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語彙を増やして世界を拡げる。

映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観ました。

討論冒頭での三島の発言に、笑いが起こります。

三島 「そくぶんしますところによりますと、これは何か百円以上のカンパを出して集まっているそうですが、私ははからずも諸君のカンパの資金集めに協力していることになる。」

「そくぶん」とは何か。
前後の文脈から、「聞いたところによると」という意味であることは、何となく分かります。でも漢字が思い浮かばない。

この討論会の文字起こしである単行本「美と共同体と東大闘争 三島由紀夫・東大全共闘(角川文庫)」を見ると、「仄聞(そくぶん)」でした。

仄聞:少し耳にはいること。人づてやうわさなどで聞くこと。(デジタル大辞泉)

「仄聞するところによると・・」を、私を含む多くの人が分かる言葉に言い換えるとすれば、「小耳に挟んだのですが・・」でしょうか。少し軽い感じがします。

「人づてに少しだけ聞いた」という状況に言葉を当てはめるなら、やはり「仄聞」が最適だし、端的にカッコいい。

Evernoteの語彙帳に「仄聞」の意味と例文をメモしました。

実は、Evernoteに「語彙帳」のファイルを作り、読めなかった漢字や、知らなかった語句を書き留めています。

最初は「恥をかかないように、こっそり覚えよう」という動機でしたが、最近は「語彙を増やして世界を拡げよう」という意識に変わりました。

「仄」を調べると、訓読みは「ほの」。
仄仄(ほのぼの)、仄か(ほのか)、仄めかす(ほのめかす)など、馴染みのある言葉が並んでいます。

「仄暗い」が”薄暗い”よりも不気味な感じがするのは、以前、そんなタイトルのホラー映画を観たせいでしょうか。

「仄聞」は漢検1級レベルですが、漢検1級のテキストを眺めると、まだまだ知らない言葉が沢山あることに気づきます。

新しく知った言葉だけでなく、既に知っている言葉でも、その意味を掘り下げて考えると学びになります。

例えば「客観的」とは、どんな意味なのか。

裁判で「これは客観的な事実です」と主張することがあります。
その場合は、「これは誰も否定できない」という意味を「客観的」に込めています。

ただ、よく考えてみると、「主観」と「客観」は明確に線引きできません。「すべては心の中の出来事に過ぎない」という思想に立てば、「客観的なもの」など何も無いことになります。

「もしかしたら『主観』『客観』という二項対立で考えない方がいいのかもしれない・・」。モヤモヤ考えていると、ヒントになる別の概念に出くわします。言葉のことを考え、新しい概念を知る。そんなふうに世界が拡がっていくのだと思います。

憲法を”学問”として学んだとき、最初に覚えた言葉は「個人の尊重」でした。

日本国憲法で最も根本的な条文は「13条」です。
憲法13条には、「個人の尊重」と「幸福追求権」が書かれています。

憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

学校で教わる憲法の原則は「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」ですが、諸原則の根幹にあるのが、この13条です。

「一人ひとりが尊重され、幸せを追求できる」概念として「個人の尊重」「幸福追求権」という言葉を学んでおけば、世界の見え方や世界との関わり方も変わるのではないでしょうか。


最近は「コロナ禍」といった言葉も生まれましたが、せっかく新しい言葉を取り入れるなら、もっと前向きで幸せが増えるような言葉を増やしていきたいものです。
(了)

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