと純度の高い、自然科学に似た何か。

誰かと感情や価値をが分かち合うためには、短く一言で表すことはとても大事だ。けれどやはりその過程で抜け落ちてしまうものがある。物語は、伝達の過程で捨象されるその何かを確実に、読み手の元へ届けてくれる。それは曖昧で、頼りなく、時に反社会的で、野生的で、本能的なものかもしれない。

メビウスの輪のように、知性は野生とつながっている。捨てようのない野生のために、たぶん人間は自ら不条理を生み出し続ける。

その営みを美しいと言うのはいささか無責任なようにも思うけれど、地上から林冠を見上げるような、その先の空が垣間見えるような美しい小説だった。

物語に登場する数多くの樹木の名前。アメリカの歴史。社会問題。もっとパーソナルな問題。時空を自由に横断するように、物語が練られている。彼の知性と執念によって、多分アメリカに暮らす人が読むと僕以上に、自分が今立っている点から見渡す景色の、解像度の低さに愕然とするだろう。

歴史の重みを感じようとか、他者への共感を育てようとか、そういう説教臭いことを言いたいわけじゃない。物語を書くというのは、自然科学の一部として、世界と人の営みの解像度を上げていく、解き明かしていく仕事なんだと思う。

僕も極東からそんな作品を書き続けていきたいなと、胸を熱くさせてくれる作品でした。

#読書感想文

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