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「黙っておけば、平和」だけど。

昔からよく「勝手に期待をして、現実を知ると失望する」ということを繰り返しています。だいぶ、めんどくさいですね。

相手からしたら「え、勝手に現実とちがうイメージをしたのは、あなたでしょ!そんなの、知らんし!」って感じでしょう。わかる、わたしも逆の立場ならそう思うわ。

わたしも、毎度毎度ショックを受けるの嫌なので、どうにかならないものかなぁと考えております。

そもそも「自分が勝手に期待しているだけだ」と分かっておくことは、余計なもめごとを避ける意味で大切。自衛にもなるし、相手を嫌わずに済みます。

それでも、期待が大きいとその分、失望も大きくなってしまいます。自分にとって大事なことほど、期待も失望も大きくなります。それだけ関心が強いということなのでしょう。

で、私にとってよくあるのが「期待した自分がバカだった。」と何も言わなくなっちゃうことです。もう、どうせもめるんだから、関わらないでおこう、避けようってなります。

ほんと、これは悪いくせです。言っても伝わらないこともあるのに、伝えることをハナから諦めちゃう。言わなくなっちゃう。これはまずい。放っておいてよくなることは、ほぼないです。

こうなると、末期。関係性は終わりに近い。表向きは「気にならないくらい、距離を置けばお互い嫌な思いをしなくていいでしょ?」なのですが、実際は交渉するのがめんどくさくなった。相手との関係性を諦めつつある状態です。

よくドラマや物語でも出てくる恋人同士の「距離を置きましょう」は別れたいのサインじゃないですか。あれです。

どうしたらいいのかなぁ、そもそも期待しなきゃいいのか?いや、それは関係性始まりもしないなぁと考えていました。そこでお得意の本を読みました。(私は何かに悩むと、読書が進みます)

”実際、役割期待がかなりずれていても、コミュニケーションが十分とれていれば、たいした問題にはなりません。コミュニケーションによってずれがだんだんと埋まってくることもありますし、仮にずれが埋まらないとしても、そんな相手を受け入れる態度が育ってくるためです。”p.189 『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』水島広子

この本を最初に読んだのは3、4年前になのに、最近読み返して「ええ!いいこと書いてある!!」とびっくりしました。

ざっくり言うと、最初はズレた期待をしていてもいいのかもなぁと思います。何か言われたり、起きたりする前から完璧なことはない。

ただ、自分の思っていること、感じていることや要求をちゃんと伝える。それで、相手から「これはやめて」とか「こっちなら、どう?」と返ってきたものを受け止める。

すり合わせや交渉をする、お互いに納得のいく地点を探すみたいなのが大切なんだろうなぁと思います。

わたしは不機嫌になるとついつい黙っちゃうんですが、言っていこう。じゃなきゃシーンとしたまま、終わっちゃうので。いろいろなことに共通することだなぁ。

最近、思っていることを言う場面が減って危機感を抱いています。

noteにも、仕事場でも嫌なことがあっても飲み込み気味。noteではたくさん炎上を見すぎて怖くなっているのもあります。振り返ってみると、半年くらい前はけっこう言いたい放題書いていたのに、最近全然書かなくなった。

アカウントが少しずつ大きくなってきて、声の届く範囲が広くなってきたのもあります。不用意なこと書けない…。言い方ひとつひとつに気を遣うのがめんどくさくて、最初から書かないになっています。

小さなことや、言ってもどうにもならないことは自分が飲み込んだ方が楽な気がしてきていました。言うのもエネルギーが要るし、誰かが傷つくかもしれない。私も、何か言われるの嫌ですし黙っておけばいいやと思っていた。なるべくきれいで平和なことを書こうとしていました。

ただ、このままだと静かにフェードアウトしてしまいそうなので、これからはもう少し、書いていこうかな。まだ、気持ちは残っているんです。

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