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図星みたいなことを言われて困った


この歳で、銀座のバーに連れて行ってもらえるなんて、本当にマセてるというか、なんというか、自分でもロクな大人にならない気がする。
いいものばっかり知って、悪いものを簡単に切り捨てる人にはなりたくない。
両方知って、自分に合うものを極めたいけど、それでも選ばなかったものを、悪いもの、とは言いたくない。
悪いものじゃなくて、わたしに合わなかっただけ、そういうスタンスでいたい。
なんて贅沢だ。

全身にアルコールが回っている気がする。
今日はアイリッシュコーヒーの美味しさを知った。真冬に寒いところで飲みたい。体がぽかぽかする。甘めでって言ったけど、全然甘くなかった。まだわたしには早いのかもしれない。それでもまた飲みたい味。
バーナーで炙られるウイスキーが綺麗だった。薄暗いところで揺れる炎をみるのは落ち着く。
たぶん不規則のような規則性が、催眠術のように落ち着きと眠気を連れてくるのだろう。
キャンプファイヤーや焚き火ほどの火力はいらない。目の前で、小さなろうそくが燃えているくらいがちょうどいい。
ただし、なぜだか、それらしく置かれたキャンドルにはひかれない。わたしが雰囲気を演出しますという下心が見えるからだと思う。もうちょっと、必要に迫られたから置かれたんですってフリをしてほしい。キャンドルに何を要求しているのだろう。

仕事は楽しむものらしい。というか、つらくても楽しみを見つけるのが仕事だと。
なんとなくわかる。楽しみが何もなかったら死んでしまう。
でもほんとうに落ちるところまで落ちると、楽しいことがよくわからなくなる気持ちも少しわかる。ストレスは、溜まったときにちゃんと解消しないとだめらしい。
楽しくやってたら周りから何言われても気にならなくなるから。とも言われた。
最近周りのことばっかり気にしてたから、刺さった。今のわたしにはまだ半信半疑の気持ち。周りのことが気になって仕方ない。自分のことで精一杯のくせに。

今さらだが、この文章にオチはない。
女の話はオチがなくてつまらないとしばしば言われるけれど、現実にはオチがないことが多いし、脚色してない分リアリティがあると言ってほしい。
オチを求めると、そこまでのストーリーが安直になっていく気がする。オチをつけるのも才能だが、オチがなくても聞かせる、読ませるのも大いなる才能だ。
昔はちゃんとストーリーのある小説やミステリーが好きだったけれど、今は内面しか動かないような小さな話にひかれる。
炎の話と一緒かもしれない。
あざとくなくて、たくさんの人を照らすように大きくもなく、ただそこにある光のような文章。
でも目が痛くなるくらい眩しい太陽みたいな光じゃなくて、ふっと消したら消えるくらいの光のような。
そうだ、わたしは、その瞬間にしか残せない儚さが好きなのだ。

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