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くすぐり界隈における多様性とは何か

はじめに

別に何か考えるきっかけがあったとかそういう訳では無いのだが、ふとnoteのお知らせを見たら5月は多様性特集らしいのでそれに乗じて考察してみる。

久しぶりにnote書くしせっかくなら参考文献揃えて大学のレポート並みにしてやろうかと思ったけど面倒くさいが勝ったのでこの記事はただの私の深夜テンションで書いた思考の羅列になります(それなりにちゃんとは書くんだけども。)

まず「多様性」という言葉をくすぐり界隈の構図に当て嵌めて見て、直感的に何も包み隠さず抱いたイメージを言語化すると、「有形無形種々雑多なくすぐりを主食とした○○」ですね。何だろう、森、森のイメージ。一応くすぐりという大きな枠組みの中で動物やら昆虫やら植物やらが個々の共同体を作って戯れてるみたいな。さすがにこれだけだと何言ってんのか分かんないし、そもそも「多様性」ってどういう意味なのってところからまず考察を進めていく。

次に、多様性について定義した上でようやく「くすぐり界隈における多様性ってなに?」という具体的な話をしていく。

最後に、結論として結局多様性があるのはいいことなの?もし仮に多様性が存在しなかったらどうなの?というような観点からまとめていきたいと思います。

1. 多様性の定義

さて、まず初めに今回のテーマである「多様性」という言葉の意味について確認していく。
何でnoteの5月のテーマが多様性??って思ったけど、もしかしたら最近流行りのSDGsの影響かもしれない。という訳でSDGsの用語集を見てみよう。ここでは「ダイバーシティ」という言葉で紹介されている。

日本語に翻訳すると「多様性」という意味。
国際社会では通常、複数の国籍を指す。
現代ではそれにとどまらず、生活スタイル、宗教、価値観なども多様である事を指しており、教育過程でも、多様な価値観の中で考え、学ぶということが重要なキーワードとなっている。
引用: https://sdgs-scrum.jp/glossary/diversity/

上記にある「多様な価値観」という言葉は、一般的に多様性と聞いた時に大体の人が思い浮かぶのではないだろうか。ざっくり要約すると世界には色んな国籍とか人種とか色んな考えを持ってる人がいるということがまず前提で、それを認めた上で考えていきましょうねーということ。

ふむ…もう少し別の観点から意味を見ていこう。
多様性と対になる言葉は「画一性」であり、意味としては「均一」とか「統一」されたものである。
イメージ的には工場とか義務教育とかかな。
先ほど挙げた多様性の説明と反対に考えてみるならば、全く同じような人間が同じ思想同じ考えを持った人がたくさんいる社会。多様性が大分マクロな視点に立っているのに対して、画一性はよりミクロな感じがするよね。

これらの観点でくすぐり界隈における多様性を考えると、世界中色んな国でくすぐりフェチはいっぱいいて、色んな考えの人がいる。じゃあ具体的には日本だと「ぐり」と「ぐら」という概念が通じたりある程度の共通認識がある。これが画一性の考え方だと思う。

そのため、「多様性」と「画一性」は完全に反対の言葉ではなく、マクロとミクロの視点が交差した考え方だと私は思ってる。だから、画一的なくすぐり界隈だとしても、その中での多様性が存在するのではないか。

従って本稿においては、多様性と画一性を厳密に切り離して考えず、相互的な視点から考察していこうと思う。

2. くすぐり界隈における多様性について

では、多様性という言葉を具体的にくすぐり界隈に限定するとどうなるのか考えていく。

これはくすぐり界隈歴約4年な私の個人的な感想だけど、本当に色んな人間がいるのは間違いない。

性別で言えばLGBTなんて別に珍しくは無いし、
ぐりとぐらの中でも色んな趣味嗜好性癖の人がいるし、何ならわたちはぐらのSで健全で有名だし、
職業なんかも結構色んな人がいるのではないかと思う。とにかく、例を挙げればキリがない程多様性のある界隈だと思う。

ここまではマクロ的な多様性の話。
もっとミクロ的な多様性とは何かと言う話をすると、「くすぐりという共通言語」についての認識が人によって異なるものであるということ。

例えば私は「くすぐりはこどもの遊び」だと思っている。でも別の人は「くすぐりは大人の遊び」だと思っているかもしれない。主語である「くすぐり」は共通しているものの、その認識や思想については全く異なる。この思想は恐らく一人一人違うものであるし、むしろ違うものであって欲しい。これがくすぐり界隈における多様性ではないだろうか。

念のため言っとくと別に一人一人全く違う思想を持てとかそういう事ではなくて、例えばAさんのフェチツイに共感します!好き!ファン!!みたいなのは全然問題なくて、大事なのはその上で「自分はこういうくすぐりが好きだ」とか核となる意志を持つことだと思う。それによって多様な価値観が生まれたり、自分と似たような嗜好を持つ人が見つかったりする訳で、その中で改めて自分はくすぐりについてこう思ってるんだ~!みたいな発見も出てくるのではないかと思う。

また、多様な価値観を持つ人がいるからこそ、頑なに相手を否定したり自分の意見を無理やり押し付けたりは良くないと考える。あくまでも相手を尊重した上で自分がどう考えるか、感じるかはその人次第だよねって言うのがSDGsのダイバーシティ的な考えだと思ってる。

これは人次第だから一概には言えないけど、自分と異なる意見や思想を受け入れて覗いて見ることで新たな性癖に目覚めたり(例えばくすぐり好きな人が縄とか催眠にハマったりとか)、ぐらだけど両刀に目覚めたりすることもあると思う。

くすぐりという共通言語から自分の性癖を広げるか深めていくかはその人次第だけど、やっぱりそれは多様性が前提としてあるからこそ成り立つものだと考える。

つまり、くすぐり界隈における多様性とは何かをまとめると、くすぐりに対して自分が持っている思想を表明することに他ならないのではないだろうか。
じゃあここで質問です。

「あなたにとってくすぐりとは何ですか?」

別に正解は無いので良かったらコメント頂けると嬉しいです。

3. 多様性が無い世界

最後に、もしくすぐり界隈において多様性が存在しなかったらどうなるのかという話をして終わりにしようと思います。

絶対ありえないんだけど、例えば女性は全員ぐりで男性は全員ぐらな社会は多様性があるだろうか?
恐らく大体の人は多様性が無いと答えるだろう。
この社会の場合は「女性はぐり男性はぐら」という画一的な思考が存在するからである。
(f/m好きには天国かもしれないが)

しかし、上記の例はマクロな視点で見るとぐりぐらで分かれており、多様性が無いとは言い切れないのではないか。また、一見画一的には見えるがミクロな視点で見るとf/mくすぐりの中でも人によって好みは千差万別に分かれており、多様性があるかもしれない。

何が言いたいかというと、多様性が無い社会はあり得ないのではないだろうか。一見画一的に見えるものでも、様々な思想を持つ人がいるからこそ、多様性が生まれる。

くすぐりなんかは最たるもので、物心つく前から好きだから個人的にはそう思わないんだけど、性癖としてのくすぐりは世間的にまだまだマイナーなものらしい。しかし、これまで述べてきたようにくすぐり界隈にはめちゃくちゃ多様な人がいる。

一般人(?)から見たらくすぐりなんて一緒だと思うかもしれないけど、蓋を開けてみれば色々あるんだよというお話。

多様性も画一性も、どこに視点を合わせるかによって見え方が全く異なるものであると考える。

おわりに

今回は「多様性」をテーマに書いて来ましたが、いかがでしたか?マジで深夜に書いてるので読みにくかったり論理的に穴だらけだったり質問コメント反論、また、多様性とくすぐりについて違うレポート書いたよー!って人もしいたらぜひお気軽にDMとかに連絡ください!

最後までお読み頂きありがとうございました\(^o^)/
わーいわーい!!多様なわたちだもんねー!カンカンカン\(^o^)/

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