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起きたプレー と 起きなかったプレー


サッカーには「起きたプレー」「起きなかったプレー」があります。

それらを選手や指導者はどう捉えられるのか。

それらにどんな価値があるのか。

そこについてのお話です。



まずは @AriharaMasaaki さんのツイートをご紹介。
ここでご紹介されているYou Tubeをラジオ代わりに聞きながら執筆。

ツイートのスレッドをまとめ。

「目に見えるものしか見ないという現代の病。目に見えないものは非常に評価しにくいがゆえに面倒くさいから考えるのを止めましょうとしてしまう。」
「結果に過ぎないものを目的にしてしまうという傾向がある。」
「結果の部分だけを見つめる文化が広がってくると、目に見えない大切なものが見失われて行ってしまい、結果がすべてというふうに走る」
「成長と対の言葉にあるのが成熟。人間の精神の成熟とは、成熟とは目に見えないものが見えるようになることだと。人間の精神が未熟な段階ではわかりやすいものしかわからない。目に見えるものとか。ところが、目に見えない資本や価値がみえるようになるというのはある種の成熟が問われる。」
「その成熟はどう起こるかというと根本は人間としての修行であり人生体験。本を10冊読んでも成熟するわけではない。」
「科学技術も資本主義も根本においてこういう間違った錯覚があったと思う。つまり、人間がどれほど愚かでも未熟でも幸せな社会がやってくるんだという、そういう仕組みを作ろうとしたように見える。」
「サッカーに例えると、どんな選手でもW杯に出れるような方法があるんだということを言ってしまっているに等しい。実際にはそんなことはありはしない。でも魅かれる。このメソッドをやると世界クラスになれるのか、と。」
「でも、ある領域から先は相当なセンスや勘、まさに目に見えないものをみる能力になってくる。つまり、あるレベルでの成熟が求められる。」

(とても好きな内容でした)


この中で言われている、
結果に過ぎないものを目的にしてしまうという傾向」
目に見えないものは非常に評価しにくい」
の、結果目に見えないものをサッカーのプレーの中で考えてみます。

上記の内容では、もっと大きな範囲で触れていますが、本稿ではサッカーのプレーという一部分に絞って行きたいと思います。



絞るために、ここでそれぞれの言葉をタイトルの言葉に変えます。

結果 = 起きたプレー

目に見えないもの = 起きなかったプレー

とさせてもらいます。




それぞれがどういうことかを例にします。

例1
「ドリブル突破が成功した」は起きたプレーです。
その際、「ドリブル突破を奪われた」「ドリブル突破をするスペースが無かった」「周囲へのパス」などは起きなかったプレーです。
例2
「パスカットでボールを奪った」は起きたプレーです。
その際、「パスを通された」「ドリブルで進まれた」「シュートを打たれた」などは起きなかったプレーです。

起きなかったプレーは当たり前に感じます。

当たり前のように感じるため、あまり注目されることも無いです。

でも実はそこに隠れた大きな価値があると思っています。



例1で考えてみます。
起きなかったプレーの例として「ドリブル突破を奪われた」「ドリブル突破をするスペースが無かった」「周囲へのパス」があります。

「ドリブル突破を奪われた」が起きなかったということは、ボールを持っていた選手は、奪われない状況で突破を仕掛けたのかもしれません。
その状況を判断できたからこそかもしれません。

「ドリブル突破をするスペースが無かった」が起きなかったということは、突破するためのスペースが周囲の味方によって作られていたのかもしれません。
ボール付近の味方だけでなく、ボールから遠い位置にいる味方が十分に離れていることで、ボールサイドのスペースが確保できていたのかもしれません。

「周囲へのパス」が起きなかったということは、周囲の味方がパスコースを作れていなかったのかもしれません。
しかし、パスコースが無い状態で仕掛けるドリブル突破は、パスコースが有る状態で仕掛けるときに比べて成功率は高くないので、起きたプレーとしてドリブル突破が成功しているならパスコースは作れていたかもしれません。



例2で考えてみます。
起きなかったプレーの例として「パスを通された」「ドリブルで進まれた」「シュートを打たれた」があります。

「パスを通された」が起きなかったということは、パスカットを狙えると判断できたからこそのものかもしれません。
更に、パスカットをした選手以外の味方が、相手のパスコースを十分に塞いでいたからこそ、その判断が出来たのかもしれません。

「ドリブルで進まれた」が起きなかったということは、相手ボールホルダーの近くにいる味方が、ドリブルでの前進をやらせなかったからかもしれません。
それによって相手ボールホルダーがパスを選択せざるを得なくなり、パスカットの機会が発生したのかもしれません。

「シュートを打たれた」が起きなかったということは、相手ボールホルダーの近くの味方だけでなく、他の味方やパスカットした選手がシュートを打たせない位置に立っていたからかもしれません。




実際の試合映像が無いので、「かもしれない」を使った表現になってしまいましたが、言いたいことがなんとなくでも伝わったでしょうか。

起きなかったプレーにも様々な価値が隠れていると、知ってもらえたと思います。


起きたプレーは誰にでも見やすいです。

「結果に過ぎないものを目的にしてしまうという傾向がある。」

起きたプレーだけを試合から捉えて、強いチームや選手のそれを真似しようとすることはよくあります。


それに比べて、起きなかったプレーは例のように見返すことでしか見つかりません。

「目に見えないものは非常に評価しにくいがゆえに面倒くさいから考えるのを止めましょうとしてしまう。」

この言葉がしっくりきます。


起きたプレーについてはわかりやすいので「なぜ起きたのか」を考えられます。

でもこの起きなかったプレーこそ「なぜ起きなかったのか」を考えることが大事です。

そこを考えることが、サッカーの知識をより深めてくれることに繋がると思っています。




サッカーのレベルを上げるには、「起きたプレー」の真似や強化、対策や対応だけをしても不十分です。

なぜならサッカーは相互作用のスポーツだからです。

相互作用とは

互いに働きかけ、影響を及ぼすこと

です。


起きてないプレーが起きたプレーに”必ず”影響しています。

自分達の何かが、相手のプレーにも影響します。

影響した相手のプレーは自分達にもまた影響します。

自分達に起きたプレーは、相手の起きなかったプレーに影響していたりもします。

自分達に起きなかったプレーは、相手の起きたプレーに影響していたりもします。

ややこしいですね。



言いたいことは、

『「起きなかったプレー」には「起きたプレー」と同等かそれ以上の価値がある』

ということです。



少し世代が上の方だけがピンとくる話かもしれませんが、近年では「GKとの1対1でFWがGKを抜く」「GKの頭上を越えるようなループシュートでゴールする」を目にする機会が少なくなっていると感じませんか?

これは守備側のポジショニング、特にGKのポジショニングに変化があったからです。

この変化によって「GKとの1対1で抜き去ってゴールする」と「ループシュートでゴールする」というプレーが起きなくなりました。

GKやDFの位置が、起きていたゴールになるプレーを、起きなくさせたということです。

起きなかったプレーの価値が少しでも伝わる例になっていれば幸いです。




サッカーのプレーとはすこし違いますが、他にも「起きなかったこと」が素晴らしいこともあります。

相手の得意なプレーが出なかったんです。
試合中に走り負けなかったんです。
選手たちは怪我をしていないんです。
選手たちが病気になっていないんです。
プレーするための道具が壊れたり失くなったりしていないんです。
芝が悪くなっていないんです。
ちょっと大げさですが、飲み水が毒になっていないんです。

これらに関わる方々が、「起きなかったこと」にしてくれています。

起きてからでは遅いことばかりです。

「目に見えないものは非常に評価しにくいがゆえに面倒くさいから考えるのを止めましょうとしてしまう。」

何も起きていないからと言って、これらを評価しないのは違いますよね。




実はそう言っている私が、起きなかったプレーに気づけていないことがあります。

起きなかったことが大事だと知っているからこそ、これからも気をつけていきたいです。

この記事が、起きなかったことの重要性を伝えられるものになっていることを願います。



(You Tubeをラジオ代わりに聞きながら執筆しても、あまり内容が入ってこないことを学びました。なぜ「ラジオの内容を頭に入れる」が起きなかったのか。)



終わり

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