アイスクリームと脱走者/8


8.友達とかプライバシーとか

 彩夏の部屋にいた”友達”は、切れ長の目をした、中性的な顔つきの人だった。

 ベリーショートの髪をブラウンに染め、ゆったりとしたティーシャツに、ポケットだらけのワークパンツ。

「俺が先約だったんだから、嫌だったら帰っていいよ」

 スマホから顔をあげて、その人は言う。

「まーた、そういうこと言う」と彩夏は笑っていた。

 ”友達”が男というのは予想外で、狭苦しいワンルームのどこに座るべきか迷う。

「千尋、シャワー使う?」

 彩夏が聞いてきたけれど、会ったばかりの相手にシャワーの音を聞かれるのも、風呂上がりの姿を見られるのも嫌だった。

「朝でいい」

「じゃあ、わたしシャワー使うから適当にくつろいでて」

 彩夏はバタンと浴室のドアを閉め、そのドアはすぐに開き、ひょこりと顔を出す。

「圭、千尋に変なことしないでよ」

 ベッドにもたれかかる”圭”をひと睨みし、彩夏はまたドアの向こうに引っ込んだ。

 立ったまま圭を見下ろすと、目が合う。

「努力するよ」彼は意地悪く口の端に笑みをうかべた。

 部屋の中には煙草の匂いがする。彩夏の吸うメンソールとは違う、スモーキーな香り。わたしは警戒しつつキッチンに避難した。

「千尋、ついでにビール出して」

 初対面でいきなり呼び捨てにされた。冷蔵庫を開けながら、口のなかでもモゴモゴと文句を呟く。

 冷えた缶ビールの隣に、カットされたトマトとキュウリが皿にのっていた。ビール二本とその皿を持って彼の向かいに腰を下ろすと、「俺も”圭”でいいよ」と、プシュッと音をさせて缶を開ける。

 正面から見る圭は、アジア系のモデルみたいに整った顔をしている。頬にポツリとひとつだけニキビがあった。

 ほどよく日に焼けたその顔に、ふと既視感を覚えた。まじまじと観察していると、圭は「何?」と邪険な視線をよこす。

「圭、どっかで会ったことある?」

「え?」

 切れ長の目が少しだけ大きくなり、首をひねってわたしを見る。

「ごめん、記憶にない。口説いてるわけじゃないよね」

「口説いてない。大学で見かけただけかな。圭、大学一緒?」

「うん、彩夏と同じ文学部。ふたりより二歳上だけど」

「先輩? ごめんなさい。タメ口」
 
「いいよ。同じ二年だから。その方が気が楽だし」

 圭は皿に手を伸ばし、キュウリをポリポリとかじった。わたしもキュウリをくわえ、ビールを開ける。

「ねえ。圭は彩夏のなに?」

「友達?」と、圭は疑問形で答えた。

「彩夏は俺の数少ない理解者で、俺をフッた人」

 茶化すように肩をすくめ、わたしの反応を見て笑う。

「どうしてフラれた人がここにいるの」

「友達だから」

「意味分かんない」

 皿に手を伸ばそうとすると、「千尋」と名前を呼ばれて動きを止めた。

「冷蔵庫にもろ味噌とマヨあった」

「自分で取ってくればいいのに」

 文句を言いながら立ち上がり、キッチンへ行く。

 圭の印象はそれほど悪くなかった。どことなく、彩夏と似た空気を纏っている。

 冷蔵庫の中を漁っているとき、茄子が見当たらないことに気づいた。誰かにあげたのだろうかと思いながらマヨネーズを手に取ると、彩夏が濡れ髪のまま浴室から出てきた。タオルを肩にかけ、頬がほんのり紅く色づいている。

「彩夏、茄子誰かにあげたの」

「茄子?  ああ、苦手だからあげちゃった。たまたま波多君に会ったから押しつけた」

「わたしにはいらないって言ったのに」

「千尋も会ったんだっけ。波多君」

「うん。彩夏待ってるときに」

 もろ味噌の蓋を開けて圭の前に置いた。彩夏は洗面所のドアを開けたままドライヤーをかけている。

 箸でトマトをつまみ、口に持っていこうとしたとき、圭がわたしを見ているのに気づいた。

「千尋、波多と知り合い?」

「うん。あ、そっか。文学部なら圭も波多君のこと知ってるんだ。わたしは高校のテニス部で一緒だった」

「ふうん」

 圭は眉間のシワを深くし、煙草を咥えてライターに火をつける。ハッとこちらを見て煙草を外すと、「ケムリ、平気?」と言った。

「平気。彩夏も吸うから」

「そっか」

 圭はまたじっと考え込む。けれど、答えは見つからなかったようだ。

「ごめん、思い出そうとしたけど、やっぱ無理だった」

「圭、もしかして高校の先輩?」

「波多と同じなら」

 圭は缶を飲み干して、テーブルに頬杖をついた。まだわたしを見ている。じっと顔を見られるのは好きではなかった。

「千尋。テニス部だったなら陽菜ちゃん、知ってる? 戸川陽菜乃」

「陽菜乃先輩? うん、知ってる」

 答えるのと同時に記憶が蘇り、圭を指さして叫んでいた。

「ジャージー先輩!」

「ジャージー先輩って、牛かよ」

 圭は鼻のあたりをしかめて苦笑した。
 
 ジャージー先輩。その人はいつもジャージを着ていた。そして、陽菜乃先輩と一緒にいた。ふたりは同い年だと思っていたけれど、圭の方が一学年上だったらしい。

 そんなことよりも、ひとつ気になることがあった。口にしていいものか迷っていると、
「聞けば?」
と、圭は軽い口調で言う。

「圭、その声……」

 圭は高校の頃と印象がずいぶん変わっていた。声は昔より低く、そして、自分のことを「俺」と言う。

 わたしの知っているジャージー先輩はいつも体操着で、制服のスカートをはためかせている姿なんて見たことはなかったけれど、たしかに女性だった。宝塚の男役のように女子にファンがいて、わたしの友達もキャアキャアはしゃいでいた。

 圭は、フウッと換気扇に向かってケムリを吐いた。

「どっちでもいける名前だったのはラッキーかな。大学では男で通してるから、そういうことで」

 おどけた言い方でヘラヘラ笑い、沈黙を嫌うように圭は喋り続けた。

「陽菜ちゃんにもフラれたんだ。そのあとすぐ波多と陽菜ちゃんがつき合いはじめた。もめたわけじゃないけど、波多とちょっとあって、正直ビミョーな関係。だから、ガッコで顔合わせてもお互いノータッチ」

 わたしは気づけばハイペースでビールを空けて、「千尋はもう」と彩夏の呆れ声がおぼろな意識の中で聞こえる。

 なんて日だろうと思った。ヒロセさんのことも、圭と波多君のことも。


 翌朝目を覚ますと、圭は部屋の隅でバスタオルをかぶって丸くなっていた。リュックを枕に、寝心地はあまりよくなさそうだ。

 彩夏はドレッサーの前で化粧していた。濃い睫毛をしばたかせ、鏡越しにこちらを見る。

「起きたんだ。ガッコお昼からなんでしょ? 鍵渡しとく」

 ドレッサーの引き出しを開け、わたしに合鍵を投げて寄越す。

「千尋。悪いけど、これもヨロシク」

 彩夏はヒョイと足先を伸ばして圭を指す。圭は「ううん」と寝返りをうち、寝ているのか、起きているのかわからなかった。

「彩夏、シャワー浴びてくるから、その間は部屋にいて」

「そんな警戒しなくても」彩夏が笑う。

「昨日は圭に釘刺してたじゃん。わたしに変なことすんなって」

「あれは、別のハナシ。気に入らない相手には容赦ないから、圭は」

「ふうん」と返し、わたしは浴室へ向かった。後ろからフフッと彩夏の笑い声が聞こえた。

 部屋に戻ると、圭は寝ぼけ眼で窓の外をながめていた。

「おはよ」

 声をかけても、チラとこちらを見ただけで何の言葉も口にせず、また窓の外に目を向ける。わたしが洗面所でメイクをしているとき、彩夏は「お先」と部屋を出て行った。

 ひと通りの身支度を整えてベッドに腰をおろすと、圭は今さらのように「おはよ」と気怠げ言った。

「おはよ」

 圭はまだ半分目を閉じている。

「圭、寝れた?」

「眠たい」

 床からぬっと立ち上がると、圭はベッドに横になって布団をかぶった。

「寝るの?」

「ううん、起きるよ」

 言葉とは裏腹にモゾモゾと丸くなる。わたしは昨日の夜のやりとりを思い出していた。

『波多君が性格変わったの、圭が原因なんじゃないの?』

 彩夏の口調は圭を責めているわけではなく、どちらかといえば心配しているようだった。

 圭は「たぶんね」とあいまいに認めたけれど、それ以上のことは話してくれなかった。プライバシーの問題、ということらしい。


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