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おままごとの家出と父の不倫相手。

25歳のとき、うつとパニック障害になって新卒で入った会社を辞めた。それと同時に、家にいることがしんどくなった。母の「元気になってほしい」という要望に応えられるほど私にはエネルギーが残っていなかった。

どこか、遠くへ行きたい。
誰も私のことを知らないところへ。

無職なのでお金に余裕はない。貧乏旅行をするか、ウィークリーマンションでも借りるか。予算を頭に入れながら、候補地をネットで調べるだけでクラクラした。

無理。今の私にそんな元気はない。こんな当たり前のことすら、できなくなっているんだ。

そんなとき、最後の頼みの綱として、父の家があった。

私が高校1年生のとき、父の不倫をきっかけに両親が離婚した。父は「離婚はしたけれど、親であることには変わりはないんだから、いつでも遊びに来ていいよ。」と言ってくれていた。私や弟が泊まることを考えて、客用布団も買ったらしい。

一度も遊びに行ったことはなかったけれど、久しぶりにメールをしたらすぐに了承してくれた。母は私が父を頼ったことを不満そうにしていた。

期間を決めずに、スーツケース一つで父の家へ行く。数日分の着替えと、お気に入りのピンクのクッションを詰めていった。クッションに埋め尽くされたスーツケースを見て「なんでこんな実用的でないものを持っていっているんだろう」他人事のようにおかしくなった。

でも、それもよかった。きっと、クッションがあれば父の家でも落ち着いて過ごせるだろう。電車で30分の距離だけど、私はまるで遠くに旅行に出るような気分だった。

メールで駅からの道を教えてもらい、マンションを探した。駅から約徒歩5分。「鍵は郵便受けに入れてある」とあったので、郵便受けの中を探るとカサッと白いメモに貼りつけられた鍵が見つかった。

「GOAL!しおり、Welcome!」と手描きで書かれたメモ。

おお…マメだね、お父さん。

カチャリとドアを開けて入り、リビングのテーブルの上を見るとこちらにも、手描きの案内があった。

家の間取りと、それぞれのスペースの案内と注意点が書かれていた。和室を好きに使っていい、食材や道具も自由にしていいよ、ディ・チェコのパスタよかったら使って、たくさん映画のDVDがあるからリストを置いておく、寝室は彼女の物もあるからあまり触らないで、などなど。

おお…マメだね、お父さん。(2回目)

どうやら、父はけっこう歓迎ムードのようだ。まあ、私は何度連絡が来ても、冷たくしていたからなぁ…。頼られること自体が少しうれしいのかもしれない。

それから、いびつな居候生活が始まった。父は朝7時に仕事に出かけて夜20時過ぎに帰宅する。あれこれ世話を焼いたり、質問をしたりせずに放っておいてくれるのが、ありがたい。

そのときの私は昼間の4~5時間しか活動できなかったので、父と同じ家にいるのにあまり顔を合わせなかった。毎日、ぼんやりとして頭も身体も重かった。最初の数日間は、泥のようにひたすら眠っていた。

ある朝、早くに起きてリビングに向うと父に「おはよう。蒸し野菜、食べる?」と聞かれた。シリコンスチーマーでカブやにんじん、ブロッコリーを蒸していた。

「ドレッシングは飽きるから、結局、塩で食うのが一番旨いんだ。」

母がどれだけ健康に気を付けたメニューを作っても本人は気にせず、飲み会やらで遅い時間でもガッツリ揚げ物を食べていた父が…蒸し野菜。

あらまあ、人は生活によって変わるもんだ。お母さん、お父さんは自分で野菜を料理して、日常的にサイクリングもしているよ。相変わらずお腹はまんまるで、あんまり痩せていないけれど。(なんでだろう)

お風呂場には女性用のシャンプーとコンディショナー、ボディソープが置いてあった。私はそれを見て急に「おぉ、今も彼女と続いているんだ」と実感した。離婚の原因となった元不倫相手と10年続いている。どうやら一時の気の迷いではなかったらしい。

「お父さん、再婚はしないの?」と聞いたら「再婚する気でこのマンションを借りたんだけど、彼女に”子どもを産まないのに再婚するメリットがない”って断られた。」と苦笑していた。へぇ、そんなこともあるのか…。

父のマンションは、彼女がしょっちゅう泊まりに来ているけれど、一緒に住んでいるわけではないことがよく伝わってきた。

寝室のハンガーラックには、父の服の横に女性の服がたくさんかけられていた。シフォン素材のえんじ色や赤紫などの柄物のトップスやワンピースを見て、その女らしさが少し鼻についた。

傍から見れば、ふつうの「恋人のいる人の家」に見えただろう。その女性のモノはすごく自然に溶けこんでいた。なんだか、歴史を感じる。この家にとって"唐突なお客さん”は私で、彼女の方がずっと家族に近いのだろう。

それでも、過去の自分のためにちょっとした仕返しをしてやった。お風呂場で、彼女のシャンプーをこっそりと奥に追いやって、これみよがしに私の買ってきたシャンプーを手前に置いてやった。

私のシャンプーは植物由来のナチュラルなもの。クローゼットから見えてきた”彼女”は、こんな低刺激のシャンプーを使わないだろう。本当は中身を使い終わっていたのに、わざわざ捨てずに空の容器だけを置いてきた。

弱っているのに、こんなことはするんだな。嫌なやつ。

別に私は父の同棲生活をのぞき、父や彼女に嫌がらせをするために来たわけではなかった。ほとんどのときは、父の家だと意識をせずに、ぼんやりとして過ごした。

晴れた日には家の周りを散歩をした。スーパーを見かけたので、食材を買ってきて自分の分だけ料理をした。高校生のころに好きだったチョコチップメロンパンを朝食用に買ったとき「自由だ」と感じた。栄養バランスを気にする必要はない。まるで旅行のような非日常感。

気の向くままにフラフラ過ごしていると、空っぽになった自分の心のコップに一滴ずつ新しい水が入っていくようだった。

朝の光がまぶしい、川の水面に光が反射してキラキラしていた、自分の好きな具だけのうどんを作った、映画を観て笑えた…。

ポチャン、ポチャンと水が溜まってくるのがわかった。

期限は特に決めていなかった。というか、そのときは何も決められなかった。精神が病むと簡単な判断もできなくなってしまうのだ。どのくらいの期間、何をすれば元気になれるか想像がつくくらいなら、こんな風になっていない。

父にもらった映画リストの中から気になるものを片っ端から見ていった。普段は邦画が好きだけれど、洋画のコメディみたいな軽い映画ばかりを観た。

特に見たい映画が無くなったとき、スコンと「そろそろ、帰るか」と感じた。潮時だ。この生活は、旅のようだからよかったんだ。慣れてきてしまったら、嫌な面も目についてしまう。

非日常が日常になってしまう前に、引き上げよう。

これが、私の初めての家出だった。2週間、父の家に泊まっただけ。

なんとも規模が小さくて、笑ってしまう。どうせなら片道切符を買って夜行列車で北を目指すとかすればいいのに!全てを御膳立てしてもらった上でお金もかからない、おままごとのような時間だった。

逃げ出したくて、遠くに行きたくて、自分の人生が重たくて放り投げてしまいたかった。

傍から見たら、だいぶどうしようもない図だ。離婚した父の家でダラダラ過ごす無職の25歳の娘。

おい、私。父の彼女のシャンプーをどけて、テリトリー争いをしている場合ではない。

私の人生がうまくいかないのは、親のせいではなかった。散々、甘やかしてもらいながらも、文句を言う私はどこまでも子どもだった。中学生のとき、喧嘩をする両親の仲裁に入っていた大人な私はどこへ行ってしまったのだろう。

あの2週間は、ちぐはぐで、変で、全然正しくなかったけれど、それをふんわりと包んで許してくれるような奇妙な優しさがあった。

今でも私が辛くなったときに思い出すのは、あの光景だ。

順調なときは落ちるのが怖いけれど、落ちてみると意外な展開が訪れる。

あの頃、よく思い浮かべていたのは、海の底へ沈んでいくイメージだった。そこでは表面の波が届かないし音も聞こえない。陸の上でみんながあくせくしているようなことがどうでもよく感じられる。

ぼんやりと暗くて暖かいところへ、ブクブクと泡を吐き出しながら降りていく。胎児のように体を丸めたまま、上を見上げる。水面に合わせてチラチラと揺れる光を眺める。

深く、深く、息を吐き出す。



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