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短編小説/白くまとノウゼンカズラ

 木枯らしに追いやられて足を速めた。足元ではイチョウの葉が風に舞い、その柔らかな黄色にもの足りなさをおぼえる。すぐ脇を追い抜いていった高校生が建物のドアを押し開け、中庭へと抜ける風の音に弦楽器の音色が重なった。ロビーコンサートはたしかバイオリン、ヴィオラ、チェロの四重奏。あと三、四十分もすれば公演が始まる。オーケストラの演奏を生で聴くのは初めてだった。

 耳を澄まし瞼を閉じた。目に浮かぶのは灼けるようなオレンジ色。それはじっとりと絡みつく熱の記憶。

 来年の夏、私はどこにいるだろう。きっと蒸し暑さにノウゼンカズラの色を求め、咲良(サラ)の指先を思い出し、白くまアイスを買いに行く。

 

 ◇◆◇


 あれは、めまいがしそうなほど日差しの強い日だった。県民文化会館のすぐ近くにあるコンビニで、私たちは学校帰りにふたり揃って白くまアイスを買った。横断歩道を渡り、会館の入り口を横目に通りすぎ、中庭で噴水を前にベンチに腰をおろした。噴水の向こうにはガラス張りの建物がぐるりと中庭を囲んでおり、中の様子が筒抜けに見えていた。それをながめながら咲良と私は隣り合ってアイスを食べ、そのあと傍にあったゴミ箱に空のカップを捨てて手をつなぎ、またベンチに並んで座った。 

 咲良の指先はひんやりと冷たかった。白い半袖シャツは下着のラインをかすかに透かして、肩口のあたりが汗で濃く滲みていた。彼女は制服のスカートの座り皺を気にして、うつむいたそのうなじにはショートカットの襟足がピタリと張り付いていた。何か見てはいけないものを見たような気になって、私はふいと目をそらした。

 駐車場から中庭を通って正面入り口へと向かう人々が、数分おきに私たちの横を通りかかった。普段着の人もいたけれど、それぞれがそれぞれにいつもよりワンランク上の服を身につけているように見えた。

「N響のコンサートよ」と咲良が教えてくれた。彼女はじっとガラス張りの建物の中を見つめていた。開場を待つ人々の興奮と期待に満ちた顔が建物の中でじわじわと増殖していき、そのなかには私たちと同じ制服姿もあった。

 彼女はきっとコンサートに行きたかったのだ。両親ともに音楽関係の仕事に携わっているという彼女は、自宅でバイオリンを習っている。そのことを知ってから、私には咲良が少しだけ浮世離れして感じられた。それは世間知らずといった意味ではなく、この世に存在する上での「軋み」というか、何かしら彼女の内に氾濫するエネルギーを無理やり冷たい能面で押し隠しているような、そんな危うさを感じていたように思う。

 咲良は私の前でバイオリンの話をするのを嫌がり、よく私の読んでいる本を横からのぞきこんで「面白い?」と聞いてきた。「面白いよ」と答えても、だいたい彼女はタイトルを確認して興味をなくした。唯一咲良が「貸して」と言ったのは阿川佐和子の『恋する音楽小説』だ。その後いくら月日が流れても、その本が私の手元に返ってくることはなかった。私が教室であの本を読んでいなかったら、咲良は私に興味をもっただろうか。それとも、一緒に過ごしたあいだも彼女は私に興味なんて抱いていなかったのかもしれない。

 コンサート会場に吸い込まれて行く人々の姿を、咲良はぼんやりと見つめていた。私は憂いを帯びたその横顔をじっと見つめ、すると、その唇が震えるように小さく何かつぶやいた。「やめようかな」と言った気がした。

 はっとして建物に目をやると、人だかりの一角が割れて正装した男女が拍手に迎えられるところだった。二人は用意された窓際の一段高い小さなステージで私たちに背を向け一礼する。

 そのころヴィオラという楽器を知らなかった私は「バイオリンだ」としか頭に浮かばなかった。そして咲良を見た。彼女は下唇をほんのわずかばかり噛んで、音のない演奏を凝視していた。

 お気楽に見える女子高校生にはやめたいものがたくさんある。あまりお気楽そうに見えない咲良には、数えきれないほどやめたいものがあるだろう。私には、咲良がやめようとしているのはバイオリンだという確信があった。咲良の内側に潜んだ鬱屈を理解しているのは自分だけだと、その頃の私は信じて疑わなかった。

「行こう」と立ち上がり、咲良は私の手を引いて歩き出した。バイオリンの音色から無理矢理に逃れようとしているのか、その後ろ姿は向かい風に抗っているようにも見えた。

 正面玄関の前を通ったとき、人々のざわめきに混じって弦楽器の音が耳に入った。彼女はそれまでより歩調を速め、横断歩道を渡りきったとき、ようやく一瞬だけ後ろを振り返った。

 私の目は彼女の足元の引きつけられていた。そこにはオレンジ色の絨毯があった。すぐ目の前の民家の塀からのぞく太陽のような花。それは地に乱れ落ちてなお艶やかに色を放ち、不粋な通行人に踏みつけられ、それでも目を惹き付ける。咲良のようだと思った。

 花が、咲良のローファーの下敷きになる。私はまた手を引かれて歩き出した。

 そのオレンジ色の花の名がノウゼンカズラだと知ったのは、ずっとあとになってからのことだ。それはつまり、私が咲良と別れてからずっと先のことであり、私と彼女が高校を卒業して、彼女が音大に進学し、三十路間近の盆の同窓会で彼女の死を知ったのよりもあと、ということである。

 一ヶ月ほどしか付き合わなかった彼女との思い出は、その時間の短さに関わらず濃密だった。それ以外の時間と見た目にはさほど変わらないにも関わらず、彼女の存在とともに感じた世界は灼けつくように濃い色をしていた。けれど、それは大学を経て社会人となり、そのあいだに経験したいくつかの出会いと別れの濃密さにすっかり紛れ、いつしか記憶の底で眠りについていた。

 惰性の日常に変化を求めて参加した同窓会で、咲良の存在が十年近くの年月を経て意識の表層に浮かび上がった。正直なところ、咲良が死んだという事実を実感を持って受け止めることができなかった。彼女は私のなかでは未だに制服を着た高校生で、同級生の話によると彼女はどこかのオーケストラに所属していたらしいけれど、その話にもピンとくるものがなかった。

 唯一理解できたのは、あの高校二年の濃密な一ヶ月間をのぞいて、私と咲良はまったく違う人生を歩んでいたということだ。振り返ると、どうして咲良と私が惹かれあったのか不思議で仕方ないのだけれど、あのときは隣にいるのが自然だった。あの一ヶ月の記憶だけがどこか現実離れしていて、もしかしたら自分の妄想だったのではないかとさえ思えてくる。そうして切れ切れに咲良のことを考えているうちに気づけば同窓会も終わり、日常に戻れば再び彼女の存在は心のどこかに沈殿していった。

 そんな彼女のことを久しぶりに思い出した。やはり夏のことである。

 そもそものきっかけは実家で一人暮らす母からの電話だった。世間話に紛れ込ませるようにお見合いの話が出たとき、正直面倒としか思えなかったけれど無下に断るのも気が引けた。

「結婚」の言葉にはどうしても「家」の問題がついてくる。家だけでなく、いくつかの物件を母が大家として管理しており、ゆくゆくそれをどうするかという事についても知らぬふりをするのは限界だった。

 結局は地元に戻らねばならないのかと、電話片手に一人マンションの一室でため息をつき、「会うだけなら」と返事をした。婚活支援活動をしている母の友人が、「是非に」と持ってきた話らしい。田舎でのこと、付き合いは大事だ。一度顔を合わせてお茶をするくらい、なんてことない親孝行のようにも思えた。

「そっちにいい人がいるなら断るわよ」という母の言葉に何とも返せず、最後に恋人と別れたのいつだったか記憶をたどろうとしてやめた。映画か小説で恋愛気分をつまみ食いすれば寂しさも紛れる。実際に行動し、コミュニケーションをとり、探り探りに恋人への手順を踏むということが億劫だった。過去の恋愛で少々傷つき過ぎていたのか、それとも年をとって恋愛に関する何らかのホルモンが枯渇してしまったのか。たまに自分の垂れゆく躰を慰めることに、虚しさすら覚えなくなっていた。


  ◇◆◇

 

 梅雨の明けきらぬ蒸し暑さのなか、七月の連休を利用して実家に戻った。居間でひと息つくと母から茶封筒を渡され、中には履歴書のようなものが入っていた。A4サイズの紙の左上には写真が貼られている。こちらに向けられた笑顔に気持ちが沈んだ。断るつもりで会うことに、このとき初めて罪悪感を覚えたのだった。

 年齢は私よりも二歳年上で、会社員。婚活支援というのがどういうシステムのものなのかは知らないけれど、名前も住所も勤務先もそこには記載されていなかった。目にとまったのは趣味欄の「ヴァイオリン」という右に傾いた神経質そうな文字だった。

「婚活支援って無料じゃないよね」と問うと母は「そうねえ」笑った。案外母の方から頼み込んだ話なのかもしれない。大人しくそれに付き合っている自分が果たして結婚したいのかしたくないのか、それがよく分からなかった。した方が良いのだろうとは思う。できるのならば。

 年を重ねると、普段は意識しなくてもふとした瞬間に悲観的な想像がむくむくと膨らんで脳を圧迫してくる。今ある平穏がじわじわと首をしめ、世間を知れば知るほど悩みは複雑になる。小説を読む気にもならず映画を観る気力すらなくなったとき、私はお気に入りの芸人のDVDを観ながらビールを飲むことにしている。笑いは偉大だ。

 名前も知らない婚活相手のことを考えながら缶ビールを開け、グラスに半分注いで母に渡した。「乾杯」と缶とグラスを合わせながら、乾杯するような事柄がひとつも浮かばず、テレビのチャンネルを変えてみたけれどお笑い番組はしていなかった。クイズ番組のスベった解答でケラケラ笑う自分の口が空々しい。もう一本ビールを開けた。

 婚活相手の顔はぼんやりと磨りガラス越しのような映像で頭に張り付いていた。


 ◇◆◇


 指定されたカフェは県民文化会館の裏手にあった。駅から十分ほど歩くと右手にガラス張りの会館の建物が見えてくる。横断歩道に目をやると信号は点滅をはじめ、足を速めかけたところで歩道の先にあるオレンジ色の絨毯が目に入った。

 咲良。

 彼女の汗ばんだうなじが目に浮かんだ。あのとき白くまアイスを買ったコンビニを視界のなかに探し、同じ場所にコンビニがあったけれど看板の色は変わっていた。白くまも変わっているかもしれない。たぶん、変わらないのは私だ。

 咲良の指先を思い出す。気のせいと分かっていたけれど、手の中にひんやりとした何かを感じた。

 遠目に鮮やかに見えたオレンジ色は、しゃがみこんで間近でながめると花びらの先は変色し、踏みつけられ、それでも蜜が残っているのか数匹の蟻がうろついていた。花にしてみれば本望だろうか。ふと顔をあげると、陽炎の向こうで景色が揺れている。

 県民文化会館の噴水は昔と同じ姿のまま涼しげに飛沫を上げていた。子ども向けの催しでもしているのか、建物の中は小学校低学年くらいの子どもとその親であふれている。私は中庭を抜け、駐車場を突っ切ってスマートフォンをたよりに約束の場所へと向かった。

 母の友人はいかにも世話焼きおばさんという雰囲気だった。肉付きの良い頬にメガネの奥には垂れがちの細い目。おっとりとした口調なのに押しが強く、私は婚活相手よりもよっぽど彼女の顔を凝視していたように思う。「じゃあ、ふたりでごゆっくり」と仲介役の彼女が店をあとにして、私はようやく相手の顔をまっすぐに見たのだった。

「県民文化会館の前の、横断歩道のところで後ろ姿をお見かけしました。ノウゼンカズラがお好きなんですか」

 目の前に座るその人は、写真で見たのとそっくりの笑みを浮かべていた。「ノウゼンカズラ」とおうむ返しに口にすると、「あのオレンジ色の花です」と言う。

「そんな名前なんですね。あの花は私が高校の頃にもあの場所に咲いていて、少し昔のことを思い出していました。学校帰りによくあの近くのコンビニに寄って、会館の中庭で友人と他愛ないお喋りをしたりしたんです」

 中庭で過ごしたのは咲良とだけだった。県民文化会館よりももう少し駅に近い場所に図書館があって、学生はだいたいそちらを利用していた。だからこそ、私と咲良は会館に向かったのだった。

 咲良の記憶は汗ばんでいる。濡れて肌に張り付き、雫が滴っている。暑さに上気した頬、体の内側にこもった熱とは対照的に、手のひらで触れた彼女の表面は冷えていた。それはきっと年月とともに誇張されて歪んだ記憶。彼女に感じた内面と外面のアンバランスさを、私はそのように脳内に刻んだのだろう。あの頃の私は咲良の内部に潜り込もうとし、その熱にあてられたのかもしれない。まるで彼女と一体化したように錯覚していた。

 珈琲をすすり、「バイオリンが趣味なんですね」と口にしながら、私は咲良の記憶と戯れていた。

 彼女が本気で音楽の道を目指していることを知ったのは高校三年の秋も深まった頃だった。私と咲良が別れたのはそれより一年以上前。噂話で彼女の進路を聞いたとき、「やめようかな」という咲良の音にならない声と唇の動きが脳裏に蘇った。そして、彼女の鬱屈した危うさは私から離れるのと同時に消えたのだと思った。内部の熱は解放され、彼女は彼女の世界へと戻っていったのだ。それは当然といえば当然のようにも思え、私はそのとき二度目の失恋をしたような気になった。

 そうだ。私は、咲良の演奏を聴いたことがない。

「興味がおありなら、今度一緒にコンサートに行きませんか」婚活相手が曖昧な次の約束を口にした。その誘いがここしばらく感じたことのないくらい魅力的に思えたのは、きっと咲良のせいだろう。

 婚活のシステム上、連絡先を直接交換することはしないでほしいと言われていたので、その日は一時間ほど他愛のない話をして店を出た。その婚活相手とはそれきりだ。何が合わなかったのかもよく分からないけれど、当たり障りのない対応をしていたのに向こうから断られるというのはそれなりにショックだった。あのコンサートの誘いは社交辞令だったらしい。後々よく考えれば、婚活の場で私はずっと咲良のことを考えていて、もしかしたら上の空で返事をしていたのかもしれなかった。

 結婚はした方がいいのだろう。それは変わらず頭の片隅にある。しなくてもいいだろうという考えも一方であり、平穏な日々にしがみ付くようにその考えに縋っている。けれど、何も変わらぬはずの日々が、あの踏みつけにされたノウゼンカズラを目にして以来濃く色づいていた。未練がましい蟻の姿が目に焼き付いて、世界の色が、匂いが、空気が濃密に躰に絡みつき、そうして時々手のひらにひやりと冷たい感触が走る。私は映画や芸人のDVDを観る代わりに、咲良のことを考えていた。バイオリンの動画を検索し、咲良の指先を探してみたりした。

 結婚のことも、家のことも、仕事も老後も他人事だった高校生のころ、私の中にも咲良と同じようなエネルギーがあった。目を奪われ、恋い焦がれ、ただ見つめるだけで息が詰まるほどに求めてしまうものがあった。そのうち諦めることで身を守るようになり、いつしか何も期待しなくなって、今日の先にあるのが変わらぬ明日になっていた。それが揺らいでいる。咲良のことを考えるとあの頃の感情がまだ自分の中に眠っていることを自覚する。

 私はまだ期待したがっている。熱はまだ消えていないはずだ。

 

 ◇◆◇


 イチョウの葉が舞いはじめたころ、休暇をとって帰省した。家のことも、それに付随する様々な問題も先送りにしたまま。それらを解決したからといって私のなかにある不安が完全に消えることはないという考えがポッと頭に浮かび、ならば焦ることもないと、以前より少しだけ気が楽になった。それはなんとなく咲良のおかげのような気がした。どんな感情も死ぬまで、いや死んでからも消えることはないのかもしれない。覚醒しているか、眠っているか、きっとそれだけの違いなのだ。

 地元の県民文化会館でNHK交響楽団のコンサートがあると知ったとき、迷わずチケットを買った。彼女がいたのがどこのオーケストラなのかは未だに知らないけれど、次の同窓会があれば誰かに尋ねてみるつもりだった。

 コートをはおり、駅から十分。コンビニで白くまアイスを買って、県民文化会館の中庭の噴水の前でベンチに腰をおろした。まったく自分のやっていることが滑稽で、紅葉した木々をながめながらひんやりと冷えたアイスの蓋を開け、一人小さく吹き出した。お笑いDVDの代わりになるだろうか。

「つめたいよ、咲良」

 供養のつもりはなかった。ただ、あのころ感じていた持て余すほどの熱を求めていた。駐車場から中庭を通って正面入り口へと向かう人たちが、数分おきに私の傍を通りかかる。私はじっとガラス張りの建物の中を見つめる。開場を待つ人々の興奮と期待に満ちた顔。高校の制服。

 足元に落ちたイチョウの葉を蹴り上げる。咲良のなかにはきっと死ぬ間際まで熱があったに違いないのだ。実際は違うのかもしれない。私がそう思い込みたいだけかもしれない。空になったカップをゴミ箱に捨て、寒さと白くまで冷えた手指が、まるで咲良に誘われているような錯覚に陥る。建物の中へ入ると弦楽器の演奏が聴こえてきた。ロビーコンサートは人だかりで演奏者の姿は見えない。私は無意識に目を閉じ、黒いワンピースに身を包んだ咲良の姿を思い描いた。その顔はやはり高校生のときのままだ。

 私の知っている咲良は私が勝手に作り上げた咲良で、それはある意味で私自身の熱、欲望、そしてエネルギーだった。白くまアイスとノウゼンカズラ、汗に濡れたうなじの映像を何度も頭のなかで再生しながら、私は一度手放したものを取り戻そうとしている。さまざまなことを諦め冷え切ってしまった感情を、咲良の、私自身の熱で溶かそうとしている。

 冷えた指先をすり合わせ、二階席の右寄り、前から三列目のシートに腰をおろした。隣に座る二人の女子高校生の話し声がブザーでピタリと止まりヒソヒソと何か囁き合っている。舞台を見下ろす。照明がゆっくりと落ちていく。

 光に包まれたオーケストラ。静寂を破って様々な音が会場を包み込み、ゾワリと背筋が粟立った。このとき、興奮と同時に咲良と私のあいだにあったもの、そしてなかったものを理解した気がした。

 私と咲良はやはりあのころ一体化していたのだ。そして私は今また会場の音に包まれながら、そこに表現されたものとひとつになろうとしている。目を閉じると私の前にはノウゼンカズラが咲き乱れていた。

 咲良のことを想う。そして、咲良の死が今さらのように喪失感を伴って訪れた。

○o。.

   ○o。. .. 。

――end


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夏の思い出

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