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現在ではなく、変化を「褒める」


「褒めて伸ばす」
よく聞く言葉だ。

でも『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』では、教育の場において、褒めることを否定している。

褒めることは、上下関係を作ってしまうから。

たしかに褒めたり褒められたりするのは嬉しいこともあるのだけど、わたしは自分の思ってないことを人に言われると正直あまり喜べなくて(素直じゃない)

もちろんそう言ってくれる気持ちは嬉しいのだけど、じゃあ褒められた内容が素直に腹落ちするかというとそうでもないのが現状。

特に目上の人に「○○できてえらいね」とか万が一言われてしまうと、そのイメージを崩さないことに注力してしまう節がある。

大人になればなるほど、他人の言葉を聞き流すとか、気持ちだけ受け取るとか、うまく切り分けられるようになるけれど、それでも一度褒められたらまた同じことをしようという意識は働いてしまう。

でもこんなことを言っていたら、褒めることも褒められることもできないな…と思っていた時、たまたま読んでいたコーチングの本にフィードバックとして客観的変化を伝えるという項目があった。

例えるなら、先週より○○がよくなりましたねとか、目標に近づいてますよとか、そういうその人の変化に焦点を当てたもの。

これか、と思った。

私がなんとなく違和感のある褒めるは、現在に対してのbeやdoだった。

コーチングの本で紹介されているのは、今までのhave beenやbeingの話。

相手からここがこう変わったね!と言われたら、素直に受け取れるし、すごく嬉しい気がする。
自分が頑張ったことを、その成果がまだ出きっていなくても、こう変わったねと言われたら、頑張ってよかったな、もっと頑張ろう、となる。

それに、変化を褒めるって、人のことをよく見ていないとできないことだ。
人の外見や一つの行為に対して、かわいいね、きれいだね、素敵だね、優しいね、すごいね、頼もしいね、、、etcというのは、多分初対面の人でもできる。
でも、人にまつわる変化は、その人に継続的に関心を寄せていないとできない。
それにこちらの方が的外れなことは言えない。


人が生まれ持ったものではなく、その人の意識や努力を褒める。

そういう褒め方が本当に人を伸ばすのかなと思った。

持って生まれたものは、それもその人の個性や強いカードの一つではあると思うけれど、ある意味たまたま手にしたものでもある。

でも意識や努力は、その人が手にしようと思って時間や労力をかけなければ得られないもの。

意識しすぎてせっかくの褒め言葉が減るのは違うけれど、褒めるならすっと届く褒め言葉がいいな


(ひさびさに書いたらめちゃめちゃ時間がかかりました。しかも内容も微妙です。リハビリだな…)




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