試合に出るために頑張る、上に選ばれるために頑張る、って選手は弱い
先日、知り合いのとあるサッカー少年から聞いた言葉に違和感があった。
「僕は上のクラスになるためにアピールしたいから、ちょっと足が痛いけどプレーするんだ」という言葉。
上でやりたいという向上心は良いと思うし、頑張ろうとする気持ち自体は否定しないけど、その選択はどうなのかな?と。
まずこの「アピール」というものがサッカーにおいてとても嫌い。
代表戦とかでもよく聞く言葉だけど、これが要らない。
サッカーというゲームは、チームの勝敗を競うものであって、個人の出場権やランクを競うものではないでしょ。
チームの勝利に対して尽くすのではなく、「自分はすごいでしょ!」をアピールすることに力を使うのはおかしい。
「試合中に自分の得意なプレーを見せる!」って、誰と戦ってるんだ?一人だけ採点競技でもやってるのか?
他のチームメイトが試合に勝つためにやっていたら、アピールのことを考えてる選手はすごく身勝手だしチームメイトからしたら迷惑。
で、そのアピール系選手がやりがちなプレーは何かというと、監督が気にいると思われるプレー。
それが勝ちに繋がるかどうかなど考えもしない。
監督に褒められるプレー、怒られないプレー、を実行することに多くのリソースを割く。
チームメイトの気持ちや対戦相手の状態、試合の状況など気にしない。
監督、コーチ、経営者、他の大人、などなど、自分を評価する人の言動が全て。
アピール系選手のプレーは、「監督が言っていたタスクの実行」が目的になりがち。
「ほら、監督が言ったことやれていますよ」ばかりで、それが試合の状況にあっているかどうかなど気にもしない。
試合に負けていても「自分はやることをやっている」をアピールする。
監督が求める数字も気にする。1試合での運動量を求められればとにかく走る。アピール系FWはチームの勝利より自分の得点数。
自分の判断や結果に責任も持たない。「自分は監督が言ったことをやっていただけ」と心のどこかで逃げる。
「勝ちたい」という言葉もアピールになるから言う。
アピール系選手はだいたいこうなる。
だからアピール系選手はサッカーというゲームでは弱い。
サッカーは刻一刻と変化する状況に対応しながらチームを勝たせるものだから。
状況に関係なくスキルを繰り出したり、個人を認めてもらうためにやってたら方向性が違う。
仲間がいて対戦相手がいる、というゲームだから。
どのスキルが何点、などという採点競技とは違う。
スキルの実行が目的ではない。
サッカーはそういうゲームじゃないから。
「監督の好みのプレーですよ」「自分の得意なプレーですよ」ではなく、「自分が出たほうが試合に勝てる」というチームを勝たせるアピールなら問題ない。
でも多くの場合、そういうアピールにはならない。
「その選手が試合に出ているから勝っている」という証明がサッカーでは難しいから。
サッカーはあらゆるものが相互作用として関わってくるので、その「チームよりも個人をアピールするプレー」が勝利に繋がることもあるし、監督が優秀なら選手のその個人アピール癖も上手く戦術に組み込むかもしれないし、とにかく勝利の要因になったという証明が出来ない。
となると、アピール系選手からしたら、勝利の要因を判断する人物、つまり監督が言っていた評価されるであろう項目をこなすことが優先的になるのは自然だと思う。
冒頭の「アピールのために足が痛くてもプレーする」というサッカー少年。
彼のプレーは、相手が何人いようとドリブルで仕掛けて、前方に味方がいてもバックパスをよく選択し、守備では抜かれないように間合いを開ける、を試合中繰り返していた。
これらは全部そのチームのコーチが好むプレー。試合中に褒めたり怒ったりしてたのはそこばかり。
彼はそのままそのプレーを繰り返していれば能力的にもきっと上のクラスに呼ばれると思う。
足が痛いのにプレーすることもアピールになる様子。それがチームメイトの迷惑になるという発想もなく、自分の身体を大事にしていないと思うこともなく。
それらがアピールとして必要。
そういう環境だから。
そう。アピール系選手を生み出すのは環境。
一定の基準を満たしてアピールしないと試合に出れない、試合に出てアピールしないと上のクラスに上がれない、そんな環境なら選手はそうなる。
環境の中で監督が示した”基準とアピール方法”に沿ってプレーが行われ、スキルが形成されていく。
そんな環境でもゲームの勝敗について向き合いながら成長していけるのは、一部のアピールが必要ない実力者だけ。
その実力者たちだけが、”ゲーム”に沿ったプレーをして、スキルを身に着けていける。
目の前のゲームに真剣に取り組み続けた結果で成長して、それに合わせて環境のレベルも上げていく、が本来あるべき姿だと自分は思っているが、アピールが必要な環境では多くの選手はそうはならない。
アピールが必要な環境では、ゲームに関係なくすでに正解の行動が提示されていて、それを正しく実行できるかどうかに全てがかかっているため、ゲームなんてどうでもいいから。
だからね、「試合に出場するためにやる」なんていう環境にはしてはいけないと思ってる。
特に子供には。
サッカーを楽しんでもらうためにサッカーを提供してるんだったら、「コーチに評価されるゲーム」じゃなくて「対戦相手にどう勝つかゲーム」に集中できるようにしなければならない。
プロサッカー選手とかなら「試合出場のため」という環境になるかもしれないけど、それでも「監督好みのプレー」ばかりやろうとして「試合に勝つためのプレー」をしない選手だったら、普通の監督は使わないでしょ。
選手には、「どうやったら評価されるか」ではなく、「どうやったら試合に勝てるか」に集中してほしいと、一指導者として願う。
その結果、そのプレーに需要を感じる監督がいれば出場できたりステップアップできたりするだろうし、どんなに勝つためにやっても機会が得られないなら、その環境が合わないだけだから、評価を得るために頑張るよりも環境を移すことを頑張ることの方が、もしかしたらサッカーというゲームを楽しむためには必要なのかもしれない。
まあ日本サッカー界のシステムだと環境を移すのは難しいだろうけど。(ということはアピール系選手が生まれやすい環境かもね)
ゲームの勝敗に向き合った、サッカーというゲームに強い選手。
みんながそうなれたら、きっともっとサッカーが楽しくなるね!
以上、最近思ったことを、ただ書きなぐっただけの記事でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
終わり
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