育成年代の「戦術」のあるべき姿
育成年代での「戦術」は試合に勝つためのものにするべき?選手の成長のためのものにするべき?
というよくある論争について今の自分の考えを。
(本当によくある論争かどうかは知らない)
※この記事で言う「戦術」はゲームモデル(プレーモデル)及びゲームプランのこと。
結論は『”戦術”は試合に勝つためのものにするべき』。
「選手の成長のためのものにするべき」という気持ちもわかる。
少し前までは私もそう思っていたし。
一般的に言われている「成長のため」っていうのは「育成年代で覚えるべきプレーを覚えるために戦術もそれを学べるものにしよう」ってことだと思う。
私もそれが良いと考えていた。
でも、実際にそうやってた経験や得た知識を元に改めてよく考えてみたら、「これは成長のためにもならないな」と思うようになった。
「成長のため」はいろいろと不具合が出ることが多いと感じた。
例えば
「攻撃時、後方から繋いで有利を作るプレーを習得するべきだから、成長のためにその戦術にしよう!」
とする場合。
このプレーを理解し、実行できるようにすることは大事だと思う。
これが出来ると出来ないの差はたしかに大きい。
だがこのプレーは何のために存在するかといえば、それは試合を有利に進めるため、つまり勝つためにある。
だから試合中に相手のプレスが自分達のそれを上回りそのプレーが有利にならない時や、繋ぐ前にさっさと前線にボールを届けたほうが有利を得られる時などは、別のプレーを選択するべき。
でも「勝つため」ではなく「成長のため」という位置づけだと、そのプレーが対戦相手にハマらずに、そのプレーのせいで劣勢を強いられていたとしても実行し続けることになる。
「どんなにやられても、このプレーを成立させないと目の前の試合(または今後の試合)に勝つことは出来ない」と選手達が納得してやるのであれば良いが、その考えは「勝つため」の戦術。
「成長のため」であれば、どんなに相手に対応されていても、どんなにリーグで結果が出なくても、それが将来のためになると信じて、一定のスキルを習得するまで我慢して実行することになる。
この辺から不具合が生じる。
「最初は我慢してでも試合でやり続けなければ、いつまで経っても出来るようにならないだろ」の声もわかる。
くどいようだが、私も同じ考えだったから。
だからその辺についても書いていく。
私はサッカーを”ゲーム”と捉えている。
つまり遊びの一つ。
テレビゲームなどと同じもの。
ではそのテレビゲーム、対戦型のソフトだとして、それだったらどうやって上達するのか。
「こういうプレーを覚えないと数カ月後(数年後)に勝てない」というつもりでトレーニングする人はきっとほとんどいないだろう。
大体の人は友人(フレンド)との対戦で勝ち負けを経験して、「これが出来ればあいつに勝てるかも」「この技を使ったらあいつのこれは封じられる」とかそんな動機でトレーニングをするのではないだろうか。
そう、目の前の試合を勝とうとすることで、いろんなことを学んでいく。
そこに発生する戦術は「勝つため」であり「成長するため」のものではないはず。
そして育成年代のサッカーは、テレビゲームと同様に、将来それをやるかどうかも不透明なもの。
小中学生に「将来のため」と言ってサッカーの特定の戦術を、結果が出なかったとしても我慢してやり続けさせるのも良いが、数年後には別の部活動に所属しているかもしれない。
そうなると「じゃああの負けと引き換えに手に入れたスキルは何だったんだ」って話になる。
選手達の将来のためと言ってくれている指導者の人達は、本当に選手達の成長を願っていると思う。
そしてそんな人達は「プロサッカー選手になるのはごく一部」という現実を見て、サッカー選手以外にとっても大事な人間性の部分などにも丁寧にアプローチしてくれていることが多い。
だけど「成長のため」の戦術にすれば、そこにも矛盾が生じる。
「まずはサッカーを楽しんで欲しい」と言っても、選手達はサッカーという勝負を楽しめない。
なぜなら「成長のため」のプレーが先にあるから。
「相手へのリスペクト」もなかなか厳しい。
なぜなら勝負よりも成長だから、対戦相手のプレーよりも自分達のプレーに目が向いてしまうから。
ストレスも溜まるかもしれない。
なぜなら今勝ちたいという欲求を他人(コーチやチーム)のために抑えなければならないから。
勝つためにあるべきプレーが成長のためのプレーになると、こうやって歪み、大事にしていた人間性にも影響が出るかもしれない。
「成長のため」の戦術の方が選手達を不必要に縛ることもある、ということ。
選手達が「今勝ちたい」と言っていたとしてもそれを尊重せずに抑えるような場合、はたしてそれが本当に選手達の成長のためになっているのだろうか?
自分が過去にその「成長のため」で我慢させてた時の選手達の顔はサッカーを楽しんでいるものではなかった。
「一定のスキルを習得するまで我慢して実行し続ける」というのも実は難しい。
けっこう忘れがちな視点だが、自分たちと同じように実は相手も成長している。
時間はみんなに平等。
そのため、どんなにスキルを身に着けても相手によってはそのスキルを発揮できないことがあるので、試合において「出来るようになった」とする基準を決めづらい。
ちゃんと分析できる人なら問題は無いかもしれないが、その基準が曖昧なままでやっていくとしたら、相手の成長によってはずっと同じ戦術を我慢してやり続けることになるかもしれない。
対戦相手によって自分達のプレーの見え方が変わってしまうサッカーにおいて、どうやって「一定のスキル」を定めるのか。
ゴールが見えないまま我慢してプレーすることほどキツイものはない。
もしかしたら卒業するまで同じことを繰り返すことになるかもしれない、と考えるとやっぱりこれは難しいと思う。
まずそもそも、選手達がサッカーをずっと続けるとしても、「その戦術のプレーを出来るようにすることが、その選手達の将来のためになる、と誰が言い切れる?」という疑問もある。
例えば「後方から繋いで有利を作るプレー」がどんな相手にも成立するレベルになったとしたら、FWをやる選手は後方の繋ぎに関与することは上手くなっても、アバウトなボールを収めたり、有利を作れない状況でゴールを生み出したりする能力を試合でトレーニングする機会は少なくなるかもしれない。
そのFWが数年後にそういうプレーを得意とする選手になる可能性が高かったとしても、その可能性の芽は摘むことになる。
将来選手達がどんなサッカーをするのか、何を求められるのか、どんなタイプの選手になるのか、がわからないのに「これが必ず将来に役立つ!」と言い切ることは難しい。
「サッカーは寸足らずの毛布だ。足下にかければ上半身が寒い、頭からかぶると足が出る」という例えがあるサッカーでは、何かをやれば何かがやれなくなることもある。
だから自チームの選手達全員が完璧に才能を生かして成長できるための最適な戦術なんてきっと無い。
だったら「成長のため」の戦術ではなく、目の前の試合に「勝つため」の戦術で、成長の仕方は今後の”環境”に委ねても良いのではないだろうか。
「得意なロングボールで背後を狙うプレー」を繰り返すことで相手のプレスが弱まり、「後方から繋いで有利を作るプレー」を覚える、なんてこともあるだろうし、逆もあるだろうし。
その選手達が勝つためにやってきたことが将来的にその選手達らしさになっていればよいのではないだろうか、と思っている。
なにより「成長のため」でやらせて将来に役立たなかった時に責任を取れないよ。
「でも勝つための戦術でやると何も考えずにボカボカ蹴るチームとか出るじゃん!それは良いの?」みたいな話もあるだろう。
「ボカボカ蹴る」が良いか悪いかは置いといて。
「それで安定して勝てる環境なんだったら、それはしょうがなくない?」が私の答え。
対戦相手に比べて、その時点で早熟な選手を集めて(集まっちゃって)無双するなら、そのチームがそれを学ぶ機会を得られないのは当然。
そのチームのコーチが「どうにか他のプレーを学ばせよう」と言って「成長するため」の戦術で縛ったって、その選手達は必要性の無い中でそれを”やらされる”だけで、学びの効果としては薄い。
もちろんそのチームだってより高確率で勝てる方法があるなら追求するべきだとは思うが、その「何も考えずにボカボカ蹴る」が最も勝てる環境ならもうどうしようもない。
それがそのチームの最適な戦術。
”環境”というのはそれだけ選手の成長に影響するもの。というより環境が選手を育てる。
様々なところで「もっとリーグ戦しよう」とか「成長段階を揃えて試合しよう」とかが言われているのは、そういう自然と学べる環境を作りたいからだと思ってる。
「何も考えずにボカボカ蹴る」だと勝てなくなるということを他のチームが教えられるかどうか。
「勝つため」の戦術でその「ボカボカ蹴る」チームを倒すしか無いでしょ。
それが結果的にお互いの成長になるんじゃないかなと。
環境で言えば、本当は「ボカボカ蹴る」より「後方から繋ぐ」ほうが有利に試合を進めやすくなるようなルール(リトリートラインとか)にする方が良いとは思うけど、なかなかそのルールでやってくれる大会は無いからね。
以上、こんな考えから、冒頭の結論『”戦術”は試合に勝つためのものにするべき』に至っている。
ただここで「じゃあ成長のためって考えなくてもいいの?」ってなったらここまでの話を捉え違えている。
ここまでの話はあくまで”戦術”について。
選手の成長については考えるべきだと私は思う。
でもそれを考えるのは、チームの”戦術”じゃなくて、チーム(クラブ)の”フィロソフィー”や”戦略”だと思う。
簡単に言えば「チームの”方針”で成長について考えよう」ということ。
例えばチーム方針が「選手達全員を平等に大切にしよう」で「試合には全員を出場させる」を条件にするとする。
ここが成長を考えている”方針”の部分。
その「全員を出場させる」という制約の中で、「勝つため」の”戦術”を考える。
この例だと出場は我慢させることになるかもだけど、勝敗とは関係のないところでプレーそのものを不自然に我慢させることにはならない。
現状の私の考えでは、こうすべきだと思っている。
サッカーはやっぱりその試合の勝ち負けを競うことが楽しいゲームだから、ゲームとしての本番である試合での戦術は、勝ちを目指すものでありたいという希望がある。
最後に。
もしかしたら、自分達がサッカーを楽しむためだけではなく、ファンを満足させるという目的もあるプロサッカーこそ、「勝つため」以外の戦術にした方が良い場合もあるのかもしれない。
という思いつき。
終わり
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