5年生が「割合」で壊滅するまで、その4〜そして「割り算」しか、子どもの頭には残らなかった〜

1月の下旬。5年生の「割合」の単元も終わりに近づいていた。

2クラスとも予想どおり壊滅していた。壊滅としか言いようがない。「もとにする量」「比べられる量」「割合」の3つの言葉が子どもたちをかつてないほどの混乱に陥れていた。「単位あたり量」を何とか生き抜いた子どもたちもここで脱落した。

学習をすべて終えた後の「まとめの問題」の一問目。「定員」と「参加希望人数」の表から「割合」を求める基本問題を解ける子はほんの数人。先生たちは3つの「公式」を思い出すための「く・も・わの図」を黒板に貼り出して当てはめるように言うが、まったく役に立たない。何が「もとになる量」で何が「比べられる量」なのかが「わからない」のだから公式に当てはめることができないのである。

パーセントの意味も割合の意味も誰も理解していない。前に立っている先生さえも。「小数点を右に動かすんだ」という「やり方の話」しか、先生には「できない」。

少しでもわかるようにと「先生〜!!」と呼ぶ子どもたちの間を回り図を描き、割合やパーセントの意味を教え、「本当は難しくないよ」と説明しようとした。でも、子どもたちは「かけ算か割り算かだけ教えて」「答え教えてくれていいから」とお手上げ状態だった。「割合」は、理解できる可能性のあるものだとは、もはや誰一人として思っていないようだった。もちろん先生も。

円グラフから割合を読み取る問題でも混乱したままの子どもたちの頭の中には「かけ算?割り算?」しかない。

円グラフ

         (東京書籍平成27年度版「新しい算数5下」pp.66-67)

表にすでに割合が書き込んであるのに、「和歌山県の収穫量は全体の何%ですか?」という問題に、「168900÷19」をして「8889%」と書く子どもたち。目に入る数字をとりあえず割り算する。

「全体のおよそ何分の1ですか?」という問題は「何分の1」の意味から教えなければならない。円を描いて、「これが1/2、これが1/4、これは?」と確認する。「何倍」も同じく。そう。子どもたちはここからつまずいているのだ。5年生になってからというもの、ずっとここからつまずいているのだ。

...........................................

5年生で学習する「割合」は、小学校の算数の中で多くの子どもたちがつまずく単元だと言われている。平成27年度、29年度の学力テストでは、基準量(もとにする量)や比較量(比べられる量)を求める問題の正答率はそれぞれ13.4%、13.5%という低さであった(国立教育政策研究所発表)。

「割合」の単元は、初めに、割合は「もとにする量」を1と見た時、比べられる量がどれだけにあたるかを表した数であり、「比べられる量÷もとにする量」という式で求められることを学習する。次に、「比べられる量」は、「もとにする量×割合」、「もとにする量」は「比べられる量÷割合」の式でそれぞれ求められることを学習する。これらの計算式は3つの公式として扱われる。割合を表す0.01を1%として、割合を%に直すには「100倍する→小数点を右に2つ動かす」、%を割合に直すには「100で割る→小数点を左に2つ動かす」と習う。

割合ノート1

割合ノート

割合ノート2

 
問題を解く時には、子どもは問題文を読み、与えられた数量のうち、どれが「もとにする量」で、どれが「比べられる量」なのかを判断し 、割合を求めたり、二つの数量のうちのわかっていないほうを求めなくてはならない。子どもたちは3つの公式を思い出すための「く・も・わ」の図を学校で教えられる場合が多く、わたしが支援に入っていた5年生の2つのクラスでもそうであった。

しかし、子どもたちは問題文から「もとにする量」「比べられる量」がわからず、どちらの数量を問われているのかがわからないので、「く・も・わ」の図を描いても、立式のしようがないのである。

3つの公式は、子どもたち自身が考え、グループやクラス全体で話し合った結果、見出されたものであるという形をとっていた。しかし、友達や先生の説明を聞いてその時は「わかる、わかる」と言っていても、多くの子どもは本当には理解しておらず、理解したと思っていることを思い出すことができなかった。これは今に始まったことではない。「割合」を理解するのに必要な、算数の基本的な言葉や概念が習得されていない上に、「もとにする量」「比べられる量」という、とてもわかりにくい言葉を使って「割合」の問題を考えるように求められ、子どもたちは幾重もの「わからなさ」に押しつぶされている様子であった 。

子どもたちのつまずきはずっとずっと前から、言うなれば入学直後から始まっていた、とわたしは思う。

教科書の「まとめ」に書かれている「計算の手順」や「言葉の式(公式)」に誘導することを目的とし、子どもたちが間違え続けることを前提として組み立てられている「問題解決学習」。いったんそれらの手順や公式が導かれたあとはひたすら手順をなぞり、公式に当てはめることを求めるドリル学習。問題文から状況は「イメージできているもの」という前提で、すぐに立式することを求める先生たち。「式」「答え」をセットで書くことを求められるドリルやテスト。図を自力で描くことよりも「言葉」や「式」で説明できることのほうが「優れている」という暗黙のメッセージ。数学的な概念や概念同士のつながりに関する先生自身の無理解や無知。基本的な四則演算の理解を獲得できないまま「難しいことはわからなくてもいい」と落ちこぼされていく子どもたち....。

このことは、わたしが見た子どもたち、学級、先生たちだけの問題でないことを、「13%」という正答率が物語っている。

5年生の先生はわたしに言った。「わたしも小学校の頃、割合や速さが苦手だった。全然わからなかった。今でも自信がない」と。

なぜ自分がわからなかった教え方で、子どもに教えることを続けるのだろうか。大人になるまで「もう一度わかり直す」機会はなかったのだろうか。自分で「もう一度わかり直そう」としなかったのだろうか。「毎年ここで5年生は撃沈する」とわかっているのに。





この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!