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天草騒動

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島原の乱を題材にした江戸時代の実録物、『天草騒動』の現代語訳です。伝奇小説のような趣もあり、読み物としてたいへんに楽しめるものです。目次のページからお読みください。
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2023年12月の記事一覧

天草騒動 「68. 大団円の事」

 しばらくして松平伊豆守殿と戸田左門殿が江戸表にお帰りになり、このたびの一揆の鎮定につい…

天草騒動 「67. 諸将御軍令によって糺明の事」

 さて、北条殿は、二月二十六日に原の城下に着陣し、二十七日から城攻めにかかり、二十八日に…

天草騒動 「66. 山田右衛門助命の事」

 落城後、諸大名衆は高久の城に入って戦功の評議をされた。  まず、生け捕った者に首級を見…

天草騒動 「65. 渡邊四郎大夫最期の事」

 さて、一揆の巨魁、四郎大夫時貞は、伯父の甚兵衛をはじめとする一揆五十人をしたがえて、天…

天草騒動 「64. 蘆塚忠右衛門討死の事」

 さて、荒神ヶ洞の伏兵がだんだん討死していく中で、去年以来一揆の者らが軍師として頼りにし…

天草騒動 「63. 長岡帯刀、大矢野作左衛門を討ち取る事」

 やがて鍋島甲斐守殿の軍勢が単独で、原城の落城の跡から桧山の荒神ヶ洞の後ろに押し寄せ、 …

天草騒動 「62. 細川家手楯の事」

 さて、細川越中守殿は老巧の良将であったので、「黒田家の勢に負けるな。賊城はこの一戦で落ちるに違いないぞ。かかれ、かかれ。」と兵士に下知し、稲麻竹葦のごとく取り囲んだ。  この城戸口は、鉄砲の達人の駒木根八兵衛の持場であった。  前もって最期の戦いと心を決めて準備していたので、一間当たり五六挺づつ鉄砲を配置し、それぞれに弾薬係の者が付き添って詰め替えなどの手際も良く矢継ぎ早に撃ち出したため、寄せ手では手負いや討死が百人余りに及んだ。  城内から撃ちかける玉は雨のようであ

天草騒動 「61. 原の城手詰めの戦働きの事」

 さて、北條安房守氏長殿は、夕日の光が城山に映るのを見て、 「日光が白くて黒くはない。こ…