「予備費10兆円を政争の具に使わないで」という主張の愚かさについて

三原じゅん子議員が、「予備費10兆円を政争の具に使わないで」と述べたという記事を見て、正直なところ、あきれています。

三原議員は、財政民主主義の重要性や、三権分立の意味を全く理解していないのですね。

財政民主主義は、マグナ・カルタ(1215)をはじめとして、権利章典(1689)、フランス人権宣言(1789)などにより、租税や経費の承認権を認めさせ、近代的な予算制度を勝ち取った、市民の代表たる議会の重要な権限です。

その議会の承認によらず、例外的に、政府が自由に使える予備費を、異常なほど巨額である10兆円にすることは、この財政民主主義を失わせる意味を持ちます。

財政民主主義の意義、三権分立の趣旨を考えれば、議会の存在を無視するに等しい予備費の計上に野党が反対するのは当たり前のことなのです。

そのような重大な問題を生じる10兆円の予備費について、政争の具にするなと、争いの種にすべき内容ではないと主張をすること自体が、議会の役割を何も分かっていないと自ら認めたに等しいのです。

しかも、「一日も早く国民の皆様に使えるようにするのが私たちの仕事」と述べているそうですが、全く本末転倒な物言いです。

必要な施策があれば、国会を閉会せずに、会期を延長して、必要な施策ができるようにすればいいのです。

結局のところ、三原議員一人の資質の問題ではありません。問題の根源にあるのは、国会における議論を避けようとする政府の対応なのです。

国会で使い方を追及されたくないから、国会を早く閉じたい。
しかし、新型コロナ対策として、支出できるようにしておく必要がある。
そのために、予備費を10兆円も計上せざるを得ないのです。

国会がどうして予算承認権を持つに至ったのか。
何故、予算に国会の承認が必要なのか。
そういう根本的なところから、今の政治の不誠実さ、異常さについて考えていただければと思います。

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