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春を待つ

「今日会ったら次はだいぶ先になるかもな。というか会えるときあるのかな。」

そんなことをぼんやり考えながら私は祖母の家に向かう車から2日前に降った雪の名残を眺めていた。これは、私がいかに薄情な人間で、恩知らずかを忘れないように、愛してくれる人を愛したいという気持ちを忘れないように書く、日記のようなものである。

長かった大学生活も、苦しかった就活も終え、夢を叶えて春から東京でデザイナーになる私は卒業前に会っておきたい人がたくさんいたし、やりたいことがたくさんあった。東京に行く前にどこかでばあちゃん達に会っとかんとな、と父が言う。祖父母の家まで片道2時間半。どう頑張っても1日は潰れる。別に祖父母のことは嫌いじゃないしむしろ会いたいとは思っていたがちょっと面倒くさい。そうだね、と返事をし、カレンダーに「祖父母に会う」と予定を入れる。

祖父母の家に行く前日の夕方、家でゆっくりしていた私に父が「明日持っていくお菓子買ってこい」と言う。めんどくさ....でもぐだぐだいうと父の機嫌が悪くなるし自分の就職の挨拶に行くわけだし、しょうがないとコートを着てお菓子を買いに行った。祖母の好きなかりんとう饅頭を適当にかごに入れ、後はまあこんなもんかといくつか選んだお菓子も同じかごに入れていく。

まだぼうっとする頭で朝ごはんを食べ、メイクをし、家を出たのが8時半。祖父母の家まで2時間半。スマホを見たり寝たりして過ごしながら昔のことを思い出していた。小さい頃はかなり車酔いがひどく、2時間半も車にならないといけないと考えると前日からナーバスになるくらいには祖父母の家に帰ることが辛かった。それを母に相談したら「考えるから酔うんだ、気持ちの持ちようだよ」と返されて絶望したことはずっと忘れないと思う。たしかにそうだがせめてつらい気持ちには共感しろよ。あと私は虫も死ぬほど嫌いだ。実家はマンションのため、虫に耐性がない。しかし祖父母の家は山に囲まれたドのつく田舎。虫がいないわけがない環境だ。寝る前に布団をチェックしてカメムシを見つけようものなら一晩中安心して眠れなかった。ああ、あと田舎特有の男尊女卑と亭主関白の空気も嫌いだったな。食事のあとは女子供が片付け、皿洗いをする。男たちはテレビを見る。お風呂の順番もそう。まあなんだかんだ美味しいご飯が食べられるし、お正月には普段目にできない自分の身長まで積もった雪で遊ぶのが楽しかったし、祖父母も私をかわいがってくれているのは分かるから「楽しかった〜、1年に2回ぐらいならいいな」という気持ちになっていたのだが。

そうこうしているうちに、祖父母の家に着いた。鍵のかかっていない玄関の扉を引くと「チリンチリン」と呼び鈴が鳴る。すぐに祖父がおお〜、帰ったかと顔を出す。その後にもなにか言っていたがなんて言っているかは理解できなかった。祖父は何年か前に脳梗塞をおこし、言語に障害を残したためこちらの言っていることは理解できるし、思考回路も正常だが言葉がうまくでないのだ。何度も聞き返すのは申し訳ないし、気づいたら祖父と話すのを避けるようになっていた。昨日買ったお菓子を渡し、こたつに入る。どうだ?と祖父が私に聞く。言葉の出ない祖父はできるだけ簡潔に質問する。意図を汲み取り、元気だよ、春から就職も決まったし。と明るく答える。そうか、と嬉しそうな祖父。間髪入れずに、「そこにあるだろ、」とかばんを指す。内心またか、と思いながら「ありがとう!これくれるの?嬉しい〜」と返す。祖父は帰るたびに何故か私にかばんをくれるのだ。通販で買える毎回同じような革のかばん。もちろん嬉しくないわけではないが、めちゃくちゃうれしいかと聞かれると正直そうではない。だけど祖父が嬉しそうにするから毎回自分の持ってきた荷物を移し替え、嬉しいよ、ありがとうと言う。祖父はクシャッと笑った。

祖母も外出先から帰ってきた。「まあほっぺがふくよかになって〜」といってくる祖母。これは完全に卒業前で外食が増え、太った私が悪いのだが、ダイエット中なので癇に障る。祖母はいつもなんとなくいらっとすることを言ってくるのだ。悪気がないというのもたちが悪い。そうかな〜と笑って返し、お菓子買ってきたよ、ばあちゃんの好きないつものやつ、と話を逸らす。もう家は決まったの?デザインって絵を描くん?等の質問に答えながら談笑する。お昼には特大のオードブルがとどいた。父と私だけでなく母と妹も来ると思っていたらしい。なんとなくちょっと気まずくなりつつもおいしいね〜と色とりどりのおかずをつつく。ごはんを食べ終わったら私が全員分の皿洗いをしてまたこたつに入る。祖母は昼寝をはじめ、祖父もぼうっとテレビを見ていた。私もスマホを開いて適当なアプリで時間をつぶす。

2時位にお茶の時間を迎える。祖母が入れてくれたコーヒーと、手土産のお菓子を出してつまむ。これこれ、これが美味しいのよ〜と祖母がかりんとう饅頭を食べた。さてそろそろ帰るかね、と父が言う。すると祖母が「これ、」とお祝い袋を渡した。「就職祝い。」ありがとう、大事に使うね、と受け取る。厚みからかなりの大金だと分かった。祖父母はそんなに裕福な暮らしはしていない。だからもらったこれがどれくらい貴重かは分かっていた。「本当に大事につかうね」ともう一度二人の目を見て言った。これも持って帰りなと白菜を渡された。祖父がファミリーマートのせんべいを「これも」と渡してくれた。

またね、と握手して車に乗り込む。車の窓を下げて、走り出す前にもう一度二人と握手するのがいつもの流れだ。「元気でね、体にだけは気をつけて」「うん、ありがとう、またくるね」と手を握り返す。顔を見ると祖母の目が赤い。一瞬何で?と思うと同時に浮かぶ涙に気づいた。「またね」の声がほんの少し、震えている。初めて見た。祖母の泣いているところを、初めて見た。父はそれに気づいていたのか、気づいていなかったのかわからないがいつものように車を出した。私はしばらく声が出せなかった。心臓が痛い。祖父母は分かっていた。就職し、東京に行く私とはもうなかなか会えないこと。もしかしたら今生の別れかもしれなかったこと。東京から実家に帰るだけで3時間はかかる。そこからさらに2時間半かけて祖父母に会いに行くだろうか。自分だって分かっていたつもりだった。もうもしかしたら、祖父母と会えなるのはこれで最後だったかもしれないことを。そんなことを考えるのは祖父母の死を予想しているみたいで、不謹慎な気がして気づかないふりをしていた。馬鹿な私は祖母の涙を見てやっと、この5時間がいかに大事な5時間だったか気づいたのだ。思えば毎回、もっと話しておけばよかったなあと帰りの車で考えていたことも思い出した。自分はなんて大馬鹿者なんだろう。握り返した手が少しずつ細く、皺だらけになっていたことも。コロナと大学の忙しさのせいにしてなかなか祖父母の家に帰らなかったことも。全部心臓の痛みになって思い出す。

私は馬鹿だから今日のこの心臓の痛みもきっと半年後には忘れてしまうだろう。でも忘れたくないからこれを書いた。春になったら自分のデザインした商品と手紙を贈ろう。これまで愛してくれてありがとうって伝えよう。そして正月にはまた顔を見せよう。「今年は初詣もしてないし、神さんにおまいりしとくか。就活の報告もしないとな」と父が言い、小さな神社に寄った。神様お願いです。祖父母が元気で居ますように。愛してくれた人に恩返しする時間を私にください。お願いします。手を合わせて必死に願った。

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