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日本人の特徴とJapan's Way


日本サッカー協会(JFA)のサイトの「選手育成」のページ。

http://www.jfa.jp/youth_development/outline/

ここに『日本が進むべき方向性 Japan's Way』というものがあり、画像とともに育成の方向性が書かれています。(下記は一部抜粋)

国内の勝った負けたを越えて、日本が世界のトップに追い付き追い越すことを目指していくためには 〜略〜 日本の良さを生かした日本人らしいサッカーを追求し、確立する必要があります。
体格やパワーで勝るわけではないですが、技術力(足首の柔軟性等)、俊敏性、組織力、勤勉性、粘り強さ等、またフェアであることがFIFAテクニカルレポート等でも認められている日本の特徴です。
Japan's Wayとは 〜略〜 日本人の良さを活かしたサッカーを目指すという考え方そのものであり、イメージの共有のための言葉です。

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本稿はここにツッコミを入れていき、「じゃあどうするか」を考察していく記事です。

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先にツッコミの結論を言うなら、「これらは日本人の特徴ではなく、現在の日本の育成環境で生まれやすい選手の特徴だし、その特徴を活かす方向を目指すなら今後もそうなるよね」です。

例えば。

「日本人はパワーが無いから、テクニック重視で育てよう!」
→ そりゃパワーの無い選手が育つよ。自分達はパワーが無いと思い込み、パワーを付けることも半ば諦めてるんだから。で、早熟優遇の環境だから、元々パワーに恵まれてる子はパワーをそれ以上に鍛えなくても国内では通用するから磨く必要もない。結果的に誰のパワーも育たない。

「持久力と組織力は最大の特徴!」
→ 自分の周辺の育成環境では、「グランド何周してからやれ」とか罰走の話や、練習量の多さを誇る話なども未だに多く聞く。試合でも頭を使って効率よく動くより、走り回ってる方が評価されるなんてことも。それと「組織力」っていうのは従順ってことでいいのかな。誰かに教わるのが当たり前の状態からサッカーをスタートして、そこからほぼずっと逆らわないことを教わり続ける環境が多いんだから、前述の走る環境と合わせて「従順でよく走る選手」にはなりやすいでしょ。

「技術は高い!」
→ 技術っていうのはボールコントロールのことでいいのかな。リフティング強制、ドリテク強制、パスコン多め、一定レベルで出来なきゃ試合に出しません、ボール扱いが上手い子を選抜します、みたいな話を周囲ではまだまだ多く聞くんだけど、これが全国的な話なら、そりゃそうなるよ。そこばっか求められて、そこばっか評価されるんだから。

「自立判断や駆け引きが弱い」
→その持久力と組織力と技術力を手に入れるためにそれらを犠牲にしてるんだから、その環境で育った選手はそうなる確率が高いに決まってるでしょ。ゲームをするより、「従順に走りの量をこなしながらテクニックを磨く」ことをやらされるんだから。

などなど。


このように、これらの特徴は、「日本人」だからこその特徴ではなく、「日本のサッカー環境から生み出されやすい選手」の特徴ではないかと。

つまり「日本人の遺伝子だからそう」ではなく、「自分達の育成の結果がそれ」ということ。

この説があってるなら、純血日本人じゃなくても、きっとその特徴通りになってることが多いはず。


そんな中で「この特徴を生かしていこう!」って言うのであれば、その特徴を持っている選手が評価されやすくなるだろうし、その特徴が育つ環境を変える必要も無いんだから、今後もそうなっていくでしょ、って話。


「本当にそれが日本人の特徴なのか?」っていうところはもっとよく考えるべきなんじゃないかと。

体格やパワーで勝るわけではないですが、技術力(足首の柔軟性等)、俊敏性、組織力、勤勉性、粘り強さ等、またフェアであることがFIFAテクニカルレポート等でも認められている日本の特徴です。

この「体格やパワーで勝るわけではない」というのも、「日本の多くの環境下では練習のやらせすぎで、休みも栄養も足りていないことから十分な体格に育っていないしパワーもつかない」ということが起きているからなのかもしれない。

もちろん遺伝子的なレベルで平均身長や骨格の作りなどの差はあるだろうけど、そのMAX値を存分に引き出せているのか?ということも考える必要はあると思う。

俊敏性という特徴も、結果的に小さいサイズの選手が多くなったことで、俊敏性が高く見えているだけなんじゃないかと。

そういう仮説も必要だと思う。

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「じゃあ日本人の特徴っていうのは無いの?」って言われれば「それはある」と答える。

ただそれは、今のJapan's Wayで示されているような「今ピッチで見えているもの」ではなく、もっと「文化的なもの」だと思う。

「日本では、どんなものが好まれ、何を嫌い、どんな生活をし、どういう人達が暮らしているのか」が日本人の特徴と言って良いものであり、それをサッカーの強化においてどう活かすかが『日本が進むべき方向性 Japan's Way』になるのではないだろうか。


なぜ「今ピッチで見えているもの」はJapan's Wayでの特徴になりえないのか。

前述した「今言われている特徴が”日本のサッカー環境から生み出されやすい選手の特徴”だから」というのは置いておいて、そもそも『日本のピッチ上の特徴を活かすこと=サッカーの試合で勝てること』という式が成り立っていないから。

長所を活かせばいつでも勝てる、と誰が証明できるのか。

その特徴を生かした日本人らしいサッカーのイメージを体現したのが、2011年ワールドカップで体格やパワーで勝るアメリカやドイツを相手に戦ったなでしこJAPANのサッカーではないでしょうか。また、日本の特徴がチームだけではなく、選手も認められ、男女ともヨーロッパの強豪クラブで活躍するようになっています。

当時のなでしこは特徴を体現したから勝ったのか、今のなでしこは特徴を体現できているのかいないのか、その結果は?

日本の特徴が認められたから選手はヨーロッパで活躍するようになったのか、日本の特徴が無い選手はヨーロッパでは認められないのか。

こういうことを考えてみると、「『日本のピッチ上の特徴を活かすこと=サッカーの試合で勝てること』という式が成り立っていない」ことがわかるし、「日本が世界のトップに追い付き追い越すことを目指す」に対して「今ピッチで見えている特徴を活かすこと」が適切だとは言えないと思う。


だから特徴は「日本の文化的なもの」にして、その文化ではサッカーの強化のためにどんなものを差し出せるのか、どうすればその文化がサッカーの強化に生きるのか、その文化内ではどんな環境を用意できるのか、などを考えることが必要だと思う。

そしてサッカーはどうやったら勝てるスポーツなのか、も考えなくてはいけない。

日本が世界のトップに追い付き追い越すことを目指していくためには、今後も世界のサッカーの発展傾向を見続け、また学び続けていくとともに、強豪のコピーをするのではなく、日本の良さを生かした日本人らしいサッカーを追求し、確立する必要があります。

こういう「強豪のコピーだけじゃなくて差別化を図る」という発想も良いが、そのオリジナルのやり方で勝てるゲームデザインなのかどうか。

少なくとも、個性を発揮すること=勝利、というルールではない。

強豪と言われる既に強いところがやっていることの最低限のコピーもしないで、果たしてそれでも勝てるゲームデザインなのだろうか?


もちろんサッカーは絶対に勝てるという形が誰にもわからないスポーツではあるが、だからこそプレーの特徴をゴリ押しするのではなく、この文化において最大限全てを強化できるようにしていくことを考えなければならないのではないか。

「日本の良さを生かした日本人らしいサッカーを追求する」ことが「日本が世界のトップに追い付き追い越すこと」に繋がるとは思えない以上、そういう考えで捉えていく方が良いのではないかと考えています。

「日本人らしい」という言葉で自分達を縛ることは効率よくないですよね。



以上、まとめるのが難しくなってしまいましたが、日本人の特徴ってなんやねん、という記事でした。


終わり

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