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わたしのおんがく道②

バイオリンを習い始めたのは、小学校5年生の時だったと思う。

モーツアルトから音楽に目覚め、コンサートホールでオーケストラを体験し、すっかり弦楽器の虜となった私は、親にどうしてもバイオリンが弾きたいとせがみ、バイオリンを買ってもらい地元の小さな音楽教室に通いはじめたのだ。

教材は鈴木メソッドだったと思う。
確かメソッド3巻の課題曲がゴセックのガボットで、発表会でそれを演奏した記憶がある。

同時に、この頃ドラゴンクエスト2が発売され全国の少年たちに大ドラクエ旋風が巻き起こる。

「おうじょなかまにした?」
「まだ。だれだよおうじょって(ネタバレいうなよ…)」
「船てにいれた?」
「まだ(船とかあんのかよ…)」

このような会話が毎日のように少年たちの間でかわされていたのだ。

今では想像もつかないが、昭和の当時はスマホなんてものは当然存在せず、放課後家に帰ってからの友達同士のネットワークは、手紙と家にある電話くらいしかなかった。
だから今の子供たちと違って、みんなで愛の鐘(夕方に鳴る防災無線のチャイム)が鳴るまでギリギリまで名残惜しく公園で遊んでいたんだと思う。

いつの間にかクラスの間でドラクエ2を一番早くクリアしたやつこそがえらいということになり、さらにクリアした者は電話で報告するルールができた。

競争は一斉にスタートした。
家の電話が鳴るたびに焦り、その相手が友達ではない事にほっと胸をなでおろす。
極限的一喜一憂の精神状態。皆がアスリートのようにクリアを目指す。コントローラーを握りしめた手も思わず汗ばむ。これぞ元祖e-sportsである。

とんでもなく厄介な洞窟にきたぞ…。
今までに無かった高い難易度の洞窟に手間どいつつ、私は考えていた。
ゲームはもうクライマックスに近づいているのだろう。
あと一歩、あと一歩先を急げばクリアだ…。
おれはクラスで一番えらくなれる。絶対えらくなる。
親の仇のように配置された落とし穴の位置を方眼紙に何度も書きこみ、数歩ごとに魔物にエンカウントするこの洞窟をやっとのことで抜けた時、今まで見たこともない一面の雪景色がブラウン管の画面を埋め尽くし、禍々しいBGMは消え、一転して流麗な旋律がテレビのスピーカーから奏でられた。

極度の緊張感を抜けた後に、想像もつかなかったような場面になり流れた懐かしいフィールドのBGM。なんだこの安心感と感動は。えっ?エモっ。
あぁ…もうクリアなんてどうでもいいじゃないか。今はこの音楽を永遠と聞いていたい。
私はコントローラーを置き、ロンダルキアで流れるこの曲「果てしなき世界」を何度もループさせ聴き入っていた。

ゲーム音楽に興味を持ったのは多分この時からであろう。
クラスで一番えらくはなれなかったが、かわりにドラクエ2のオーケストラバージョンのカセットテープは誰よりも一番早く手に入れた。
大好きなオーケストラの曲が、ゲームの重要な場面と合わさると10倍も20倍も感動する。そんな凄い力がゲーム音楽にはあるんだなと思った。

この後も音楽好きは高じていき、6年生ではクラス合奏の楽譜を自分で用意したり、音楽委員会に入ったり、音楽の先生と仲良くなったり、とにかく学校で考えられる音楽に関する事はすべて関わっていた。

そして、小学校の卒業文集のタイトルも「音楽とぼく」という徹底ぶり。

そんな音楽バカが中学生になり、どうなっていったかは次回にお話ししよう。

続く

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