「すみだ向島EXPO2021」とはなんだったんだろう
この秋、自転車で何度往復したか分からないキラキラ橘商店街には、いつもヒットソングのBGMがループ再生されていました。
父が好きなMr.Childrenの「くるみ」は歌詞をほとんど覚えているので、マスク生活をいいことに、実は何度も口ずさんでいたりします。
”ねぇくるみ この街の景色は 君の目にどう映るの?”
まるで神様が仕組んだかのように、しっくりくるフレーズがリフレインする日々。とっても楽しかった。
PRマネージャーなんてたいそうな役割をいただき、裏方としての文章づくりに徹してきたけれど、ここでは私個人が届けたいことを綴ります。
すみだ向島EXPO2021とは
東京下町の長屋が最も多く残る墨田区の京島・八広・文花を舞台にした体験型芸術祭。防災面で問題視されてきた街の解決策として、20年前からアートが導入されてきた中で生まれた開催2度目の生まれたてプロジェクトです。
本当は会期が終わってからしっぽり書こうと思っていたんだけど「なぁんだ、行きたかったのに」という声が聞こえてくるような気がしたのです。
今週末で終わってしまうから、もし後から読み返しても、この日々を思い出せるように。
多様性のこと
最近すっかり聞き慣れてしまった「多様性」という言葉。
色んな人がいて、認め合って尊重して生きていく――。 言うは容易いこの風潮に、なんだかなと感じている人も少なくないと思います。
今回、すみだ向島EXPO(以下EXPO)ではそんな「多様性」に対して、下町の暮らしが生み出したひとつの答えのようなものを示してきました。
「本当の多様性とは、我慢しながら他の人たちと付き合うこと。」
長屋という、壁一枚隔てただけの住居が多く残るこの街には、隣近所と丁度よい距離感で付き合い、時にはおせっかいをして、時にはやせ我慢をしながら、なんとはなしに共に生きてきた文化が根づいています。
そんな街の特性を込めたパンフレットは、EXPOを語る上でも大事な一冊になりました。
アートディレクターの置田陽介さんによってデザインされたこの不思議な形状は、3冊の異なる小冊子をボンドでひとつにまとめる、とても手のかかる仕様です。
一冊目は、辻元しんこさんに撮り下ろしてもらった、街の風景やEXPOが形になっていくまでの写真集。
2冊目は、今回のために芸術監督のヒロセガイさんが声をかけた現代アーティストの紹介と過去作品。
そして3冊目は、この街にアート思考が加わった20年間の歩みをまとめた読み物(頑張って書いた)。
その間にMAPが挟まっていたり、地域のお勧め飲食店まとめが刺さっていたりします。
「木造住宅の密集地として問題視され、一軒でも火の手があがればたちまち燃え移り、共に被害に遭ってしまう。」
そんな「キレイごとじゃない共同体」として成立してきた背景と、多様なステータスの人が暮らす街を、こうして表現しました。
写真集・作家紹介・読み物がそれぞれの役割を担いながら、半ば無理やりひとまとめにされ、たやすく一緒に燃えたり濡れたりしてしまうような構造です。
さて、ここで「多様性とは我慢」の話に戻ります。
街を舞台にして大勢の人々を巻き込んだ一ヶ月間の芸術祭、しかもコロナ禍。
このことには触れざるを得ません。
みんな違った正義を持っていて、内から共に作り上げていく人も、外から好もしく思ってくれている人も、そうでない人もいます。年齢だってキャリアだって置かれている状況だってそれぞれでした。
だから色んなことがあったけれど、お互いを許し許される以前に、許すか許さないかを考える隙もなく、ごった煮のように一緒にいる場所が、そもそもこの街の魅力なんじゃないかと思うようになりました。
「我慢」だと聞こえは悪いけれど、「自分の意見だけを通さない」ならどうでしょう。
この街の人々にはそんなスタンスが根付いていて、だからアートが伸び伸びと混在できるのだと思うのです。
それは↓この取材で、近隣の方との関わりを知ったときにも感じたことでした。
アートは救い。下町の建物に期待をかける大家さんとアーティストの出逢い
そして、この街の人たちは驚くことに、特に知り合いなわけでもないのに「こんにちは」と小さく会釈すると必ず返してくれるんです。
大げさかもしれないけど、EXPO期間中に来場くださった方には、その感動を実感してもらいたいです。
隣人のこと
EXPOの全体テーマは「隣人と幸せな日」です。
隣人の解釈はそれぞれあるけれど、私は「この街に関わる全ての人」として捉えています。
すみだ向島EXPOの場にいる人の幸せを、自分たちがこの街に感じている魅力をもとにして、行動で示していくのが、一ヶ月間の挑戦でした。
だから、チケットを買って来てくださった方はもちろんのこと、普段からここで暮らす方たちが楽しんでくれたことがとても嬉しかったです。
飯川雄大さんの「デコレータークラブ — 0 人もしくは1人以上 の観客に向けて」では、お向かいの鮮魚店のおばさんがお客さんに作品の説明をしてくれるようになりました。
増山士郎さんの「Self Sufficient Life」では、空き地で作品上映をしているところにご近所の方が通りかかり、スタッフに激励の言葉をかけてくれたことも。
北野謙さんの「時間の部屋」は、初日の挨拶回りの際に興味を持ってくださったお隣のおじいさんやおばさんをご案内したりもしました。
タノタイガさんの「imprinting」の展示場所となった電気湯では、もともとまちづくりに対する想いがあったメンバーでトークイベントを企画したりも。
今回かなり目を引いた京島クロスロード村でも、数々のドラマがありました。
土日に開催した空き地DJイベントは、想像を超えて近隣の皆さんに賛同していただき、夢のような2日間を無事に終えることができました。
小畑亮吾さんによる「夕刻のヴァイオリン弾き」は老若男女が毎日18時に三角長屋に集う、ピースフルな風景を作り出しました。
会期中盤のある日、小畑さんに「この街は音楽や芸術の活動を許容してくれる器がありますよね」と言ったことがありました。
そのときに「多分自分のこの活動は、いろんな要素が揃っていまこのタイミングだからできたんだと思うよ」とお返事をもらったことが忘れられません。
「すみだ向島EXPOの黄色い旗」を免罪符として、街の人たちやアーティストが各々に持っている表現力を発揮したり、参加者が街の人と言葉を交わしやすくなったり。
そんな現象がこの一か月間存在し続けたことが、まるで奇跡みたいだと思っています。
月並みな表現になってしまうけれど、ここに書ききれないほどに素敵なあれこれで溢れていました。
これからのこと
街を舞台に芸術祭をしているからこそ、会場を横目に「いったい何をしているんだろう?」と足を止めてくださる地元住民の方はたくさんいます。
特にご年配の方たちには、「この辺も変わった」という枕詞があり、「昔はあそこに床屋さんがあってね」などと、すでに取り壊されてしまった建物のことを話して、応援もしてくれました。
きっとこれからすべきなのは、まずは動きを止めないこと。そして、ちゃんとその軌跡を伝える手段を用意していくのが、私のできることなのかもしれないと思っています。
会期自体は終わりを迎えながらも、また何か動き出しそうな予感です。
会期終了2日前の深夜0時より
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