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“有馬サイダー”誕生秘話 スケベー親父みんなのタイランド!

有馬八助商店を立ち上げ、有馬市という練り製品の天ぷら屋を開いた。そして、アジア最高のサービスを誇るバンコク・オリエンタルホテルに行くことにした。その珍道中。タイのトラディショナル・マッサージが好きになったのもこの時だった。

金とコネ

わが師、無方庵 綿貫宏介先生は生前、「海外旅行は金とコネがあると良い」と言っていた。僕もバックパッカーは好みではない。現地に精通した案内人がいる事と必要なお金があれば楽しい!

さあそのお金があると言っても、我々にとって十分なお金があるという事で、人によっては「これだけ?」と思われる額だったかもしれない。

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「足るを知るもの、富を知る」・・・御所坊のコースターに漢詩が書かれているがその一つ。額には関係なく。これで十分だと思えれば富があり、いくらたくさんお金を持っていても、もっと欲しいと思っている人にとっては自分は貧しいと思っているという事。

では8人それぞれ十分な旅費を手に入れた事になる。さあ好きなように行け!となっても「どうするの?」となかなか決められない。

タイ国に行くのは初めてという奴がほとんどだったからかもしれない。(それ以降、タイにはまって何度も行っている。月一ぐらいで行っている奴もいる)

3名が同伴者とプーケット島を経由してバンコクへ、残り5人はチェンマイ経由でバンコクへという事にした。

そして有馬市のN氏夫婦は“二人のタイランド”のパック旅行。二人で10万円というと今では安いなあ。

チェンマイへ

タイの前に、ニューヨークへ行き当時話題になっていた“W Hotel”の宿泊と“ドラゴン・ロール”“フルーツ・マティニ-”の体験、そしてアトランタで料理人ばかりがつくるスーパーマーケットを体験し、ミネアポリス経由で関空に15時過ぎに帰って来た。

一旦有馬に帰り、21時ぐらいに有馬を出て再び関空に戻って来た。深夜便でバンコクへ、そしてチェンマイへというスケジュールで2日間48時間のうち30数時間飛行機に乗っていたことになる。若かったなあと思う。

チェンマイ空港に到着し、前のシートの下からカバンを取り出そうとしたときに・・・やってしまった! ぎっくり腰。 めちゃ痛い!

チェンマイに来たのは、農業関係の知り合いの社長が「タイに来たらチェンマイに来て欲しい。」と言われていたからで、チェンマイというと少女のハーレムを築いていた日本のやくざがいたというぐらいしか知識はなかった。その社長のタイの会社のTOPの岩佐さんが空港で我々を迎えてくれた。

ホテルの手配などすべて岩佐さんにお任せしていた。

昼飯を食っていても腰が痛くてどうしようもない。そこでホテルの近くのマッサージ屋に連れて行ってもらった。はっきり言って汚いマッサージ屋だった。身振り手振りでぎっくり腰だという事をマッサージのおばちゃんに伝えた。

これに掛けるしかない。ダメだったらタイの滞在期間中、ホテルで寝るしかない。

いわゆるトラディショナル・タイマッサージなのだが、おばちゃんの体臭と酸っぱい、ココナッツの匂い以外、全く記憶に残っていないのだけど、終わったら嘘みたいに腰が何ともない!以来、タイの古式マッサージのファンになった。逆にココナッツ入りのタイ料理は苦手になってしまった。

これでアクセル全開だ!

チェンマイの温泉

岩佐さんは、日本からタイに来るおっさんの喜びそうなカラオケバーへの案内とタイのシステムなどを教えてくれるが、社長から託されたのは、チェンマイの奥地に僕を案内する事だった。

タイの東大、つまり最高学府はチュラロコン大学。その大学を日本人で初めて卒業したのが岩佐さんで、日系の企業や大使館にも勤めた経験を持つ人。

バンコクのパッポンの有馬温泉というマッサージ屋があるが、その名前を命名したのもこの人だそうだ。だからタイの歴史や政治、経済等幅広い知識を持っている。案内人としては最高の人という事になる。

タイは王国。国立公園も王様のものだから王様の決定でどうにでも出来る。タイ北部にある国立公園の中の、広~い野原の真ん中に案内された。

ここに温泉をつくるという。隣国と戦う時代は首都は国の真ん中にある方が良い。だが隣国との戦いが無くなると、この辺の地盤は固く地震がない。タイのシリコンバレーに最適地だそうだ。そして近隣からは安い労働力が得られる。バンコクは地盤沈下が激しく交通渋滞も解消しにくいので、首都移転ぐらいの計画があると説明してくれた。

以来、20年ぐらいたったが、そんな話聞かないけど、どうなんだろう?

まあともかく広場の真ん中のくぼみに、ぬるま湯が溜まっていた。そこで地元の人が手をたたくと、鯉が出て来るわけでなく、地面から泡がブクブク湧いてくる。手品かなと思う?

実際やってみると泡が出て来るのだ。どんな風になっているのか未だにわからない。

結局、社長は国王とつながりがあり、ここに進出しようと考えており、ホテルの部分で巻き込みたかったのだろうと思うが、その後社長は心臓病を患い、日本から離れる事は出来なくなったために、計画はとん挫した。

バンコク・オリエンタルホテルへ

バンコクへ移動して、八助の集合場所へ

皆、スーツを着てホテルのロビーに集まって来た。僕は皆に「これで行こう!」と2台のトゥクトゥクを手配した。

まああの頃は40歳そこそこ若かったからね~(笑)

今だったらそんなに失礼な事はしない。でもベルマンは丁寧に我々を案内してくれバンブーバーへ

プーケットからの仲間と二人のタイランドは、すでに到着していた。そこにサファリルックおじさんが若い女の子を二人連れていた。有馬の某大型ホテルの社長だった。色々言い張るけど怪しい。

その後以下省略! バンコクの夜は長かった!

その後のタイランド

以来、八助の連中は好きな外国の一つがタイとなり、僕もタイは何度も訪問している。

さすがに何度も行っていると、中には仲間と付き合いで、ただタイに行ってきたというだけもあるが、基本的には何か縁があり、縁を繋ぐ旅が好きだ。


上記は、タイの大阪領事から兵庫県知事から依頼されて縁が出来て、南タイへ行った話。その後クラビーの温泉協会の会長とは中国の温泉協会の表彰式で出会った。あっそうだその前に有馬に来られたのだった。


クオリア的に言うと

超痛いぎっくり腰が2時間のタイマサージで治った。

正装してトゥクトゥクでバンコクオリエンタルホテルへ行った。のがクオリアだと思う。

あ! 手をたたくと温泉が湧き出るのもクオリアだ!






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