見出し画像

千の夜をこえて

子どもの頃、毎日のように通っていた場所がある。

プラネタリウム。

普段見ることの出来ない満天の星空を見ることができる、魔法の場所。

鍵っ子だった私は、放課後になるとは近くにあったプラネタリウムに直行していた。最近よくある民間のお洒落なものではなく、市の公共施設に併設されたもので入場料はタダだった。つまり通いたい放題だ。

上映時間が近くなると入口に並び、薄暗くひんやりとした部屋に一番乗りする。お気に入りの座席を確保して、静かなBGMが小さく流れる中、始まるまでぼんやりと天井を眺めるのがお決まりだった。

解説のお兄さんはいつも同じ人だった。
顔は覚えていないけれど、柔らかく優しい声は今でも鮮明に覚えている。


皆さんようこそお越しくださいました
それでは今日の星空を見ていきましょう
まずはこのプラネタリウムがある、ここから見える街の風景から

そう言ってスクリーンに見慣れた街の景色が映る。
学校はあのあたりだろうか。じゃあ私のおうちはあのへんかな?
そうやって探している内に、だんだん夕暮れへと変化していく。


暗くなってきましたね
低いところに明るい星がひとつ、見えています
あれは金星、「宵の明星」と呼ばれていますね


お兄さんは淀みなく進行していく。
時間を進め、夜の帳を下ろし、街の灯りを消し、ついでにお月さまにも消えてもらって、本当なら頭上に見えているであろう満天の星空をスクリーンいっぱいに映す。


あれは北極星、そこからトントントンと伸びた先にあるのが北斗七星
あの明るい星ははくちょう座のデネブ
少し離れてわし座のアルタイル
そして、こと座のベガ
この3つが夏の大三角形です



緑色の矢印がスクリーンの上で滑らかに動き、次々と星の位置を示す。
代表的な星を説明し、今日の夜空に浮かぶ星座のイラストを星に重ね。
ひとつ、星座にまつわる物語を紡ぐ。


それでは時間を進めていきましょう
夜が明けていきます
見えてきたのは、最初にも見た金星です
「明けの明星」といいます
さあ、朝になりました


朝日とともに部屋は明るくなり、魔法が解ける。

次の魔法の準備に取り掛かるお兄さんを横目に部屋を出る。
エントランスホールの明かりが眩しくて目がチカチカしたものだ。


そんな思い出の場所、プラネタリウム。

大人になってからは行くこともほとんど無くなっていたのだけれど。
たまたま定年退職した母と、色々あって無職になった私。
お互い時間が自由になり、どこかでゆっくりしたいねぇ、などと話していた流れで。
ふと、どちらともなく「プラネタリウムに行きたいね」という話になった。


我が家のプランナーは私なので、さっそくプラネタリウム計画を立てる。
色々と調べていたら、どうやらプラネタリウムの貸し切りプランなるものがあるらしい。

プラネタリウムを貸し切り。

なんだそのドラマか映画に出てきそうなシチュエーションは。
楽しそうじゃないか。これは乗っかるしかない。
ということで電話で予約をすることに。

電話に出た担当のオジサンが簡単に説明をしてくれた。
30分貸し切りで、ご希望の星空を映します。
時間も、場所も、仰っていただければどこでも。
音楽もCDをご持参いただければ流しますよ。

はぁなるほど。

さて、予約やら何やらは全て私に一任されている。
つまり母に内緒で色々仕込めるということでは?
ここで私の「せっかくなら思い切り楽しんで欲しい」という欲がムクムクと顔を出してくる。

そういえば母と「いつか北欧に行ってみたいね」と話していたことがある。
コロナ禍でいつに行けるか分からないけれど。
それなら、旅行気分で北欧の星空とか良いのでは。

私「じゃあ、北欧とかお願いできますか?」
オジサン「北欧のどこにします?北欧って言っても広いですから」

えっ、意外と細かいぞ?
私「じゃあ、ノルウェーとか?」
オジサン「ノルウェーの何処にします?町まで絞れますよ」

ええええ?めちゃくちゃ細かい!と狼狽える私に、オジサンは慣れた様子でヒントをくれる。きっと同じようなやり取りを何度もしているのだろう。

「ちなみに北欧も北半球だから見える星座とかは日本とさして変わりません。南半球なら全く違う空になりますが」

なるほど。
うーん、北欧に行きたいとは言ったが星空が同じならあんまり旅行した感がないかもしれない。
じゃあ南半球の、しかも自力じゃ絶対行けないところにしよう。

私「じゃあ、南極とかも大丈夫なんですか?」
オジサン「大丈夫ですよ。南極のどのあたりにしましょうか」

どのあたり?????
まさか南極の地理を知るはずもなく「ど、どこがおススメですか…」と聞くしかない。
オジサン「じゃあ、昭和基地とかどうでしょう?綺麗ですよ」
もうオジサンを信じるしかない。
南極の昭和基地なら私も母もギリギリ知っているし、それでお願いしよう。
よし、これでオッケーだなと思っていたら。

オジサン「いつの星空にしましょうか?日付まで指定できますよ」

日付指定?????
ちょっとそこまでプラネタリウムがハイスペックだとは思っていなかった。技術の進歩って凄い。
とはいえ全く考えていなかったので、またしてもオジサンにおススメを尋ねる。

オジサン「そうですね、カップルさんだと記念日とか誕生日が多いですかねぇ」

カップルじゃないんです!!!!!親子なんですぅぅぅ!!!!
とオジサンの誤解に頭を抱えつつも考えあぐねていたところで、ピンと来た。

そうだ、母の生まれた日にしよう。
母も私も知らない、母がこの世界に生まれたその日の夜空。


決めてしまえば、あとはとんとん拍子に話は進んだ。
母の生まれた日の南極の空。
上映内容は内緒にして、CDは母に好きなものを持参するように伝えた。


当日。
受付で貸し切りの予約をした者ですが...と伝えると、奥からオジサンが。
あ、電話のオジサンだ。ヨロシクオネガイシマス、とご挨拶。

するとオジサンはおもむろに予約内容を確認しだした。
「えぇと、19××年×月×日の南極で間違いなかったですかね?」
と、母に。よりによって母にだ。

あぁぁサプライズの意味…
母もどうやら察したらしく、苦笑いだ。
これがプロポーズとかだったらどうするつもりなんだ。

兎にも角にも、受付をして先に清算を済ませる。
500円。1人500円で貸し切り。
公共施設だからこその破格なプラン。
都会にある民間のプラネタリウムだったらウン千円とかしそうではある。


上映時間になり中に入ると、事前に渡したCDが流れている。

ちなみに母が選んだのはSUPER JUNIORキュヒョンのソロアルバム。
「バラードの貴公子」「キャラメルマキアートボイス」などと形容される甘い歌声が母のお気に入りで、いつかの誕生日にプレゼントしたものだ。

薄暗いプラネタリウムに優しく響く歌声が心地良い。

座席に座り、リクライニングを倒す。
オジサンが「じゃあ始めますね~」と言い、貸し切りプラネタリウムが始まった。


ようこそお越しくださいました
まずはこのプラネタリウムがある、この街の風景から
これが今の空です
まだ昼間なので明るいですね


あ、昔と同じだ。と思った。
小さい頃、何度となく聴いたはじまりの言葉。
昔の記憶とリンクして、小さい頃に戻った気分だ。

時間を進めて、夕暮れ時に。


ここに明るい星が見えてきました
金星ですね、宵の明星です



緑の矢印がちょんちょん、と金星を指差す。
あの頃と同じ矢印の働きっぷりにちょっと嬉しくなる。

時間を進め、夜の帳を下ろし、街の灯りを消し、ついでにお月さまにも消えてもらう。
ああ、今日の星空はこんなにも綺麗なのか。


では19××年×月×日に時間を戻しましょう


スクリーンの下に映っていた日付が母の誕生日に変わる。
夏生まれの母が生まれた夜空には、綺麗な天の川が流れ沢山の星々が美しく瞬いていた。
私も、母も知らなかったあの日の星空。

季節は同じなので星座の配置に大きな差はないのですが、と前置きしてオジサンが母の生まれた日の星空を説明してくれる。

上弦の月が出ていたけれど、低い軌道だったのでほとんど月が見えなかったこと。
さそり座の近くに木星があったこと。
土星も見えていたこと。

ああ、母はこんなに星の綺麗な日に生まれたのか。
きっと今ほど町は明るくないし、田舎だから綺麗な星空が見えただろう。
祖母は疲れて寝ていただろうか。
働き者だったという祖父は、仕事終わりに夜空を見上げただろうか。

沢山の想いがどんどん溢れてくる。
隣の母も嬉しそうに「綺麗な日だったんだねぇ」と笑っている。
こんなに幸せな気持ちになるんだなぁ。

オジサンが「そろそろ移動しますよ」と声をかけてくれる。
そうだ、これから南極に行かなければならないのだ。

では南極に向かいます
せっかくなので、飛行機から星空を眺めながら行きましょう
凄い速さで行きますよ

そういうと、目の前の星空がどんどん上に動いていく。
いや、私たちが下に移動しているのか。
とにかく私たちの乗った飛行機はぐんぐん進む。

途中、赤道直下やオーストラリアに寄り道もした。
オーストラリアまで来ると、星空の配置はだいぶ変わる。
北斗七星は姿を隠し、代わりに南十字星が現れた。


そして、いよいよ南極。昭和基地に到着だ。
まるで違う星空。でもやっぱり綺麗。

オジサンが星座の説明を始める。
カメレオン座、ちょうこくしつ座、はちぶんぎ座、ケンタウルス座、じょうぎ座。
見たことも聞いたこともない星座のイラストが星空を埋め尽くす。
「ハエ座とかもあるんですねぇ。面白い!」と母が言う。
確かにやたら最近の道具や、もはやギリシャ神話に微塵も関係なさそうな名前ばかりだ。

羊飼いさんが夜空を見上げて名付けたにしてはなんというか、センスが、あれですね?と恐る恐るオジサンに尋ねる。

オジサン曰く、大航海時代にマゼランやらなんやら、ヨーロッパの人たちが南半球にたどり着いた時に初めて南半球の星々に名前が付けられたそうで。
だからちょっと現実味のある物ばっかりなのか。面白いなぁ。

貸し切りなので、好きなタイミングで質問できるし、周りを気にすることなくなんでも聞ける。オジサンもぽんぽんと答えてくれるので、気持ちいい。

そうこうしている内にあっという間に終わりの時間が近づく。

最後に見せてもらったのは、南極だから見られる景色。
白夜と極夜の空。
ずっと明るい、ずっと暗いというはっきりしたものではなくて。
1日の間に空の表情は僅かに、だけど確かに変化を見せて。
薄紫のベールを纏ったように柔らかく重なるグラデーションは美しく。
甘く優しいバラードも相まって、独特な雰囲気に包まれて。

2人して「綺麗だねぇ」としか言葉が出てこなかった。


終わってからもしばらく座ったまま「良かったね」「綺麗だったね」とぽつりぽつりと感想を言い、名残惜しくも座席を立つ。


「どうでしたか?」と言うオジサンに、とても楽しかった、綺麗だった、ありがとう、と伝える。こういう時に限って上手い言葉が見つからない。

見送るオジサンを背に、部屋から出る。
夏独特のむわっとした空気が、私たちを現実に引き戻す。

やっぱりプラネタリウムは楽しい。何度見ても。何度聴いても。

30分の星空旅行。
プラネタリウム、良いですよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?