結果を出させるということ
指導によって結果を”出させる”ってこういうことじゃない?という話。
その昔、友人と遊んだ時の話。
その友人の家に「メタルギアソリッド4」というゲームソフトを持っていき、友人の提案で「初見でどのぐらい早くクリアできるかやってみようぜ」という何の得にもならない遊びをやった。
私はもう2〜3周ぐらいクリアしていたソフトだったので「ガイドは任せる」ということで、友人は操作に集中することに。
記憶は曖昧だが、たしか3〜4時間ぐらいでクリア出来たと思う。
初見ではかなり早いタイムだったことは間違いない。
そしてクリアした後の友人の感想が
「速いタイムが出たことはわかった。で、これはけっきょく何のゲームだったの?笑」
だった。
この「メタルギアソリッド4」はアクションゲームだが、これまでのシリーズ1〜3をプレーしている人が楽しめる要素がたくさんあり、ストーリー重視と言える内容で、それを演出する綺麗で迫力のあるムービーなんかもたくさん用意されていたゲーム。
そんなゲームを、私のガイドを元に散策無しで最短ルートで進み、各アクションも自分で最適解を見つけるのではなく私の指示を忠実に実行し、ムービーも全部スキップしてプレーしていたら、そんな感想になるのは間違いない。
冒頭の話に戻ろう。
この私の昔話、指導によって結果を出させている、と言って良いと思う。
全てを先回りして的確に最適なタイミングで指示することで、この遊びにおける「早いクリアタイム」という結果に辿り着いている。
結果が出るとわかっている方法をやらせているのだから当然といえば当然。
だけどこれによってプレーヤーは何を得たのだろうか?
私と友人の関係では「ただ早くクリアしただけだな笑」と笑い話になったが、これが指導者と選手の関係ならどうだっただろうか?
サッカーの育成年代における結果を、「試合結果」「セレクション結果」の2つとしておこう。
この2つの結果を出させようとするなら、結果が出ると言われていることを「あれやれ、これやれ」と”やらせる”ことで、高確率で一定の結果は出ると思う。
私の昔話にあるゲームのガイドと同じように、全てを先回りで指示してチームや個人に効率的な行動を取らせ続ければ、未熟な育成年代ではそれを徹底していないチームより優位性を得ることになり、結果への近道になるだろう。
で、この結果が出れば選手は満足なのか?
「なんのゲームかわからないけど、指示をこなすことで結果が出た!やったー!」
と喜ぶのか?
サッカーというゲームの楽しさを味わえたのか?
遊び心が無いまま試行錯誤もせずに言われたことをこなしてやってきたゲームに、いったいどんな魅力があるのか。
ゲームを愛して遊び心を持って試行錯誤を繰り返してプレーしてきたプレーヤーと、そうじゃないプレーヤー。
最終的にそのゲームを極めるのはどちらのプレーヤーだろうか?
そのゲームで学んだことを他のことでも活かせるのはどちらのプレーヤーだろうか?
指導者が自分の指導によって結果が出たことを誇りたくなる気持ちはわかる。
保護者が自分の子の結果が気になる気持ちもわかる。
選手が周囲の結果と比較したくなる気持ちもわかる。
でもきっとそれ以上に大事なことがあるよ。
結果ばかりを見るとその大事なことが見えなくなるよ。
結果を出させる指導が大事なことを遠ざけるかもよ。
っていうお話。
今「結果が出ている」と言われているところがあるなら「その結果が出させられているものではないか」を見て、「結果が出ていない」と言われているところがあるなら「結果を焦らずにゲームを楽しませてもらっているのかも」という視点で見てみるのも良いかもしれません。
指導者からの「やれ」より、ゲームのプレーを楽しむことで見つかる「やってみよう」を大切に。
※2020/8/23追記
補足的ツイート
結果が要らないという記事ではないです。
結果の出し方によって後の結果に違いが出るのでは、っていう記事です。
ゲームに対して何の思い入れも無い子にいきなりマニュアル渡して「この通りにやれ」って言ってゲームのレベルが上ったとしても、それはその先なんにもならないよね、と。
だから「育成年代では目の前の結果は度外視で、将来のためになることを」っていう思考でサッカーをやるのも違うと考えています。
「後で役に立つからこれをやりなさい」もマニュアルの押し付けになり得るので。
終わり
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