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そもそも、感情の解像度って上げた方がいいんですか…? #磨け感情解像度

「磨け感情解像度」のコンテストを初めて知ったとき、心がザワザワしました。ここ2週間くらい、気づけばふとこのコンテストについて考えていました。

最初は楽しそうなテーマと、入谷さんの主催ということで純粋に楽しみだから興奮しているのだろうと思っていました。キナリ杯の後で、コンテストというものに執着しているのかもしれない、とも感じました。

でも、それだけじゃありません。「感情の解像度は上げた方がいいのだろうか?」という疑問が頭から離れないのです。本当に、わからないから知りたい。

それに、ちょっと知ることが怖い。そこには重大なことがある気がするからです。

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まず、「磨け感情解像度」は入谷さんの主催するnote非公式のコンテストです。

気持ち/人への想い/葛藤/心象を、解像度の高い言葉でうまく表現した作品に賞を贈ります。これは私自身が磨きたい部分なので、皆さんのいろいろな工夫を、作品を通じて教えてください。

入谷さんはこのnoteの中で、感情の解像度について言及している資料としてコピーライター梅田悟司さんの解説トッドカシュダン博士の論文をあげられています。

梅田悟司さんのリンク先では「内なる言葉の言葉」の解像度を上げることについて書かれています。感情だけでなく思考も含めた自分の頭の中の言葉の解像度を上げること、です。

トッドカシュダン博士の論文の書籍には、どんな感情にも意味があるということ書かれています。ポジティブな感情も、ネガティブな感情も受け入れて幅広く活用できる人がもっとも健全であり人生において成功する可能性が高いと書かれています。(両方とも、書籍を読みました)

さらに、コンテストの告知文で入谷さんは次のように書かれています。

そして、「感情」。感情は、私が最も苦手とする側面の一つかもしれません。左脳先行でロジックが前に立ちやすい分、心の動きを丁寧にとらえて、的確な言葉で表現するのが難しい。

なぜ、得意なことではなく、苦手なことについてコンテストを開催するんでしょう?(私設賞の岸田さんのキナリ杯、嶋津さんの教養のエチュードにしても得意なこと、自分の大切にしている価値観をテーマにされているはずです。)

疑問へのヒントを探して、入谷さんの過去のnoteを何本か読ませていただきました。特に私が気になったのは次のnoteです。

このnoteでは「相手をリスペクトして、適切な間合いをとること」について書かれています。

あと、『積荷を捨てろ』『ゲーマー的思考回路/打率と勝算/完璧主義』にしても、『noteを速読するには』を読んだ印象は「大局観的な方だな」です。

ザッと全体を見て、要点をつかみ、その上でバランスを見たり、戦略を考えたりすることが得意なのだろうな…と感じました。近くで細かい点まで観察するというより、遠く、高い視点から全体を見渡す人、というイメージを持ちました。

ここで、感情に限らない「解像度」の話をさせていただきます。

「解像度が高い」と聞いて、イメージするのは画素数の高いカメラやテレビです。細かい部分までくっきりと見ることができますが、デメリットもあります。使いこなすのが難しかったり、見たくないものもくっきり写してしまったりすることです。

全体をザッと把握するためには、解像度が高くない方がいいこともあります。これは私のオリジナルな考え方ではありません。

たとえば、深津さんの『モノづくりの解像度の話』の中に、「大きな傾向として、細部に注視して精度を高める方向に特化傾向があり、全体を俯瞰することが相対的に苦手なように見える。俯瞰ができないというよりは、俯瞰よりも細部に集中する傾向がある。」とあります。

私は、木を見て森を見ずなところがあります。優先順位の低いことにとらわれて、高いことをこぼれ落ちさせてしまうことがあります。その上、キャパシティが狭く、処理能力が高いとは言えません。

なぜ、このコンテストの「磨け、感情解像度」にここまで引っかかったのかと考えてみると、自分が解像度の高さと低さが入り混じり、コントロールしきれていないからかもしれません。特に、感情については振り回されることも多く、思考部分で整理していくことでなんとかバランスを保とうとしています。

一眼レフのカメラが使う人を選ぶように、感情の解像度の高さも使いこなせなければ自分を苦しめることすらあると思うのです。最近「HSP」という言葉をよく聞くようになったのは偶然じゃなくて、自分のセンサーの敏感さを持て余して困っている人が多いからではないでしょうか。

ただ、入谷さんがテーマとして「解像度」だけでなく「感情」の解像度を上げることに重きを置くのには、そこに至るまでの文脈があったはずです。

「きく」中心の人生だから#わたしをかたちづくったもののnoteを読み、「もしかしたら、入谷さんは他の人の話を全力できく機会を作っているのかなぁ。そのために、勉強をしているのかもしれない。」と思いました。

「答えを探しに行ってる」ところ、前提をひっくり返して申し訳ありません。

芸術作品としての完成度を高めたいのであれば、感情の解像度を高くする必要はあると思います。

ただ、入谷さんは告知文の最後の方で次のように書かれていました。

感情の解像度を上げることは、創作技術としても使えるだけでなく、自分自身のこころの安定(たくましさ)にもつながるかもしれない。さまざまな効能がありそうです。

もし、こころの安定(たくましさ)を目標に設定するのであれば、自分の今の解像度を受け入れて、使いこなす練習をした方がよいのではないでしょうか。あと、個人的にはボヤっとしかとらえられなくても、本質を見失わないことが大切だと思っています。

入谷さんだけでなく、コンテストに関わる方皆様に水を差すような形になってしまったとしたら、申し訳ないです。否定するつもりはまったくありません。コンテストの基準に正解はありませんし、主催者が決めるものです。

ただ、私とずいぶん意見がちがいそうなので、純粋に知りたいのです。

入谷さん、コンテストを通じて、どんな答えを見つけましたか?

どう感じて、どんな結果を出すのかを楽しみにしています。考えるきっかけをくださり、ありがとうございます。


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