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会社員先生、海を渡る。―子どもたちから学んだ大切なこと―

#会社員先生に期待することは何ですか? というテーマで日経COMEMOが意見募集をしている。

私は過去に「会社員先生」として海を渡った。

2016年夏、デジタル教育について研究するためフランスに渡った。現地滞在中、途中から研究の現場を大学院から学校に移した。その際インターンとして雇い入れてくれたのが、フランス国内のとあるインターナショナルスクールだった。それから半年間、ICTのアシスタントティーチャーとして働きながら、実に色々な経験をさせてもらった。

コロナ禍以降、日本でも民間人材を学校現場に登用する動きが加速している。例えば文部科学省は、学校現場の求人を企業に紹介するサイト「学校雇用シェアリンク」を年始に開設した。コロナ禍で業績が悪化した企業に対し、雇用維持対策として打ち出したものだ。また民間においては、教員に携わりたい個人と学校現場をつなぐサービスがここ数年盛り上がりを見せている。「複業先生」や「Teach for Japan」などはそれらの一例だ。

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今後このような動きが加速すれば、過去の私のように、会社員として学校教育に携わる人々が増えるかもしれない。そのような未来を見据え、今回は日経COMEMOのテーマに沿って「会社員先生」の貢献について考えてみたいと思う。同時に私自身の過去の経験を振り返りながら、会社員先生になることのメリットについても考えてみたい。

私の「会社員先生」体験

2017年、フランス国内の小学校で半年間の教育実習をした。自身の研究テーマであるデジタル教育について、現場の実践を学ぶことを目的としていた。毎日小学校に通い、フルタイムで実際に指導を行いながら、クラブ活動の指導や校内研究など複数の活動に携わった。

受け入れ先の学校は幼稚園から高校まで一貫のインターナショナルスクールだった。世界60カ国以上から700名以上の生徒が在籍し、35ヵ国語以上の言葉が話される、名実ともにインターナショナルな学校だった。

校内での私の役割は、ICT(情報科)のアシスタントティーチャーだった。ICT専任教員の指導のもと、実際の授業に入り、コンピューターを使った授業をサポートするというものだ。小学校の全学年を対象に、毎日2~3コマの授業を担当した。他にも生徒の課外活動をサポートしたり、校内研究に参加したりなどした。

このように実質フルタイムで校内活動に携わっていたものの、私自身の本分はあくまで会社員だった。というのも、一年間のフランス滞在中、日本の勤務先(民間企業)に籍を置いたままの状態にしていた。そんなわけで私は「会社員先生」として、フランスの小学校で半年間修行をしたというわけだ。

会社員先生が提供できるメリット

今回日経COMEMOでは、 #会社員先生に期待すること というテーマで意見募集している。実際に会社員先生として現場に入ってみると、会社員のスキルや知識を生かして学校現場に貢献できることはたくさんあるように思う。今回は私自身の経験から、特に重要と考える3つの点について述べたい。

1.先生でも親でもない「斜めの関係」を提供できる

「会社員先生」は、親でも先生でもない「斜め」上の存在だ。斜め上の存在がいることで、子どもたちにとっての精神的な居場所が増えたり、自分の意見を表現しやすくなったりといったメリットが生まれる。

インターナショナルスクールで働いていた半年間、子どもたちは皆かなりフランクに接してきてくれた。特に高学年の子たちは私の立場をよく理解しており、「大きいお姉さん」のような感覚で接してくれた。好きなマンガやゲームの話はもちろん、友達関係や恋愛についてなど、色々腹を割って話してくれた。中には「誰と誰が付き合っていて……」など聞いてもいないことを教えてくれる子もいた。親や担任の先生が相手だったらなかなか話しづらいことだと思う。

今でも印象に残っている子がいる。小学校5年生の女の子だった(※プライバシー保護のため仮名で「リン」とする)。フランスに来たばかりで、フランス語はもちろん、校内共通語である英語もあまり話せなかった。先生や友達に話しかけられても「何を言っているか分からない」といった風に反応をしないことが多かった。授業中も休み時間も独りでいる姿をよく見かけた。

リンの孤立は校内で問題になっていた。しかし彼女の母国語を流ちょうに話せる教員がいないこともあり、みな頭を悩ませていた。そんな中タイミングよく同じアジア人の私が飛び込んできたということで、リンの個人メンターとしての役割を拝命することになった。

私はリンを知ることから始めることにした。「週末は何して遊んだの?」「今日のお弁当のおかず何だった?」休み時間のたびに教室に行き、話しかけてみた。しかし私に対して心を開くどころか、迷惑という気持ちのほうが大きいようだった。「私は大丈夫なので放っておいて下さい」とでも言わんばかりに、全身から拒否のメッセージを発していた。

しかしクールな装いの一方、私の目には、孤独が叫び声を上げているようにも思えた。彼女はきょうだいの一番上だった。長女として期待されることの多い人生を歩んできたのかもしれない。その境遇はなんとなく自分自身と重なった。そこで彼女への接し方を少し変えてみることにした。彼女を知ろうとするのではなく、まずは自分について開示することにした。

「わたし、初めてフランスの八百屋さんで買い物しようとしたとき、リンゴ一個も買えずに引き返してきちゃったんだよね」
「最初は地下鉄の出口すら分からなくて、駅の中を堂々巡りでさ……」

そんな話を面白おかしくしているうちに、少しずつ彼女の方から口を開いてくれるようになった。初めは読んでいる本など、当たり障りのないことから少しずつ。彼女が読んでいる本を図書館で借りて読んだりしてみた。そんなところから少しずつ話題が広がっていった。

そんななか、年度末の学習発表会にむけてテーマ決めをする時期がやってきた。5年生の全員がペアを組み、テーマを決めて学習し、発表するという一年間の集大成だ。各ペアには担当教員がつき、個別に指導を行っていく。リンはフランス人のトマ(仮名)とペアを組むことになった。そして私と私の上司が個別指導教員としてアサインされた。

リンは「地震」をテーマにしたいといった。リンの母国は日本と同様に地震が多く、東日本大震災をはじめ世界の災害に強い関心を抱いていた。一方トマは「睡眠」がいいと言った。最近睡眠不足に悩んでいたようだ。私は二人の話し合いに影響を及ぼさないよう、一歩引いて話の成り行きを見守っていた。結局その日のうちには決着しなかった。

翌日教室に行ってみると、リンが浮かない顔をしていた。「睡眠になった」と彼女は言った。

「そうか。納得がいかないんだね」
「……。」

聞くと、話し合いはずっと平行線を辿り、今朝担任の先生がついに二人を呼び出したとのこと。そして先生の判断で睡眠に決着したそうだ。しかしリンは納得していなかった。二人で担任の先生のところへ行くことにした。説明を求めると、先生曰く「フランスには地震がないから、テーマに共感を得られない」と。

(でも隣国イタリアでも地震はあるし……。それに60ヵ国以上から子どもたちが集まっているのだから、地震が多い国から来た家族もいるはず……)

反論が口をついて出かけた。しかしぐいと飲み込んだ。そしてリン自身の言葉を待った。リンは頑張って、二言三言を返した。しかし終いには口を堅く結んでしまった。結局先生を説得することはできなかった。

二人で席に戻った。私はリンが泣いてしまうのではないかと思った。彼女はしばらく物思いに耽った。そして「睡眠でもいい」といった。彼女の顔を見ると、何か霧が晴れたような表情をしていた。

そこからのリンの快進撃はすごかった。自分で様々なアイデアを思いついては、積極的に実行に移しはじめた。睡眠のしくみについて調べ始めたかと思えば、自分の睡眠記録をノートにつけ始めた。さらに睡眠に良い音楽やストレッチなど、自分で調べて生活に取り入れるようになった。私もいつしかYoutubeで波の音のBGMを流しながら眠りにつくようになった。

発表会の準備が進むにつれ、彼女の心のうちに触れる機会が増えてきた。

「帰国したら〇〇の学校に行けって親は言うけど、自分はこんな風に考えている」
「この学校は親が決めちゃったけど、本当は他に行きたいところがあった」

これらのことを、リンは親や先生に伝えず、ずっと心の内に秘めていた。責任感が強い子だった。これらのことを口にしたら両親を落胆させると思ったのだろう。自分の思いを先生に主張できなかったのも、言葉の壁だけが理由ではなかったと思う。しかし私に対してはそれらの思いを打ち明けてくれた。それは恐らく、私が先生でも親でもなかったからだろう。立場は上だけれど、先生や親との間にあるような上下関係ではない。少し距離はあるけど、だからこそ気楽に話せる。そんな「斜め上」の関係だったからこそ、自分の気持ちを打ち明ける気になれたのではないかと思う。

子どもたちにとって、二大社会は家庭と学校だ。それら社会について考えたとき、基本的に「タテ」と「ヨコ」の関係しかないことに気づく。親や先生と子どもたちの間にあるのは「タテ」の関係。生徒同士やきょうだいは「ヨコ」。しかしタテとヨコの関係だけでは閉塞感を感じてしまう。それは大人だって同じだ。上司と同期しかいない会社を想像してほしい。

社会ではメンターやロールモデルといった存在の重要性が指摘されている。子どもたちにとってもそのような存在は有益だ。会社員先生はよりフラットな立場で子どもの意見に耳を傾けてあげられる。そうして子どもたちの精神的な居場所を増やしてあげられたら、学校は子どもたちにとってもっと暮らしやすい場所になるのではないだろうか。

2.「生きた教材」として学校と社会をつなぐ窓になれる

会社員先生は、子どもたちが普段学校で習っていることに息を吹き込み、現実のものとして立ち上がらせることができる。まさに「生きた教材」として、子どもたちと社会をつなぐ存在を担うことができる。

フランスの小学校で働いていた頃、近所の高校で日本をテーマに出張授業をするご縁に恵まれた。高校教諭をしている大学院の同級生からの誘いだった。彼女は市内の公立高校で世界史の教員をしていた。私と彼女は課題でよくペアになり、それをきっかけにとても良い友達になった。そんな彼女が、勤務する高校に遊びに来ないかと誘ってくれたのだ。しかしただ遊びに行くだけでは手持ち無沙汰なので、「何かできることはないか」と聞いた。すると「日本について話をしてほしい」と提案された。60分間の授業のうち、後半30分間を自由に使って良いと言われた。迷った挙句、世界史の授業なので日本の歴史をテーマに話すことにした。縄文時代から近代までを15分の内容に凝縮し、さらに現代の日本についても盛り込み、プチ出前授業を用意した。

当日、彼女に案内されて教室へ入った。高校二年生の世界史の授業だった。クラスの最後部に席を取り、まずは静かに授業の様子を見学することにした。

見学者の存在もあってか、初めはみなきちんと授業を聞いていた。しかし時間が経つにつれ、明らかにだれた空気が漂ってきた。ヒソヒソと私語を始める子、机の下でマンガを読み始める子。さらには居眠りをする子まで。彼らの様子を背後から眺めながら、「30分もいらないな」と思った。授業をしてポツポツと質問を受けたら、残りの時間は返上することになるだろう。

前半の授業が終わり、友人が教壇の方へと促した。一段高くなった教壇にのぼり、生徒たちと向き合った。その瞬間、なにか教室の雰囲気が一変した。さっきまでマンガを読んでいた子が頭を上げた。隣の生徒と私語をしていた子たちも、一斉に壇上のほうを向き直った。二十四の瞳ならぬ、三十くらいの瞳が、一斉に私の全身を貫いた。

「Bonjour, tout le monde !」(皆さんこんにちは!)

戸惑いつつも、準備していた通り元気よく挨拶を投げかけた。すると一斉に、

「Bonjour !」

と大きな挨拶がこだまして返ってきた。

(この一瞬のあいだに何が起こったのだろう……?)

用意してきたスライドを用いて授業を始めた。話をしている間も、私語をしたり漫画を読んだりせず、皆熱心な表情で耳を傾けてくれた。最後のスライドを終え、「Merci(ありがとう)」と言い終えた。瞬間、静寂が訪れた。

静寂の後に教室を包んだのは、拍手だった。

鳴り止まない拍手。まっすぐに私をとらえる三十の瞳。友人もクラス後方から拍手を送ってくれた。

「ありがとう。素晴らしい授業でしたね。質問がある人はいますか?」

同時に3人くらいから手が挙がった。迷った末、ユニバーサル・ルールの「早い者勝ち」で回答していくことにした。回答しても、次から次へと手が挙がった。

「日本ではフランスのどんな面が知られていますか?」
「日本の高校生たちは政治についてどんな風に考えていますか?」
「日本でもフランスの音楽は聴かれているの?」
「日本人がパリに来たら失望するって本当?」
「ピコ太郎って日本人なんですか?」(←当時世界中でPPAP旋風が吹き荒れていた)

高校生らしい素朴な質問ばかりだった。結局残りの授業時間は使い果たしてしまった。さらに10分ほど時間をオーバーしてしまった。

あの日教室で起こった不思議な熱狂の正体は何だったのだろう。

思うに、日本人の私が突然やってきたことで、世界史や地理といった茫洋としたテーマが突如現実のものとして彼らの前に立ち現れたのではないか。これまで教科書やスクリーンの中だけで学んできたことが、突然現れた日本人の存在により、はじめて実体のあるものとして目の前に現れたのではないだろうか。

世界史の授業にいきなり外国人が現れるというのはある意味極端な例だ。しかしこのような取り組みは日本の学校でも既に頻繁に行われている。食育の授業に栄養士が招かれたり、防災に関する授業で消防士が学校を訪問したりといった例がある。子どもたちの多くが将来ビジネスの世界で生きていくことを考えると、会社員先生が貢献できる役割は大きい。これぞ会社員先生が学校教育に直接的に貢献できることの最たる例ではないだろうか。

3.「余力人材」としてスキルや時間を提供できる

子どもたちに直接関わらない部分でも、会社員先生が活躍できる道はある。会社員として培ったスキルを活かして事務面や環境整備に貢献する道などが考えられる。

私は小学校で授業とクラブ活動を受け持ったほか、校内研究にも携わっていた。そこで担った役割には以下のようなものがある。

・普段の授業の様子の録画・録音(ビデオカメラ等による)
・先生・生徒たちの発言内容の文字起こし
・質的手法による発言内容の分析
・先生方に対する分析結果のフィードバック

これらは多忙すぎる先生たちではなかなか手が回らない。校務分掌の少ない私のようなインターンだったからこそ貢献できたと言える。

社会人としての就業経験があれば、教育に関する専門知識や実務経験がなくとも、基礎的な事務スキルや対人スキルをもって貢献できることはたくさんある。教育現場は慢性的に人手不足の状態にあり、「もっと現場を良くしたい」と思いつつも手一杯というのが現実だ。そこで会社員が各々のスキルを活かした貢献ができれば、先生たちに時間や精神面での余裕が生まれる。そして普段できなかったことに着手でき、教育環境の改善につなげることができる。その利益は最終的に子どもたちに還元される。ビジネス経験を持った会社員先生だからこそできる貢献だろう。

会社員先生になることのメリット

ここまでお読みいただき、会社員先生という働き方に関心を持たれた人もいるかもしれない。ここからは会社員先生になることのメリットについて、個人の体験から簡単に振り返ってみたい。

一つ目は、仕事で得た知識を棚卸しできること
人に教えるためには、まず自分が持っている知識を整理しなくてはならない。

自分は何をどこまで知っているのか?
知らないことは何か?
自分の知識はどのように体系付けられるだろうか?
それを小学生にもわかるように説明するにはどうすれば良いか?

このように自分の知識を一から整理してみることで、物事への理解が深まったり、逆に自分が知らなかった部分に気づいたりする。特に「小学生にもわかるように」というところがポイントだ。自分が普段使っている言葉には、専門用語や業界用語が意外と多いことに気づく。それを小学生にもわかるように言い換えるとどうなるか? このような視点で振り返ると、分かっているようで意外と理解できていない部分があったり、うまく説明できない部分があることに気づいたりする。このように自分の知識を一から棚卸しすることは、その知識を強化したりアップデートすることにつながる。

二つ目は、自分の仕事がどのように社会の役に立っているか再確認できることだ。
例えば私の場合、出版社で教科書に関わる仕事をしていた。絵本や学習参考書などはまだしも、教科書の場合、実際に使われている現場を見なければそれらがいかに役に立っているかイメージしづらい。学校現場で実際に教材が使われているところを目の当たりにすることで、自分の仕事の意義を実感することができたし、新たなモチベーションにつなげることができた。教科書などは分かりやすい例だが、一見学校と関わりのなさそうな分野でも意外な関連性を見い出す可能性はある。学校は子どもたちにとって生活の場だ。全く関係のない物事を見つける方が難しい。

商材に限らず、プログラマーなど職種によっては、自身のスキルをもって直接現場の役に立てる場合もある。英語が話せる人は、英語の授業で貢献する道もあるかもしれない。自分の仕事内容やスキルが実社会でいかに役立つのかを知る上で、学校というのは理想的な現場だと思う。

最後に、会社員先生になるというのは、教えることばかりではない。逆に子どもたちから教わることもたくさんある。むしろその方が多いかもしれない。

折に触れて思い出すエピソードがある。
フランスの小学校で、リンとトマが学習発表会に使うポスターの準備をしていた時のこと。ポスターの背景色を何色にするかでもう30分くらい平行線をたどっていた。リンは青が良いといった。トマは銀色が良いといった。私はいつものように一歩引いて彼らの議論の成り行きを見守っていた。さて、ここからどうやって合意に至るだろうか。

リンが「もうだめだ」、という表情で私の方を見た。私は二人に声をかけた。「どうしようか?」するとトマがおもむろに言い放った。

「両方使えばいいんじゃない」

どういうことかと訊くと、右半分を青にして、左半分を銀色にすればいいじゃないか、と。

さすがにそれは……、と思いつつ、私たちは試しにやってみることにした。半信半疑に思いつつ、右半分に青の紙を重ね、左半分に銀の紙を重ねてみた。驚いた。一見馴染みそうもなかった二色は、いざ引き合わせてみると、元々その組み合わせであったかのようにしっくりと収まった。控えめに言っても、ものすごく素敵だったのだ。正直、「青と銀色の背景のポスターなんて……」と思っていた。リンも同じ考えだったと思う。しかし今やリンも「いいかも」と目を輝かせていた。奇抜なアイデアと内心切り捨てそうになった自分を恥じた。他のどこにもない、独創的でオリジナルなポスターができあがった。

厳密にいえば、彼らが到達したのは合意ではない。スペースをシェアしあっただけだ。それでもそれが彼らにとっての解となった。合意という概念だけに囚われ続けていたら、決して到達し得なかった解だ。

社会人として長く生活してきて、いかに自分が合意という概念に囚われ続けてきたかを悟った。ビジネスのあらゆる場面において、それはゴールのように思われている。もはや脅迫概念のようだ。しかし100%の合意などそもそもあり得るのだろうか?合意を求めて消耗するということは社会のあらゆる場面で見られる。しかし50%と50%を足したって100%になる。そんな解決方法があっても良いのではないか。そんなことを私は子どもたちから学んだ。

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以上、自身の過去の経験を元に、会社員先生の貢献と会社員先生になることのメリットについて考えてみた。

振り返ってみると、私は自分が子どもたちに教えた以上のことを、逆に子どもたちから教わった。社会人経験があれば、誰しも学校現場に貢献できるものが何かしらあるはずだ。興味を持たれたなら、是非チャレンジしてみて欲しい。

ちなみにリンは、学習発表会で見事に英語のプレゼンテーションをやってのけた。毎日放課後に二人で特訓をした成果を、彼女は見事に出し切った。歓喜に湧く私の姿を見て、保護者たちから「リンのお母様?」と聞かれたのは、今思い出しても笑ってしまうエピソードだ。

#COMEMO #会社員先生ができること

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