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データは生命に置き換わるのか

「お前もいつか死んじゃうんだろう?」と、夫がアポに言う。アポは我が家の愛犬で、現在4歳のトイプードルだ。人間で言うと30歳ぐらい。ほぼ同い年になってしまった。犬の成長は早い。

アポの写真と動画を、毎日たくさん撮る。かわいいから撮る、ではなく、死んでしまった時に見返したいと思って撮る。だから、私の写真は大体悲しい。いつか失って、この世から跡形もなく消えてしまった時のために写真を撮り続ける。アポだけではなく、夫も、何もかも。

記録に残したくて、なかなかうまくいかないシーンがある。アポが、片足ずつ伸びをするところ、そして、その後に「ふすー」とため息をつくところだ。

突然の動作だから撮影がいつも間に合わなくて、しょうがないから目に、耳に、焼き付けておこうと必死で凝視し、耳をすませる。忘れないように。私が生きている間中、はっきりと思い出せるように。

でも、きっと少しずつ、いつか忘れてしまうのだろう。そんなものだ、人間の記憶なんて。自分の身体一つで、すぐに撮影できたらいいのに、と思う。まばたきしたら写真が撮れたり、見たものをずっと動画で記録し続けられるコンタクトレンズとか。倫理的な問題はあるだろうけど、きっとそんな世界も、すぐに訪れるのだろう。

記録できなくて、そのことに恐怖すら覚えるのは、アポの匂い。トリミングをしてから3週間ぐらいたったアポの、肉球の香ばしい匂い。私はこの匂いが大好きで、忘れたくなくて苦しい。

いつか、アポをなくして、何かの折によく似た匂いが鼻先をかすめたら、その時ほど切なくて嬉しい瞬間はないだろう。

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とにかく、何もかもを残しておきたくて、ありとあらゆる端末に、ありとあらゆるデータが溜まっていく。もちろん毎日見返すわけではないけれど、見たいときに手の届くところにあってほしい。

データといえば、「AI美空ひばり」を見て衝撃を受けた。ドラマ「あなたの番です」にも死者がAIになって登場していた。生者と死者。それは明確に判別できるものではあるけれど、「人が、生きている相手に求めるもの」はデータである程度まかなえてしまうのではないか、そんな恐怖を感じた。

いや、それは恐怖ではなく、幸せなことなのかもしれない。アポや夫が、もし私よりも先に死んでしまって、それでもデータの世界で「生き続けて」くれるなら、私の悲しみは少し薄れるのかもしれない。

そんな風に思うことは不自然だと、反対する人もいればそうではない人もいる。なんとも不思議な時代が到来したものだと思う。

オンライン上でのやり取りが当たり前になって、データと生身が融合していく時代。「幸せな生き方」は、時代に応じてアップデートされる。

私は、大事な存在をすべてデータの中に閉じ込めたい。私が呼んだら、私が期待するそのままの声で、言葉で、返事をしてほしい。たまに、新しい、面白いことを話してほしい。たまにでいい。辛いときに慰めてほしい。もしかしたらそれだけでいいのかもしれない。お願いだから、私が死ぬまでずっと、優しく慰めてほしい。

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