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ご当地マグネットジオグラフィック②海外編

国内編に続く海外編です。①国内編はこちら。

では海外編。マグネット4個だけ紹介です。

イエローストーン国立公園

スチームボート間欠泉

イエローストーン国立公園は北米大陸最大の火山地帯で、数百カ所から熱水を噴き上げているというとんでもないスケール。その中でも、マグネットに描かれているスチームボート間欠泉は、ノリス盆地にある世界で最も高い活噴泉で、最高で約100mに達します。
観光で訪れるとこういう光景が見られる…かと思いきや、実は間欠泉だけに都合よく熱水を吹き上げるタイミングでしか見られません。1回あたり3分~40分で、しかもこの間欠泉は吹き上げる周期がバラバラで3日から50年(!)間隔とされています。
1911年から1961年までは活動していませんでした。1964年には29回の噴出が報告されました。2018年から、頻繁な活動の長期化に入り、2019年と2020年には年間40回以上の噴火が記録されました。2024年現在まだ活動期であり、2024年2月26日、2024年4月3日、2024年5月30日、2024年7月15日、などと数か月に1回ペースで噴出が確認されています。たまたま行って見られたら超絶ラッキーな光景のマグネットです。


リワ砂漠

リワ砂漠とドバイの街

近年、オイルマネーを武器に①空港②港湾③自由貿易地域の整備を強力に押し進め、一大経済都市&観光地に急成長したアラブ首長国連邦(UAE)のドバイのマグネットです。世界で最も高い830mのブルジュ・ハリファという超高層ビルもそびえ立っています。
背景に描かれているのは、ドバイから300kmくらい南下した観光名所、サウジアラビアとの国境にあるリワ砂漠かと思われます。ここへいくと、360°見渡す限り砂、砂、砂。
生涯一度は見てみたい風景ではありますが、こればかりは単独でマグネットで表現するのはやや難しいかなと。砂だらけで。


万里の長城

万里の長城

万里の長城についての歴史を語る記述はインターネットに溢れかえっていますので、ここでは「中途半端な豆知識」のご紹介に留めます。
・紀元前に秦の始皇帝が造ったと言われるが、現存するのは15〜17世紀明代に造られたものがほとんどで場所も違う。
・中国代々の王朝は、長城を重視して増強したり、軽視して荒廃したり、まちまち。
・途中に門が多くあり、割と往来可能で交易も行われたりした。しばしば突破する勢力もあった。
・民族を分ける国境的な意味と軍事防衛線的な意味と、時代によって意義も変わっている。
・「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」という話が有名だが実は見えない。「見えなかった」という中国人宇宙飛行士の証言を受けて中国の教科書からもその件が削除された。※この辺がジオグラフィックネタ
(そもそもこれが見えるなら、東名高速も見えるはず…)
・観光用に整備された一部を除く「野長城」は、資材用レンガの略奪や風化で徐々に失われている。
・立ち入り禁止の野長城を見に行って遭難・死亡する事故が後を絶たない。


カッパドキア

カッパドキア

カッパドキアという文字が書かれたトルコのマグネットです。カッパドキアと言ったら本来、

カッパドキアのギョレメ国立公園の奇岩
カッパドキアのギョレメ国立公園の奇岩

このような、奇岩、岩窟が特徴的な火山によってできた大地のイメージですね。古来より、この大地を含むカッパドキア人が住んでいたカッパドキア州(地方)のことであり、上記の写真のような奇岩があるのはカッパドキア(地方)のギョレメ国立公園ですが、奇岩=カッパドキアという認識が一般に広まっています。
カッパドキアの景観は、数億年前の複数の大規模な噴火による火山灰と溶岩が、高さ数百メートルずつ積み重なって岩になり、風雨に打たれて侵食が進み、不思議な岩の形で残ったものです。
紀元前17年ローマ時代、キリスト教徒が弾圧を受けてこの谷に隠れ住み始め、さらに7世紀にはイスラム教勢力にも侵入されましたが、その頃に迫害を逃れるため奇岩をくり抜いて造った洞窟教会や地下都市が、数多く残ります。なお11世紀ごろキリスト教徒は、イスラム教徒と比較的仲良く暮らしていましたが、その後のオスマン・トルコ時代に結局はここを放棄しました。

そういう感じの”カッパドキア風味”はみじんも感じられない、どこかの適当な夜景に見えるマグネットですが、ともあれご紹介してみました。