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飲み会より茶話会

これから、超個人的な見解を述べさせていただきます。
(注)真面目すぎる内容です


率直に、僕は居酒屋がキライです。

居酒屋というか、アルコールを摂取できる前提と思える場所には、行きたくないのです。

理由は単純で、うるさいから。

周囲がうるさいと、一緒にいる人の話している内容が、抑揚が、わかりません。

地声が大きかったり、元々通る声色ならば、さほど意識しないで済むと思いますが、多くの居酒屋のような店では、お腹に力を入れて声を張らなければ、相手に届かないほど耳に入る周囲の声(音)は大きくなります。

僕は人との交流をする場合、アルコール分の摂取はなるべく控えたいと思っています。相手の言葉をきちんと受け取り、会話のキャッチボールを楽しみたいからです。

だから居酒屋、キャバクラ、飲み会等には10年以上出向いていません。

そう、行かなければ良いだけの話で、わざわざ取り沙汰するまでもない、とは思っています。

しかしながら、コミュニティでの交流、コミュニケーションを目的とする人の集まる場において、アルコールを用意するという前提がいまだにあるように思えてならない事に対して、憂いがあるのです。

その前提とも思える主旨が、たまに僕のような人たちを、つまらない気持ちにさせています。

もちろん居酒屋でもアルコールを飲まない人はたくさんいます。
中には静かな居酒屋だってあるでしょう。
またアルコールを摂取しても静かで落ち着いている人だってたくさんいます。

ただ、"多くの場合"アルコールを摂取すると「動」が増していき、その場に対する影響が大きくなります。
とくに「静」に対する「動」の影響、圧がかなり大きくなっていきます。
困ったことに、お酒が進めば進むほど感覚が薄れていきます。


『飲みたくない人は、飲まなければいい』

という一見、平等のような選択肢が用意されてる場合においても、僕にはその言葉はどうしても乱暴に聞こえるのです。

しっかりとした耳栓でもしていれば、うるさい中にも居られます、けどそうはいきません。だからその場には居られず、『帰れ』と言われているような気がしてなりません。

かといってアルコールを摂取する前提の場において、「お静かに願います」などと堂々と言える機会もなかなかありません。

会場がとても広く、お酒を飲む人、飲まない人、それぞれに充分便宜を図ることができる場合ももちろんあります、ごくたまに。


昨今ではノンアルコールバーのような一見矛盾したような、見方によっては意味の無いようなお店も登場していますが、僕にとっては「待ってました!」といった感じです。
ただ、残念なことに僕の家の近くにはありません。

たまたまかもしれませんが、僕はこのnoteをやられている方というのは、感受性豊かな比較的心が繊細な方が多いと感じております。
つまり、より周囲の状況を感じ取りやすく、影響を受けやすい方が多くいらっしゃるのだと推察しています。
なので、僕の言っている事を理解してくださる方はきっといらっしゃると思います。

言葉を大切にし、言葉に励まされ、またその言葉に傷つき、そして言葉によって癒される。
そんな人たちが集まり、様々な物語が繰り広げられている、そんな価値空間だと思っています。

酒があった方がぶっちゃけやすいとか、話しかけやすくなるとか、ノリが良くなるとか、コミニケーションの潤滑油だとか、そのような類いの話は正直聞き飽きました。

「だから、そこを敢えて」、という便利な用語もありますが、敢えても必要ありません。

アルコールを摂取して気持ちよくなるのはよろしいことです。笑い、大きな声を出すことも元気である証拠であり、ご自身のアルコール分解機能を考慮し、ある程度であれば健康のためにもいい事なのでありましょう。

ただやっぱり会話を楽しむのにはうるさいのです。だからどうしても「酒」のつく場所には行きたくありません。


だから僕は「茶話会」が好き。



以上、単なるハルヤギの超個人的な意見でした。

読んで下さいましてありがとうございました。


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余談ですが、よく著名人の方などが飲酒による迷惑行為を働いたとして"シラフ"で謝罪会見をしています。あれは「今後一切アルコール摂取をいたしません」と公言するために執り行われているのであればわかるのですが、反省会見であれば、ベロンベロンに酔っ払った状態で会見をしてもらうべきだと思います。なぜなら泥酔状態で謝罪できることを確認すれば、酔っていても少しは反省した様に捉えられるからです。


#会話 #飲み会 #note #個人的見解 #独断と偏見

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