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AIが判決を下せるか?

スマホや自動運転。私が子供の頃には想像すらしていなかった技術です。これからも、想像の及ばないことが実現していくのでしょう。

「AIが裁判官になって判決を下す」という未来も、起こらないとは限りません。

「AI vs.教科書が読めない子供たち」(新井紀子)東洋経済新報社
AIはコンピューターであり、コンピューターは計算機であり、計算機は計算しかできない。

AIは計算機ですから、「果たして、数学的な計算によって判決が書けるのか?」という点を考える必要があります。

法律は、数学に近いと言えます。
例えば、貸したお金を返してもらう裁判を起こすとします。この裁判で権利を勝ち取るには、法律に書かれている「金銭の授受」と「返済の合意」を証明する必要があります。

法律は、「金銭の授受+返済の合意= 法的権利の発生」という、いわば数学の「公式」のようなもの。社会に生起する様々な問題に「公式」を当てはめて解いていくのが裁判だとすれば、「数学的な計算で裁判ができる=AIにも判決が書ける」ように思えます。

しかし、実際の裁判はどうかというと、ほとんどが「公式」以外のところで決着がつきます。

裁判の結果を左右する「公式」以外のところとは、次の2つです。

①事実の認定
②法律の解釈


①事実の認定について

例えば、裁判で「不倫をしたか、してないか」が争われているとします。

裁判官は、提出された写真やメール等の証拠を総合的に検証し、不貞の事実を認定するわけですが、その際は、数学的な公式ではなく、経験的な常識を用います。

刑事裁判で「被告人が犯人なのか」という事実を認定するときも同じです。有罪か無罪かは、数学的には解けるものではありません。

いくら数学を極めても、経験に基づいた常識は身につきませんから、AIが「事実の認定」をするには、人間的な経験を積むことが必要になりそうです。


②法律の解釈について

法律は、汎用性を持たせるため、抽象的な言葉で記述されています。
ですから、しばしば「この事例に、その法律が当てはめられるのか?」という解釈が問題となります。

例えば、法学部やロースクールで学ぶ判例に「たぬき・むじな事件」があります。

狩猟法という法律で「たぬき」の捕獲が禁止されていたところ、ある人が「むじな」だと思って捕獲したという事案です。

「同じ穴の狢(むじな)」の「むじな」は、動物学の分類としては「たぬき」になるそうです。

果たして、「むじな」を捕獲した人を有罪にできるのか?

大審院(今でいう最高裁)は、以下のように認定して「無罪」としました。

当時、一般に「たぬき」の他に「むじな」という動物がいると信じられており、両者が同一の動物であることは専門家以外にはほとんど知られていなかった。

このような「法律の解釈」をするにも、経験に基づいた常識やバランス感覚が求められます。

AIが「計算機」だとすれば、バランス感覚といった暗黙知を身につけることも難しそうです。

AIが「計算機」にとどまる限り、「①事実の認定」「②法律の解釈」という公式以外のところをクリアできず、判決を書くには至らないでしょう。

でも、AIが「計算機」を超えて「身体」を持ち、人間のように経験をしながらバランス感覚を身につけていけば、可能になるかもしれない。

「人工知能がこの世界に深く根ざし、この世界に生きるあらゆる生命と同じように、本当に生きることができるようにする」という研究も進んでいることを知りました。【人工知能のための哲学塾 東洋哲学編 三宅陽一郎


裁判員制度のように、裁判官とAIが合議して判決を下す日も、やってくるのでしょうか。

AIが裁判という国家権力の行使に関われるのか?そんな憲法上の問題も考えていく必要がありそうです。
(了)


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