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[小説]迷光仕掛けのガールフレンド(2)

 深夜二十四時。季節は秋で、真夜中の<旧市街>はまるで廃墟のように静かだった。何もかもが暗く陰鬱な雰囲気を放つ中で、唯一煌々と明かりがついているエリアがあった。通称<夜の街>、またの名をクズどもの掃き溜め。<旧市街>唯一の歓楽街だ。ここの一角にあるバーで、二人の男が飲んでいた。
 薄暗い店内は人が囁き合う声と、グラスがかちゃかちゃ鳴る音、そしてむせかえるような葉巻の匂いで満ちていた。今では電子たばこが主流だが、好き者たちの間ではあえてすたれた葉巻を好むものが多かった。バーカウンターの端っこに座っているスーツを着た初老の小太りの男もその一人だ。
「いやぁ、わざわざどうもね」
 彼は分厚い脂肪に包まれた身体を揺すりながらにっこりと笑った。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
 その向かい側では、アロハシャツを着たハゲかかった頭の小柄な男がヤニで汚れた歯を剥き出しにして笑っていた。
「例のやつは持ってきたのかね?」
 初老の男が言う。
「ええ、持ってきました」
 ハゲ頭は、カウンターの上にトランクを置いた。彼は、ゆっくりとそれを開ける。
「先生、これでどうでしょう」
 トランクの中身は、薄暗い中に映える大量の万札だった。どうやら、この二人は何かしらの取引を行なっているようだ。
「ほう」
 初老の方は、身をかがめてトランクの中身に見入った。そんな相手に、ハゲ頭が言う。
「これでなんとかしてくれますかね?」
「ああ、もちろん」
 初老の男がそこまで言った瞬間、どこかから扉を乱暴に開けるような音がした。
「な、なんだ?」
 二人が音のした方に目をやると、入り口の方に、二、三人ほど立っているのが見えた。一体誰なんだと、小太りが顔をしかめているるのに対し、ハゲ頭は顔面蒼白で震えていた。
「あ……あ……」
 そんな彼に、襲撃者の一人が話しかける。
「これはこれは。ヨシムラくんじゃないの」
 ふざけた口調でそう言ったのは、黒髪オールバックに、メガネをかけた痩せ気味の男だった。まとっている雰囲気からして、いわゆるカタギの人間ではないことは、誰の目にも明らかだった。
「それと……」
 オールバック男は、さらに小太りにも目を向ける。
「代議士のヤマオカ先生」
 ヤマオカと呼ばれた彼は、さらに険しい顔つきになった。そんな相手を尻目に、男はヨシムラと呼んだハゲの男に近づく。
「ヨシムラくん、いくら失敗をボスに隠したいからって、あたしたちに隠れて先生に賄賂を渡すのはよくないわよ」
「うるさいな」
 ヨシムラは苛立たしげに言った。
「いいだろ、それぐらい」
「それがよくないのよね……」
 オールバックは、ヨシムラの顎を掴んだ。「いい?」
 彼はメガネの奥の切長な瞳を、きらり、と光らせた。
「入る時に言ったわよね。我々の組に入ったなら、隠し事はだめって」
 さっきまでの声色はどこへやら、その声は重々しく、ドスがきいていた。他の客が、ざわつく中、ヨシムラはぽつりとこう言った。
「……っせぇよ」
「あら、何かしら?」
 男はわざと意地悪く聞き返す。
「う……」
 その言葉は、ヨシムラの逆鱗に触れた。彼はカウンターを思い切り叩きながらこう叫んだ。
「うるせええええんだよ!」
 彼は衝動的に立ち上がった。そしてそのまま店の裏口に向けて走り出した。
「あらあら、お子ちゃまね」
 男は、肩を落としながら言うと、部下たちにヨシムラを追うよう指示した。

 数分後。ヨシムラは、追手たちを振り切って裏口に辿り着いた。彼は、よろよろと歩きながら、ごろつきになった事を激しく後悔した。どんなに頑張ってものし上がれないし、頼まれる仕事はいつも汚れ仕事ばっかだ。なんでこんなところに入ったんだろう。
 もう嫌だ。ヨシムラは、はあはあと荒い息を吐きながらドアノブに手をかける。ここを出れば、きっと自由になれるんだ。彼は一縷の望みをかけて、扉を開いた。夜の冷たい空気が中に吹き込む中、ヨシムラはゆっくりと一歩を−–踏み出せなかった。
「え……」
 なぜなら、彼の目の前に、いかにもガラの悪い男たちが数人立っていたからだ。
「よお、ヨシムラ」
 ヨシムラは彼らのことを知っていた。同じ組の仲間だ。ヨシムラはおもわず後退りをした。
「おい、なんで逃げるんだよ」
 でも、連中は追いかけてくる。何度も何度も追いかけてくる。ヨシムラは再び店内に戻ると、バーカウンターの中に隠れた。
「もしもーし、どこにいますか?」
「怒らないから早く出てこいよ」
 自分を探して回るカワムラとかつての仲間達の声を、ヨシムラは震えながら聞いていた。さらによく耳をそば立ててみると、入り口のほうにも人がいるみたいで、もはや逃げ場などどこにもない状態だった。まさに袋のねずみとはこのことだ。そんな中でヨシムラは、なんとか落ち着こうと、アロハシャツのポケットからタバコを取り出した。大きな音が出ないように、恐る恐るライターで火をつける。カチリ、カチ。薄暗がりに、パッとオレンジ色の光と紫煙が浮かび上がる。ヨシムラは煙をゆっくりと吸い込み、ゆっくりと吐いた。彼は、ふうっとため息をついた。しばしの、安らかな時間。だがその時間はすぐに終わりを告げた。
「ヨシムラくーん、そこにいるのはわかってるわよ」
 カワムラのあの耳触りの悪いふざけた声が店内にこだまする。
「まさかこんな状況で、タバコををするとはなあ。本当に図太いやつだよ」
 仲間の一人がそう言うと、周りの連中がくすくすと笑う。
「おまえってさあ、いつもはトロいのに、こういう時は素早いんだな」
 くすくす笑いがまた一オクターブ高まる。
「くっ……」
 ヨシムラは、屈辱とバカにされた怒りで、胸がいっぱいだった。ついに限界にまで達した彼は、おもむろに立ち上がった。それを見たカワムラは、こう言った。
「あら、やっと素直になったのね」
 その言葉がさらにヨシムラを苛立たせた。
「この…………やろっ」
 ヨシムラはズボンの右ポケットに忍ばせていた拳銃を取り出した。前に構えて、引き金を引ければすべては終わる。しかし、彼のそんな思惑は、すぐに打ち砕かれてしまった。なんと、拳銃を前に構えようとしたところで、どこかから放たれたレーザービームが手に当たり、手に持った拳銃を落としてしまったのだ。
「なっ……?」
 あまりにも一瞬の出来事に、ヨシムラは呆然と立ち尽くした。だが、すぐに床に落ちた拳銃を拾おうと身をかがめた。ところが今度は、後ろから何かに蹴飛ばされた。
(一体、なんだ?)
 ヨシムラはうつ伏せに倒れたまま、周りに視界をめぐらせた。どこを見ても襲撃者の影はなかった。
「嘘だろ……」
 彼は、上体を起こして、自分の周りをさらに見た。もちろんそれでもいなかった。
「……」
 ヨシムラは、気味が悪くなり、体を震わせた。そんな彼をカワムラと仲間達がニヤニヤしながら見つめている。
(落ち着け、ここは気持ちを沈めて……)
 ヨシムラは、心の中で自分にそう言い聞かせながら、耳を澄ませた。たとえ巧妙に隠れていても、微かな音くらいは立てるだろうと思ったからだ。ごろつきをおれは何年やってるんだ。彼は必死に耳をそばだてる。すると、カタッという何か硬いものがぶつかるような音が真後ろから聞こえた。
「そこだ!」
 ヨシムラは即座に振り向くと、謎の襲撃者に一矢報おうと拳銃を向けた。しかし、銃口を向ける間もなく、彼は足を蹴られ、再び倒れた。
「な……なんだあ?」
 驚くいとまもなく、次は顔を殴られた。
「こ……このっ」
 やり返そうとしたのも叶わず、さらに背中や脇腹を蹴られ、その末に股間をやられてしまった。その後は、反抗する隙すらないほどにボコボコにされてしまった。
 満身創痍のヨシムラは薄れゆく意識の中で、目の前に現れた襲撃者の姿を見た。バーの薄灯に浮かび上がる銀色に輝く機械の体。その上に乗っているのは明らかに人間そのものの顔――明らかにそれはサイボーグだった。腕はワイヤーフレームが剥き出しで、中で人工筋肉が脈動していた。その表情はバイザーに隠れてわからなかったが、彼に送られている目線は、まるで養殖生簀のマグロを見るようにどこか冷たかった。ヨシムラは相手に近づこうと這っていったが、もう少しで彼に近づこうとしたところで、彼は事切れてしまった。

(続く)


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