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悲しみの置き方。

「ベルくんが今朝、逝っちゃった」

鬱蒼とした重い曇り空が広がる冷たい雨の金曜日、母から一件のLINEが入った。あまりに突然のことで、画面の中に並ぶ言葉がボロボロと目から抜け落ちるような感覚を覚えた。3秒ほど呆然としたあと、ああ、そうか、そんなと、どうにも事態をうまく飲み込めない自分だけがそこに取り残されていた。

突然の訃報

ベルくんは、私の実家で飼っていた愛猫だ。もう1匹の兄弟猫と一緒に迎え入れた彼らは、それはそれは実家で可愛がられていた。

彼はいわゆる雑種なのだが、日本猫らしからぬかなりの長毛種で、アメリカ猫の血筋を感じさせる大きな体が特徴的だった。全身は真っ黒。瞳は見透かされるような金色で、なんとも神秘的な美しさを漂わせる美しい猫だった。

しかしその大きな図体とは打って変わり、彼の性格はあまりに臆病だった。

知らない人が家に来ようものなら誰よりも早く姿を隠し、数日は姿を見せなくなるくせに母と妹にはベタベタに甘えていた。もちろん実家を出た私に対してはお墨付きの塩対応で、ちゃんと顔を見せてくれるようになるまで一年以上を費やした。

そんな引っ込み思案の彼も、小まめな帰省が功を奏したのかようやくここ数年で私のことを覚えてくれたようだった。ついには帰省した際、それなりにベタベタ甘えてくれるようになったのが内心愛らしくてたまらなかったのも、つい最近のことのように思える。

それで、今朝の訃報である。

母曰く、前の晩から急に具合が悪くなり吐きだしたそうだ。すぐに動物病院に連れて行き、注射を打って帰宅したものの衰弱は止まらず、そのまま翌朝に息を引き取ったらしい。

まだ5歳過ぎの、あまりに早すぎる別れだった。

死因が持病だったのか何なのか、その原因は今となっては誰にも分からない。それでも彼がもう、ただただ居ないという事実だけがひとり、埃くさい部屋の隅で行き場を無くし彷徨っているように思えた。

悲しみに片脚を浸ける

悲しい。

言葉にすると、なんて安くて陳腐な響きだろうと我ながら呆れてしまう。それでも、いまの私のほぼ全てを表してくれる言葉は、これ以外に思い当たらなかったのだ。とりあえず夜には実家に帰るとの旨の連絡を入れると、私は一人どかっと家の椅子に座り込んだ。目の前には普段と何一つ変わらない、いつもの殺風景な部屋があるだけだった。

ーー死んでしまったのか。

私は、私の素朴な悲しみをしばらく眺めてから、静かにその深淵に片足を浸け入れた。取り乱すわけでもなく、大泣きするわけでもなく、かといって仕事にすぐ戻る気持ちになれるわけでもなく。腹の底で、私の中の「日常」がグラグラと揺れ動いていることだけがよく理解できた。

死は本来、日常にあるものだ。

そんな当たり前のことを、この現代で受け止めるのはなかなか難しい。これだけ医療が発達し、インフラが整備され、社会福祉が発達した現代において人も動物も寿命は右肩上がりで向上している。いまだに予期せぬ事故や病気はあるものの、死とは避けられるべき「イレギュラー」という社会認知を歴史上、我々は初めて掴み得たとも言えるだろう。

それでもなお、死というものが決して珍しくないという実感は、私たちの日常にある日突然に現れる。それは歴代のペットであったり、祖父母であったり、大学の友人との別れであったりした。個人的な経験の中で最も大きかったのは、やはり実の父の死でもあったように思う。

何度見ても見慣れぬ遺体を目にするたび、私は猛烈な虚無感に襲われる。

目の前に佇む、冷たく硬い異物はただの抜け殻で、いわゆる魂と呼ばれるような「本人そのもの」はもうどこにも居ないのだという実感だけが、ひどく脳裏に突き刺さるように感じられた。

悲しみを置いておく、ということ

しかし妙なことに、愛猫の死を聞いてもなお、当の私には身を焼くほどの悲しみは湧きあがらなった。

ひとしきり黙り、じっと体を縮こめたあとに白湯を胃に流し込んだ。内臓が温まった感覚を抱えながら仕事場に移動し、いつものパソコンを開いてカレンダーを確認した。午後にはミーティングが立て込んでおり、そのためにしなければならない作業が当然のように積み上がっていた。

私はゆっくりとキーボードを手元に引き寄せると、カタカタと軽快な音を鳴らして溜まっているメッセージに返事を返していった。返事が終わると今度は提案資料をまとめ上げ、午後になれば予定の会議に次々と顔を出した。いつものように挨拶を交わし、思わぬ雑談で笑い、数字を共有してこれからの事業の展望を語ったりもした。

悲しくないわけがない。

時折ふとしたタイミングで猛烈な虚無感が襲ってくる。できたかもしれない何かに立ちくらみがして、涙腺がじわりと緩むこともある。それでもいざ仕事をし始めれば、目の前のことに意識はすっかり吸い取られ、心のざわつきは波のように水面へ溶けていく。裾にひっかかった釣り針のように意識の端で違和感を感じるものの、それでも仕事は続くし、作業は進むのだ。

このようなことを言うと薄情だとか、サイコパスだと言われそうだが、決してそう言うわけではない。

私は、悲しみを「置いて」いるのだと思う。

置けるようになった、と言うのが正しいのかもしれない。どうするわけでもなく、ただただ腹の底から生まれ出たそれを、私はそこに置いておくようになった。多少は気にはかけるし、呼べば応えて一緒に眺めたりもする。でも必要に騒ぎ立てたり、追い出そうとは決してしないのだ。

感情が噴水のように噴き出したら、噴き出したなあと思いながら顔をぐしゃぐしゃに濡らして、ひたすらに声を上げて泣く。悲しい、悲しいと言葉にしながら、悲しさをひたすらに垂れ流していく。

以前は、この悲しみをどうにかしたくて堪らなかったのだと思う。

悲しいというその状態そのものが耐えがたく、一刻も早く抜け出したいという気持ちにさせられた。心のざわめきも、頭のモヤも、意識が遠くへ連れて行かれるような切なさも、早く早くどこかへ消え去ってしまいたくて、一人のたうち回っていたように思う。

しかし不思議なことに、その感情に手を触れようものならそれらは途端に牙を向く。

いつもに戻りたい、こんな気持ちがなかったことにしたいと思うたびに、あらゆる感情が何倍にも膨らみ、手のつけようがないほど酷く暴れ出した。ああすれば良かったのかもしれない、いやこう言えば良かったのかも、いやでもそもそもあいつが悪いんだからーーー

しかしどれだけ醜い感情を膨らましても、もう私の目の前に残っているのは冷たく固い異物だけだ。もうあの時も、あの人も、彼も彼女もどこにも残ってはいない。変えようのないこれまでと、ここで、これで終わりという動かしようのない物語のエンディングは既に固定されてしまったのだ。

それをどうにかこうにかしようとするのは、すでに完成されたページに都合のいい何かを上書きするようなものだ。それでもそこにあったことは消えないし、都合よく後から重ねられた書き込みは繰り返すほどに汚く、見るに耐えないものに成り下がっていく。

いくつもの別れを繰り返し、途方もない虚無の時間が私の中で過ぎ去った。泣いて、怒って、寂しい淋しいと大声で喚き散らした。やがて、私はそれをそのまま置くようになった。

この悲しみがこれからどこへ行くのかを、おそらく私はもう知っているからだ。

理性の先へ

感情は、理性でコントロールされるべきという社会的な先入観がある。

もちろん職場や、友人に所構わず感情をぶつけるのはいただけないだろう。力のない人間は知恵を絞り、共同作業をしてこの野生を生き残ってきたわけだから、全員が感情を爆発させては協調も協業も破綻してしまうのは目に見えた現実だ。

それでも、自分の中で生まれ出てしまった感情は自分のものだ。誰かに非難されたり、早くどうにかしろと責め立てられるべきものではない。この感覚はおそらく、漫画家ヤマシタトモコさんの著書「違国日記」の影響を強く受けているようにも思う。

あなたの感じ方はあなただけのもので、誰にも責める権利はない

『違国日記』1巻 / ヤマシタトモコ著

交通事故で両親を亡くした15歳の女子高生の朝と、朝の母親の妹にあたる35歳 小説家の高代槙生はある日、共同生活をすることになる。まだ途方もない事実と感情を扱う術を持たない15歳と、人と自分が酷く違うことを受け入れながら言葉を生業にしてきた小説家のやりとりはどれも鋭く、同時にどうしようもないほどの優しさを孕んでいる。

感情は、置いておくしかないモノなのだと思う。

決して無闇に扱おうとしてはいけない。軒先からこぼれ落ちる雨水のように、ビルの間から駆け抜ける風のように、手の加えようがない大きすぎる自然にそれは似ている。けれどあまりに距離が近いものだから、ふとそれが触れるもの、扱えるものだと私たちは錯覚してしまう。けれど私たちが出来ることといえばその感情の傍で座り、じっと見つめ、やがて風化するのを待つしかないのだ。

彼との別れは、まだ私の横にどっしりと腰を据えて居座っている。

私はただ静かに「まだ、在るなぁ」と小さな声を漏らして、温かいお茶でも飲もうかと一人やかんを火にかける。この湧き上がる感情と理性を超えたその先に、私たちはいつもの日常を取り戻していくことを見据えて。

読んでいただいただけで十分なのですが、いただいたサポートでまた誰かのnoteをサポートしようと思います。 言葉にする楽しさ、気持ちよさがもっと広まりますように🙃