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そして乙女は三度死ぬ

タイトルが七音と五音で気持ちが良いですね。よこしま ゆかりです。

たまにはテーマから何かを書くのも良いかと思い、恋人について書こうかなと筆を執った次第です。


一度目の死

乙女とは、若い女性のことをさすらしい。若い女性ばかりではなく、未婚・処女など様々な意味を持つ。元はおとこと対になっていた言葉。

私という乙女が最初に死んだのは、中学生の時だった。たいして好きでもない男子と、学校のトイレでセックスをした。理由なんて覚えていないから、多分くだらない理由だったんだと思う。とにかく、ただ堕落的に殺したことは間違いない。

それから大学に入るまで幾度となく恋愛をした。男女に関係なく付き合って、キスをして、盛り上がってきたら体を重ねることもした。しかし、相手が男でも女でも、しょせんは学生の「遊び」だった。


好きだよとささやく顔の目に宿る情熱の火は吹けばすぐ死ぬ

すぐ終わる付き合い始めの片隅に貼りつく考えずっと好きだよ

「愛してる」君は私を好きみたい私は君が大嫌いだよ


この3つの短歌は、私が高校生の時に詠んだものだ。好きだよ、愛してる、ずっと一緒など周りの友達も彼氏も言っていたし、私も言ったと思う。でも、言葉にするたびに「そんな嘘をよくもまぁ」と思っていたし、むしろ「そうであってくれたらいいのに」と、ある種の祈りのように口にしていた。最初の乙女が死ぬ前は、甘酸っぱくて永久にある愛を信じていたのに、死んでから急に冷めてしまった。きっと夢の番人のような乙女だったんだろう。


彼との出会い

大学に入学したての頃、二つ上の先輩であった今の彼と出会った。スウェーデンからの留学生だった彼は、私と全く異なる人で、私が好きになるようなタイプの人でもなかった。私はオリオンのような、筋肉質で英雄然とした人を好きになりやすかった。少し女遊びが過ぎるのも、かえって丁度いいと思っていた。しかし、出会った彼は非常にまじめで、フレンドリーで、THE 人気者というような人だった。

友人として話すうちに、何度もデートに誘われるようになった。デートも今までの彼氏とは違って、美術館だったりバラ園だったり穏やかな場所が多かった。穏やかで心地よい時間はもちろんだが、私は彼の知性に惹かれたんだと思う。何かを見て、自分で考えて、言葉を紡いで自分の学びとする姿は、見ていて気持ちが良かった。今までの彼氏は、映画を見ても表面上の感想しか言わなかったのに、初めて帰り道に感想を言い合うのが楽しかった人だ。主人公と敵の対比が良かった、あの作品内の善悪とは、歴代シリーズから見ても、あそこはあれのオマージュで。一人で見るのが好きだったのに、いつの間にか映画を見る時には声をかけるようになっていた。

きっと、今までの私は「学生だから」というあきらめのもとに恋愛をなんとなくしていたのかもしれない。失礼極まりない行為だが、相手もそうだっただろうし、周りのみんなも「今だけの遊び」というような雰囲気だった。それだけに、彼のような人は新鮮で、彼の真意に気付いてもなお繋がりは持ち続けた。告白らしいことは無かったが、いつのまにか「きっとこれは付き合ってる」という関係になり、デート中に目と目があう回数が大幅に増えた頃には「彼氏」「彼女」として互いを認めていた。


死んだ乙女はゾンビになった

付き合って1年が経った頃、生活費などお互いを助け合うためにも同棲を始めることにした。「彼が卒業したら繋がりがなくなるかもしれない」と不安だった私は、家を共にしているという事実が生まれたのが嬉しかった。同棲し始めたからと言って急に燃え上がったわけでもなく、あくまで穏やかな関係が続いた。今まで見た恋愛の炎は鮮やかな赤だったのに、初めて青い炎を見たと思う。

彼は私にとってあまりにも鮮烈で、同時に私はもっといろんな人を知らねばならないとある種の義務感に駆られていた。たかだか高校から大学に上がった程度だが、夜鷹が初めて太陽を見た時と同じくらいの衝撃だった。もっと色んな人がいる、もしかしたらこの人以上に面白くてわくわくするような人がいるかもしれない。

この時、たいして歳の差もないのに私がまだ十代だからという理由だけで、肉体的な関係がなかった。欲求不満と冒険心に満ちた私は、そのことを隠さずに伝えた。別れたいというわけではなかったが、人に対しての見識を、恋愛観をアップデートしたかった。彼はただ、「それならまだ別れる必要はないよね。」とシンプルな答えを出した。

デートをするかもしれない、セックスをするかもしれない、それは浮気にあたるでしょう?と言ったけれど、それでも彼は「きっと僕のところに帰ってくるから。」と言った。それから半年ほど、彼氏がいるにもかかわらず合コンにも出たし他の男性とデートもした。ただ、不思議なことにセックスだけはしなかった。老若男女、様々な人と話した。中にはなかなかのおじ様、おば様ともデートをした。その人の人生、価値観、感性に触れていく中、セックスという究極のコミュニケーションをしたいと思う人がいなかった。

彼氏がいるから?まだ私が彼以上にときめく人に出会っていないだけ?など色々考えた。あるいは、一度飛び込んでみたら変わるのかもしれないと思ったが、それでも何故かむやみに飛び込むことはしたくなかった。いつしか、既に乙女なんかいないというのに、何かをとっておきたくなった。それが何かはいまでもわからない。きっとかつて適当に殺した乙女が、恨んでゾンビになったのかもしれない。

自分の中のゾンビを認識してから、私は他の人を知ろうとするのをやめた。乙女ゾンビを殺すのは彼であってほしいと願った。「きっと帰ってくる」という予言は見事的中したことになる。二度と蘇らないように、記憶に残るようなセックスをしたいと祈っていた。


今日未明一人の乙女が死にました凶器はバラの棘と見られます

乙女が二度目の死を迎えて、何度か季節を巡った。今年の1月27日、私と彼は互いにプロポーズをした。私は白い1本のバラを、彼は100本の赤いバラを。共通の趣味であった天体観測デートの時に渡しあった。101本のバラを抱えて、夜明けとともに笑いながら帰った。あの日の夜鷹は太陽にたどり着き、「未婚の女性」という意味の乙女が死んだ。

美しく着飾り埋葬されている三人娘は過去の象徴


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