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シンバ、まだアフリカを統一するには至らず

最近猫が部屋に出入りするようになった。名前をシンバという。

あまりに壮大な名前ではあるものの、アフリカ大陸を支配できそうなオーラはまだ出ていない。

近所の人の飼い猫らしく首輪がついており、その首輪の中に一枚の紙切れが入っている。そこにはShimbaという名前と飼い主の電話番号が記されている。

彼はミルクが好き。ついでに捌いた魚の切り身を頻繁にねだってくる。

餌は与えてはだめとのお達しが来たので、これからはあげないようにしようと彼女を部屋に連れてきて早2週間が経過するルームメイトと目配せをした。

ルームメイトと、というよりその彼女は特にシンバの扱いが上手である。

撫でるのも、キッチンから魚を奪おうとするシンバを抱き上げてそこから離すのも、穏やかにささっとやってのける。

そういう扱いの差もあるのか、自分のところよりルームメイトと彼女のところにばかりシンバがいってちょっと嫉妬心を感じる自分がいる。なぜ嫉妬するのか。

シンバとじゃれ合うときに少し緊張を感じる自分がいる。

その緊張はシンバから来るのではない。扱いのうまいルームメイトとその彼女のありもしない視線から生まれているのである。

自分がシンバと関わっているときどのように思われているのか、正しく抱き上げられているのか(そこに正しさなんてものがそもそもあるのか甚だ疑問である)...。

そうこうしているうちに自分にはあまり懐かないシンバをみていると、ありもしない目線を気にする自分をまるで鏡に移したかのように感じるのである。自分でなまじそれに気づいているもんだから、それをふんっとシンバに指摘されているようでヘコむ。

だからこそ、シンバがなつく二人に嫉妬心を覚えるのである。

わざわざオランダまできて、誰も自分を知らないような場所で、自分はまだゼロになることができない。

ゼロなんてもちろんありえないけど、手放しに両手を空高く、万歳をして叫ぶような時間を送ることはできないものか。

そういえば、シオザキリョウヘイというユーザーネームをRyoheiに変えた。

日本では苗字で呼ばれることが多かったがこちらにきてからは下の名前で名乗ることが多い。

今までは日本語英語ポルトガル語に関わらず、苗字か苗字から派生した「しお(shio)」とかで名乗っていた。

Ryoheiと名乗ると、今まで以上にそこに自分がいるような、身体にフィットしたような感覚を覚える。

シンバよ、今に見ておれ〜〜。


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