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人と涙についての話

皆さんはどんな時に涙を流しますか?
最近泣いてますか?
私はしょっちゅう泣いてます。涙脆い。
でも最初から涙脆かったのかというとそうではなかった。

人はどうして涙を流すのでしょうか。
悲しいから?嬉しいから?
子供の頃は誰しもが泣いたことでしょう。声を上げて。ふとした時から泣かなくなりました。こう言われたから。「いつまで泣いてんだよ」・・・確かに。ふと投げかけられたその一言で私は小学校の頃、泣くのをやめました。

しばらくは涙との無縁な生活でした。
学生の時に片思いだった子に告白してフラれたときは家に帰ってから、意識が途切れるまで泣いたっけ。あとは部活でバスケをやっていたのですが、三年生の最後の大会で敗退した時、自分を含めた同学年の仲間たちともう練習できないんだな、あの苦しくも汗を流す日々は終わったんだな・・・。その瞬間も猛烈に泣きました。
それよりも前。幼い頃、家族でTVを見ていた時、感動系のシーンがあると母は必ず泣いていました。私と弟はそういったシーンが流れると無言で母の方を向き、母が涙を流すのを察知しては首を向けるクソガキでした。
そう、まだ理解できなかった。母が涙を流す理由を。

時は流れ私は大人になっていました。20代。
恋人ができて年月が経ちこれ以上関係を続けられないとお互いに思ってスッパリと別れた時、もうあの日々は戻ってこないんだな。そう肌で感じ取って頭で理解して泣きました。書いてて今もちょっと思い出して泣きそう。
記憶に強烈に残るのはこれくらい。

今の涙の理由

私は今現在、様々なことで涙を流します。

直近でいうなら母がガンになった時。身近な人が死に近い宣告を受けた時、私は静かに、深く泣いていました。それと同時に覚悟もしました。
幸い早期の発見ができたことと適切な治療を受けることで回復し現在は元気に生活しています。ただ、検査は定期的に続けていますしたまに入院をしたりなどもしています。それでも生きてくれている。ありがとう。

人は長く生きているだけ他人が感じている心情を理解できるようになるんだと、時が経つにつれ人生による経験によって解るようになりました。今ではかつて母が泣くようなシーンを見ると自分が涙を流します。これが遺伝か・・・の一言では済ませられないのが人間でしょう。
私はこのように考えるようになりました。私が流す涙には母が宿っている、と。私より先に生を受けてこの世を渡り歩いてきた母はどうあっても私より先に旅立つのでしょう。それでも、私を産み育て、叱り、愛してくれた。その全ては私に影響を与え、考え方や感じ取り方、立ち振る舞いやふとした行動にさえ宿るのでしょう。だから母が仮にこの世を去ったとしても、私の中に、魂に生き続けるのです。これは弟にも同じことが言える。夫である父にも当然言えます。
だから私は涙を流した時に拭くのをやめました。涙を流すことは恥ずかしいことじゃない。この涙一滴、何一つ無駄じゃないのだから。
この身一つになっても失うことのない贈り物。
私が人である証。

もう一つの涙

ちょっとしみったれた話になったので明るい方の涙の話も。
最近私はYOASOBIの楽曲にハマっていますが、その気持ちも膨らみ続けているのでいずれコンサートに参加するつもりでいます。
今はライブ映像が収録されたBlu-rayを購入し毎日再生しては毎日のように歓喜の涙を流しています(脆すぎ)。
それもそのはず、本当に素晴らしいライブパフォーマンスを観客と一体になって生み出してくれているから、その美しい想いと熱量に焼かれて涙を流してしまうんですよね。仕方がない。
今日も徳を積んで、自分がライブに参加する日に備えます。

あなたも涙を流してみませんか?
それではまた。