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【白目相談室】小さな幸せの見つけかた

幸せのハードルが低い

こんにちは。臨床心理士/公認心理師として精神科で勤務しながら、夜な夜なSNS 界隈で漫画家活動やLIVE配信などをしております。白目みさえと申します。活動内容などはこちらでご覧くださいませ。

白目相談室の使い方

以前にTwitterの方に頂戴したご相談にこういうものがありました。

ちょうどTOPにあるカルタを描いた直後だったこともあり、こんなふざけた回答をさせていただいたのですが(笑)

続いてこのようなご相談を頂戴しました。

本当に私は気分を害してはいないので(笑)
気を遣わせてしまって申し訳なかったのですが…(ごめんね)

そしてここでは「快感の卵が大事だよ」という意味でこう返答しました。以前にもこういうツイートをしたことがあったので。

ただそこからずっと「小さな幸せ」ってどうやったら見つかるんだろうと考え続けていまして。

私なりに答えがなんとなくまとまってきたので、ここで紹介したいと思います。


■小さな幸せを感じるってなに?

恐らく質問者の方は「小さな幸せを感じたいのに見つからない」という状況にあると推測されます。

ただそれが「感じなければならない」「小さな幸せを探すことができる人生こそが至高だ」みたいに考えておられるのなら、「それは違うよ?」とお伝えしたい。

小さな幸せは「探さなければならない」ものでもなければ、「探せない人は不幸になる」ものでもないし、「探せる人が素晴らしい人間」というわけでもありません。

「小さなことを幸せに思う…それが私のポリシーです☆」とか「小さな幸せを幸せと感じられることこそ人生を豊かにする」みたいに言う人もいます。

ただそれってさ。

「毎日ご飯食べられて幸せ」
「毎日水が飲めて幸せ」
「毎日息ができて幸せ」
「毎日心臓が動いてて幸せ」
「地球が存在しててくれてることこそ幸せの極み」

みたいなことやん。


それ…ほんまにみんなが目指す「幸せ」か?って思うんですよね。

なんかボロアパートとか住んでそうなビジョンしか見えないんだけど。

ほんまの意味で幸せって何かみたいな話ではなくてね。

なんとなーくみんなが想像する「幸せな人」って。

家族がいて広い家に住んでてお金にも不自由してなくて友達も多くて庭でアップルパイでも焼いてゴールデンレトリバーが走り回って「コラコラ危ないぞ☆」みたいなことをお母さんが言いながらお父さんはタバコを吸って新聞を読みながら海辺にしかないような柵みたいな椅子に座ってその光景を眺めて子どもたちは犬と遊んできゃっきゃうふふしてる余裕たっぷりな人たち…みたいなイメージじゃありませんか?(それは人それぞれやろ)

でもその人たちって絶対「今日もご飯食べられて幸せ」とか「アップルパイ焼ける家に住んでて幸せ」とか「ゴールデンレトリバー可愛くて幸せ」とか思ってないと思うんですよ。

それが当たり前やから。

それに引き換え「小さな幸せとやらをいちいち意識してる人」「普通にあるものを逐一取り上げて感謝を唱えている人」って「え…なんか逆に大丈夫?」ってなるやん。

だからまず「小さな幸せを見つける」ってどういうことなのかを考えて欲しいんです。


あなたの言う小さな幸せってなんなん?と。


多分1円拾って「うあああああああ」ってどっかのカイジみたいに膝まづいて神に感謝することではないと思うねん。


そうなりたいか?(笑)
なりたいなら止めないけども。


■手っ取り早いのは「一回不幸になる」

私が言った「バンジー飛んで『生きてて良かった…』って幸せに思う」とか「子育てで自分の時間と自由を極限に削られたらチョコ一粒食べただけで幸せ」とかもあながち間違いではないんですよ。

手っ取り早く今の状況から「幸せ」を感じるには、一時的に今ある何かを「手放す」状況(バンジーなら命、子育てなら自由さなど)に身を置くと、そのギャップから「私は幸せやった」と思えます。

一回不幸になってみたら、今当たり前にあるものがありがたく感じられるよってことですね。

他人の不幸話を読んだり見たりするのでもいいと思います。
「ああ私はこんなことがないだけ幸せだ」と思えるでしょう。

同じスイカでも、塩をかければより甘く感じるように。
現状を一才変えずに少しでも幸せになろうと思ったら、「不幸を知る」というのが一番手っ取り早い方法です。

だから人は噂話をするんです。

「私の生活はなにひとつ変わっていないけど、あの人はあんなに不幸なんだから私の方がマシだ」と思いたいから。


でもきっと相談者様の意図はそういうことじゃないんでしょう。

私が言った「快感の卵を育てる」というのもベースとしては大事なのですが、もう少し進んで。

小さな幸せを見つけるために、長期的かつ具体的にできることについてお話ししていきたいと思います。


■質の高い「小さな幸せ」を見つける

正直に言って、他人の不幸話から得られる「小さな幸せ」はあまり質が良くありません。

厳密に言えばそれは「小さな幸せ」ではなくて「不幸がなくて良かった」というだけなので。

他人の不幸から生まれるこの感覚は、あなたを「ちょっと安心」はさせても「幸せ」にはしません。


マイナスをプラマイ0に持ってくるのではなくて、できればプラスを見つけていきたいですよね。

そういう「質の高い小さな幸せ」を見つけるためにはどうすればいいのか。
私なりの考えを解説していきます。


■小さな幸せを感じたきっかけその1「やってみた」

私一応漫画家なんです。今。名乗っていいのかはわからんけど。漫画かいてお金もらってるから漫画家かなと。

漫画は元々大好きで、家にある漫画は1000冊以上。そろそろ置き場がありません。

でもその中には「なにこの漫画ーおもんない」とか「この人絵下手やなー」とか「絵は上手いけどお話がなー」とか「このオチなんなん」とか思うようなものもありました。

「話の進み遅いなあ」とか「え?16ページだけ?一気に40Pくらい描いてよー笑」とか「単行本まだ出ないの?」とか「休載?ちょっとー楽しみにしてたのに…」とか思ったこともありました。

面白くなければ読むのをやめるし、自分が読み返さなければ売ってしまうことも捨ててしまうこともあります。


でもいざ自分がやってみて。漫画を描いてみて。
実際に出版をしてみて。


「ごめんなさいいいいいいいいいいいいい」と土下座したい気持ちになりました。


漫画って死ぬほど面倒くさいんですよ。

なにが悲しくて同じような表情の同じような人を何回も描かなあかんのと。

そして締め切りが終われば次の締め切り。

常にネームと作画に追われている。

今私が連載してるのは週1の6Pなんですけど。

昔やったら確実に「6P?笑もっと描けよ」って思ってました。

でも今は違う。

私のように作画に時間がかかってなさそうな絵でも。
めっちゃくちゃ時間かかるんですよ。マジで。
私が下手だから時間かかるってのもある!それはしゃあない!ごめん!
でもパパパパって描けるわけではないんですやっぱり。

↑こちらとか


というわけで私は今どんな漫画を読んでも作者様の「すごさ」を感じるようになりました。

自分よりも上手な絵、自分よりも上手な魅せ方、この絵を描くのに自分ならどのくらい時間がかかるだろう、自由に使っていいよとなっているこのトーン一枚を描くためにどれだけ努力されたのだろう、無料で漫画が読めるってことはどれだけ価値のあることなのだろう、著作権の侵害とはどれだけ罪深いことなのだろう…。

などなどを考えるようになったのです。

例え作画にあまり時間はかかっていなかったとしても。

ネームを考える、構成を考える、仕事のための時間を作る、技術を磨く、知識をつける…。

それも全て「漫画の作成時間」です。

表紙のデザイン、印刷、校正などなど、編集者さんとの打ち合わせの時間や手間、コストも全て「漫画の作成」に必要なものです。

私がかつて「おもんない」と捨てた漫画も。(本当ごめんなさい)

これだけの手がかかったものでないと世には出ていないんです。


だから私すごいでしょ?敬えよ?ってことではありません。
むしろ読者様に書き手が努力を感じさせてはいけないという思いもあります。
じゃないと純粋に作品を楽しめないからね。


ただその経験を経た私は今、家にある漫画が全て大切で。
どれを読んでも学ぶことばかりで。
面白い漫画を読んでいるという楽しみに加えて、作者様の努力が背景に見えるような楽しみ方ができています。

これって「小さな幸せ」が増えていると考えていいのではないでしょうか。


■小さな幸せを知ったきっかけその2「知った」

私は17LIVEというところで今配信もしているのですが。

そこでとあるアーティストさんの配信を見ているとこのように語られていました。

「活動している間は『自分の限界』が本当にわからなくなる」
「どこまでもいけるんじゃないかという気がしてしまう」
「疲れている姿、無理している姿、ヘロヘロな姿というのは『見せられない』し『見せたくない』から周りの人は気づかない」
「たまに芸能人が倒れたというニュースを聞くとみなさん『突然』と思うかもしれないが、かなり前から無理をしていたはず」
「無理しないで!って言ってくれるのは嬉しいが、そうではなくて『無理をして頑張っていた』ということをまず讃えてほしい気持ちもある」
「無理を推奨するんじゃない、無理をしていることを周りに感じさせないほど、頑張っていたことをまず認めて欲しい。じゃないと今までやってきたことが否定されたような感覚になる」

とのことでした。


なんだか私は「ズガアアアアアン」と頭を打たれたような感覚がありました。

「無理しないで」というのは私もよく使う言葉です。

でも「無理しないで」は「無理してきた、これまでやってきたその人の頑張りを否定することになる」という視点はちょっと抜けていました。

芸能人の方はたしかにいつも元気で煌びやかに振る舞って視聴者に「明るい世界」を見せてくれている。

それって相当な努力が必要だと思います。

私の子育てなんてそれに比べると屁みたいなもんかもしれません。
でも子どもの前で気丈に振る舞うことの必要さ、大変さは少しだけ知っています。

それを大勢のファンに向けて、もしくはファンじゃない人にも向けてできるって尋常じゃない努力が必要です。

そう考えると、いろんな人のあれこれを少し優しい目で見られるようになると思うのです。


これも小さな幸せに繋がっていくような気がしませんか?


■小さな幸せを見つけるために必要なこと


それは「今知っていることをもうちょっとだけ深く知ること」だと思います。

さらに知識を集めるのでも、実際にやってみるのでも構いません。

知っていたけど踏み込んだことはなかった世界に、少しだけ深く携わってみてください。


そうすると必ず。
「こんなに大変だったのか」
「だからそうなっているのか」
「なるほど知らなかった」

ということが待っていると思います。


その経験があると、少しだけあなたの中にある世界が深くなります。

これまでは水深30cmの世界を生きていたとしましょう。
物事の表面や浅い部分、形式的なところしか見えていない状態ですね。
いろんなものがあるのは「知って」いるけれど「理解」には至っていない。
もう水深30cmの世界は探索し尽くして、「新しいもの」は見つけられなくなっています。

そこで一度だけ潜ってみます。10cmだけ。
そうすると10cm分だけあなたの知っている世界に深みがあることを知ることができます。
ということはあっちの場所でも10cm深く潜れるのではないか。
こっちでも10cmあるのではないか…と今ある世界の広さはそのままに、世界を深く見ていくことができるようになります。


世界を広げるのはかなり難しいです。
今からいきなり興味もないスキューバダイビングを始めろとは言いません。

でもすでにあなたが知っている世界の中で少しだけ深く潜ってみることならできるのではないでしょうか?

編み物は知っていてやったことはあっても、かぎ針編みはやったことがないな、この縄編みはやったことないな、今まではマフラーだったけど手袋もやってみようかな…みたいな感じ。

そうすると新たな楽しみを発見できるかもしれません。

自分はこういう作業は得意だけどこういうのは苦手だと知ることになるかもしれません。

一度編んでみて難しいと感じることで、店頭に並ぶセーターにも愛着がわくかもしれません。

素敵な編み物作家さんとお友達になりたいと思うかもしれません。

そうやって世界がどんどん深く広がっていくのです。


「小さな幸せを見つけるコツ」


それは


「ちょっとだけ潜ってみる」


です。


一階しかないと思っていたあなたの世界で階段を降りてみたら、同じ広さの地下が広がっていたとしたら。

世界の見方が変わるってそういうことだと思います。

きっかけは小さくてもいいんです。


まず「ちょっと潜ってみる」


そうすると「これまで当たり前に見ていたものに幸せや価値」を感じることができるようになってくると思います。


長文を読んでいただきありがとうございました。

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