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“引き”の強さは世界一

先日、とあるジャズバンドのライブにお邪魔して、シットインしてきた帰り道…
人生の先輩たち、そしてジャズの先輩たちとたくさんお話しさせていただいたのち、最後にその日のメインゲストのような、素晴らしいテナーサックスプレイヤーとお話をしました。

深みのある渋い音色の持ち主のその方と、今までの楽器経験などを話しているときにふと、私はこんな言葉を漏らしていました。

「一旦楽器から離れてしまって、すごく後悔しています。少しずつでも再開した今は、20年後や30年後も楽器を続けていたい気持ちでいます」

初対面のはずなのにすごくリラックスしていた自分に驚きつつ、静かに佇むその方の横でまるで大きな森の中に身を委ねているような気分になると、するりと今後の展望を口にすることができました。

そう、私はこれから先、20年後も楽器を続けていたい。環境の変化や仕事の重責を理由に、一旦諦めた音楽に戻るのは、それこそ決意というか覚悟が必要でした。

手を引き、連れ戻してくれ、ここだよと居場所を作ってくれた人こそいたものの、音楽を続けるためにはある程度の気持ちの余裕や体力の余裕が必要だと痛いほど感じていたし、その余裕を持ち続けられるか、またすぐに離れてしまうのではないかと、不安しかなかったから。

学生時代とは異なり、それぞれの生活の中で、仕事や家事や他のこととバランスを取りながら音楽を続けるのは、ブランク明けの半年を過ごしてみてもわかる通り、思うようにいかないことばかり。
今まで聴いてきた音楽も楽器経験も、まるで無になったかのように感じるタイミングは、一度や二度ではなかったし、無邪気に音楽だけ楽しんでいればいい、というような心持ちでは決してありませんでした。

下の世代へつなぐ、姿勢を見せる責任や、仕事関係の方とすれ違うなど、私たちの世代になると、負うものや守るものができます。
目先の楽しみだけではなく、全てのバランスを保ちながらの継続を考えたとき、断念や諦めは少なからずあり、その「No」を下すときのストレスは、想像以上のものでした。


守るものがあるとき、そのために口にできないことや行動できないことがあるとき。他の選択肢を選ばざるを得ないようなとき。

「ごめんね」

「私も一緒にやりたかった」

「応援してるよ」

しか言えない歯痒さは、音楽の場面だけに限らずあるものです。
その歯痒さやもどかしさを瞬時にふりきれればいいのだけれど…そこまで鈍感ではないのが私の性なのです。


そんな私の指標になっているのが、フルートの師匠。
一緒に居る人によって、その場その場で陰にも陽にも傾く私とは異なり、歩いてくるだけで周りを明るく照らしてしまう方です。羨ましすぎる。

10年後…私もリングキイのフルートを吹けるようになっているだろうか…
15年後…師匠みたいにお肌ツルツルの素敵な女性で居られるだろうか…
20年後…どんなメンバーとライブをしているだろうか…

これから先を考えたら、今はまだスタート地点の1歩目にも満たないでしょう。
それでも、この初心者にとって満足に音を出すことすら難しい楽器…フルートを、ずっと続けて行く気がしています。
柔軟に、根気強く。…私の音色はどんなものになるのだろう。

自分で決めたやりたいことを、集中してやっているときの私の“引き”は、昔からかなり強い。
きっとこれからも、良縁と幸運に恵まれてゆくでしょう。

そう、あじさい綺麗だなーほしいなーと芍薬を選んだときから思っていたら、先ほど、道を歩いているとバケツに大量のあじさいが挿してあり、
「ご自由にお持ち帰りください」
と、あったように。…なんて棚ぼた!!(あじさいってちょっと、ぼたもちっぽいかも)

この調子で、新しく購入するフルートとの素敵なご縁がありますように♪
いや、きっとある。

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