見出し画像

こんなにもこんなにも書くことを愛してる

久しぶりに、好きなことを好きなだけ書いた。
最後に散文めいたものを書いたのは去年の大晦日だったから、もう一年の四分の三を、何も書かずに過ごしてきたらしい。

書かない、というよりも、書きたくない、書けない、だった。轟々と押し寄せる日常に足をとられて、感情は柔軟性を失い、文字にするべきものなど何も手にしていない気がした。もうすっかり、私の言葉は枯れてしまったのだと思った。

小さい頃から、時間が許すかぎりありとあらゆる場所に言葉を書き散らしていた。それは、飽き性の私が続けてきた唯一のことだった。書けなくなったと自覚した途端に、私の中の一番太い幹がくにゃりと歪んだ。
一つ折れると、次々に折れた。凝りに凝っていた料理は手抜きばかりになり、以前のように一人旅に胸がときめくこともなくなった。
暇を持て余し、日々の余白をなんとか埋めることに精一杯で、夢中になれることなど見当たらなかった。これが歳をとるってことか、なんて肩を竦めた。

それでも、きっかけのかけらは少しずつ積もっていたようで、ついに昨夜、意を決して携帯を手にとった。
久しぶりにする筋トレのように、あるいは、さぼっていた楽器の練習みたいに、思いどおりに指が動かずもどかしい。消しては書き、消しては書き、ふと時計に目をやると午前3時を過ぎていた。

息が浅くなるような興奮を覚えるのは久しぶりだった。目が冴え、胸が熱い。
昔と比べたらまだまだ満足のいく文章にはならないけれど、書きたいことは次々に溢れて止まらない。
頭の中を駆けまわる単語やフレーズで延々と言葉遊びをしたり、文章を逃がさないようにとメモ帳に飛びついたり、そんな、昔から変わらない毎日が戻ってきたらしい。

書きたい、書きたいと叫ぶ私を、ようやく見つけた。
私は、まだ私のままだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?